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第八十一話 飲んだくれ魔導師

 宿屋街ウィザンドリードから続く酒場通り。そこには数十件の飲み屋がのきを連ねている。どこも繁盛しているのか、男達の歓声と歌声が混じったものが聞こえてくる。至る所に酔って意識を失った荒くれ者達が倒れており、空き瓶や酒樽さかだるとともに薄汚い路地のすみに転がっていた。


 荒くれ者ばかりが集まるこの場所は、決して治安のいい場所ではない。表通りといわれる大通りアルベリオンや住宅街には、王国兵による警備体制の目が行き届いている。しかし、このような酒場通りや宿屋街ウィザンドリードには、そこまでの治安維持がなされてはいなかった。


 毎年次々に訪れる出稼ぎ労働者や旅人など、流入する人々の数と、それを管理し警備する兵士の数に不均衡ふきんこうが生じているのだ。


 それに拍車をかけるように、過去の戦いの傷跡によって出来た増改築がなされた建物の数々。これらが折り重なるように建っているために、迷路のような入り組んだ構造を造っていた。どこの国にも、日の光が当たらない場所というものがある。それが、此処なのであった。


 店先には体を売る女達が、出稼ぎ労働者と旅人を誘うように妖艶ようえんな姿で立っている。


 そこを歩く一人の子供。薄茶色のローブを身にまとい、頭にはフードを被っていた。顔を覗き見る事は出来ないが、背丈の大きさから子供だと簡単に予想がつく。


 酔ってふらふらと歩く男達の間をすり抜けながら、その子は、目的の場所へと向かって迷いを見せる事もなく進んでいく。そして、一件の酒場の前にたどり着くと、その子はまじまじと店先の上に掛かる看板へと目をやった。そこには《糞オヤジ・バールドマンの酒場》とでかでかとペンキで書いてあった。


 木造の家で、出入りをするためだけに取り付けられた板切れの奥からは、酒にまれた男達の笑い声が聞こえてくる。その板切れをローブの袖から出した小さな手で押し開けると、中へと入っていく。


 シュバイクが追撃部隊を出してしてから、半日以上が経過していた。日は沈みかけて、西の山の奥に太陽は姿を隠そうとしている。建物が押し重なり、入り組んでいるこの酒場通りの周辺は、すでに夜の気配である。飲み屋からこぼれる店内の明かりと、店先に掛かる鉱石灯の光が細い路地裏を照らしていた。それが唯一の灯りである。


 鉱山で働いていた労働者達が、一日の仕事を終えて戻ってくる時間なのだろう。その酒場には次から次へと人が入ってくる。入り口で店内を見渡していたその子は、後ろから来た男達に押し倒されてしまった。思わず声を上げながら、木で出来た薄汚れた床へと倒れこむ。


「ん?あっと、すまねぇな。お嬢ちゃん、大丈夫か?」


 筋肉質