第八十二話 淡い恋心と白馬の王子
ラミナント城の王宮区画。
シュバイクは自室のベッドへ横になり、仮眠を取っていた。しかし、扉を叩く者の声で目を覚ましたのである。
「シュバイク様。魔道議会からの遣いがやって来ております」
眠気眼で起き上がると、身体をぐっと伸ばした。そして扉の方へと向かって歩いていく。身に着けている服は、シルクの肌着である。血に染まった服は捨て、新たな物へと着替えていた。
丸一日以上寝ていなかったために、三時間ほど前からベッドに横になっていたのだ。しかし、目を閉じて眠りにつけたのは、ほんの一時間ほどである。
「今行きます。来賓館の執務室で待ってもらっていてください」
扉を開けると、そこに立っていたのはウィリシスではなかった。彼の配下の騎士の男である。その男にシュバイクが言うと、相手は深く頷きながら去っていった。
ウィリシスは、シュバイクが仮眠を取っている間に雑務に追われていたのである。王子の身体を心配して、次々に王宮へとやって来る貴族達の対応を、代わりに請け負っていたのだ。それはまるで、あのガウル・アヴァン・ハルムートのようだった。
来賓館にある大広間を臨時の応接室にして、ウィリシスは貴族達との話合いを重ねていた。クレムナント王国内の貴族は約千人。その殆どの家々に、シュバイクは使者を送っていたのである。そして、彼の呼びかけに答え、ラミナント城へとやって来た者達は、その半数にも満たない二百名程度であった。
その他の八百名程は、現在の様子を見ながら、どの王子へと付くのかで迷っているのであろう。
二百名の貴族達も、その全てがシュバイクの味方と言う訳ではない。現状を把握し、情報を集めるために、城へと足を運んできた者も多いのだ。そのため、ウィリシスの今の役目は、彼らを説得し、いざと言う時の味方にしておく事である。
広間の家具や調度品の全てを取り払い、数百の椅子を並べている。そこにはセルプールと言われる貴族御用達のスーツを華麗に着こなしている人々が、座っていた。そして、その視線の先にいるのは、ライトイエローの短髪の青年である。彼は、緑のブリオーを着ており、下半身はキュロットを履いていた。靴は黒革のブーツである。
「皆さん、聞いてください。先ほどからお話しているように、シュバイク王子の行動は正当なものです。ウィード守備隊長は水中都市国家スウィフランドの手先であり、ハルムート将軍はアバイト王の病気を隠し、身代わりを立てて政権を影で操っていたのです!そして、グレフォード家は、ラミナント王家の転覆を図っていました。これをいち早く察知したシュバイク王子の行いは、責められるべきではなく、褒め称えられるべき行いです!」
ウィリシスは自分よりも一回りも二回りも年上の男達へ、堂々とした態度で言った。一段高い壇上の上から、時折、視線を各個人へと移動させている。
「いくらそんな言葉を並べ立てて、正当化しようとも、確固たる証拠もなしに言っているのでは信じる事などできますまい。それに当人であるシュバイク王子が、この場にいないとは一体、どういう事ですかな?」
数十列に並んだ座席の一つから、立ち上がった男が言った。五十代の半ば程であろうか。黒いセルプールのスーツに身を包み、ふっくらと出ている腹を抱えるようにしている。それは、前で手を重ねているだけなのだろうが、そのように見えてしまう。
「それは分かっております。証拠等は、後日、改めてしっかりと皆さんに提示致すつもりです。今この場にシュバイク王子がいらっしゃらないのは、重要な案件を他にいくつも抱えているからなのです。決して皆さんを軽んじている訳ではない事を、ご理解下さい」
ウィリシスは壇上から真摯な姿勢で答えた。
「そんな事はどうだっていい!アバイト王が病に臥している今、クレムナント王国の王位はどうなるのだ!?はっきり言わせてもらうが、我等、貴族が心配しているのは、王位継承後の自分達の待遇と領地問題だ!国内の鉱石採掘権を握るグレフォード家の爵位を持つ二人が死んだんだぞ。彼らの持つ領地と、鉱石採掘権はどうなるんだ?」
鋭い目つきの老人が声を上げた。この場に居る誰しもが、一番聞きたかった事であろう。それを、合えてウィリシスへと投げかけたのだ。それはまだ二十一歳という若さの騎士を、舐めている証拠でもある。ハルムートが政権運営に携わっていた時には、決してこのような声を上げる者は居なかったのであるからだ。
「王位に関して今言える事は、全ては皆さん次第だと言うことです!シュバイク王子に付き、味方となって頂ければ、きっと玉座へと座る事になるでしょう。そしてもし、その時が来たら、味方となって頂いた貴族の方々には多大なる恩恵があると、この場で約束致します!」
ウィリシスも必死だった。彼らを繋ぎ止めなくば、明日には敵となってシュバイクの目の前に現れるかもしれないのだ。不確かな約束でも、甘い餌をちらつかせるしかない。謀を好まない真っ直ぐな心根の青年が、僅かな穢れを抱き始めていた。
貴族達とウィリシスのやり取りが白熱している頃、魔道議会から派遣されたセリッタとラミルは、来賓間の執務室で待機していた。
「わぁぁぁ。すごいですねー。こんなに豪華な家具や装飾品をはじめて見ました!」
ローズピンクの髪に、まだあどけなさの残る少女の顔。服は薄茶色のローブを身に纏っている。新米導師のラミルは、くりっとした黒い眼を輝かせていた。
手織りの絨毯が敷かれている床。金と赤を基調に、凝った内装が施されている室内。陶器の器は、白い木で出来た台座の上に飾られている。部屋の中央には、革張りのソファ。そして、ガラスで出来た背丈の低いテーブル。その奥には、金銀細工が填め込まれた机が置かれ、椅子も同じ装飾がされている。
「はぁぁ。いいわねぇミルミル、子供のアンタは。そんなもの見て喜べるなら、幸せよね。任務が待っているというのにさぁ」
セリッタは、部屋の中央に置いてあるソファに身体を預けている。まるでそれはベッドで寝るかのような体勢であった。黒い長髪を髪留めで纏めており、肌は日に焼けた小麦色をしている。
「ラ・ミ・ルです!セリッタ様、いい加減に覚えて下さい。それにしても、シュバイク王子ってどんなお方なのですか?美しくて華麗な容姿だと聞いていますが...本当にそんなにお綺麗な王子様なのですか?」
ラミルは部屋中の家具や調度品を隈なく観察し終えると、セリッタへと問いかけた。
「はぁん?シュバイク王子?あぁ、確かに綺麗っちゃあ綺麗よねぇ。でも、男としては好みじゃないしなぁ。私はどっちかって言うと、守護騎士のウィリシス・ウェイカーがいいなぁ。あのきりっとした眉!銀褐色の美しい瞳!ライトイエローの短髪!一本の芯が通った、精悍な顔つき!ああいうのが、いいのよねぇ~~~。シュバイク王子が来るって事は、守護騎士ウィリシスも来るのかなぁ」
セリッタの言葉は、殆どがラミルの問いかけに答えるものではなかった。勝手に己の脳内で妄想を膨らませ、話題をウィリシスへと変えてしまったのである。
「あはは...すみません...ウィリシスは今日は来ないんです。僕だけではご不満でしたかね......」
不意に聞こえてきた声。それは、扉から入ってきていたシュバイクだった。スカイブルーの長い髪に、ブラウンの瞳。白い肌と、整った均衡の取れている顔立ち。服は革の鎧を身に纏っており、その下には布の服を着ている。
「へ?」
セリッタは、思わず気の抜けるような声を出した。そして、恐る恐る椅子から上半身を起こすと、背もたれの裏側から顔を覗かせたのである。
「お待たせしてしまって、申し訳ありません。僕が、シュバイク・ハイデン・ラミナントです。魔道議会からいらっしゃった...えっと...お名前は?」
シュバイクは王族とは思えないほどの、腰の低さで二人へと挨拶をした。それに答えたのは少女である。身体を起こしたセリッタは、慌てて立ち上がった。
「しゅっ、シュバイク様っ。私は魔道議会より派遣された新米魔道師のラミルですっ!よ、よろしく、お、お、お、お願いしますっ!」
ラミルは、シュバイクの全てに目を奪われた。スカイブルーの美しい髪は、まるで大空のようであった。白い肌は女性のような綺麗さで、そのブラウンの瞳は力強い生気を感じさせた。革の軽鎧一つとっても、華麗に着こなしているようにさえ思えたのである。そしてその腰には、魔鉱剣を下げていた。
「よろしくお願いします。ラミルさん」
シュバイクは、ラミルの前へと歩み進んだ。そして、相手に軽く頭を下げたのである。
ラミルにとって、目の前の王子は、自分の目を疑うほどの容姿端麗さであったのだ。美しさとは何か。と聞かれれば、今のラミルは迷いもなく、シュバイクと答えるであろう。それほどに、心を奪われていた。
「おっとっと。私が魔道議会の導師セリッタよ。よろしくお願いねぇっ!」
セリッタは馴れ馴れしい口調で、シュバイクへと向かって言った。まだ、今日飲んだ酒が残っているのだろう。その言葉つきは、酔っ払いのそれと変わらないようである。
「セリッタ導師、よろしくお願いします。山間部の部族との通訳をお願いできると聞いたのですが、大丈夫でしょうか?」
シュバイクは顔色一つ変えずに、問いかけた。相手の言語能力を疑っている訳ではなかった。只、事実をしっかりと確認し、備えて起きたかったのだ。
「勿論、大丈夫よ。お姉さんに任せなさいっ!」
セリッタは大きく頷きながら答えた。二十八歳であるこの女にとって、十七歳のシュバイクはまるで子供にしか思えなかったのである。今の彼女にとって、王族も新米導師も大して変わらぬ存在なのだろう。きっと酔いを醒ましたときには、大いに後悔するはずである。
「頼もしい限りです。では準備よければ、すぐに出発しましょう」
「おっけーい!」
「はい!」
シュバイクの言葉に、セリッタとラミルは元気よく答えた。自己紹介を終えた三人は、ラミナント城の入り口へと向かい、用意されていた馬へと跨った。シュバイクは魔獣ガルディオンを扱う事が出来るのだが、他の二人が馬を乗るのに合わせたのである。
白馬へと跨ったシュバイクは、絵になった。月に照らされた姿は、昔話に出てくる英雄のようであったのだ。この時少女は、決して叶う事のない恋心を抱いたのである。
「では、行きましょう!ハァッ!」
掛け声と同時に、白馬は駆け出した。それに続くように、セリッタとラミルの跨る馬も勢いよく駆け出していった。そんな三人を追いかけるように、宮廷の来賓館を飛び出した男が居た。彼は城の入り口に止めてあった黒馬へと颯爽と飛び乗ると、その胴体を蹴り込んだのである。




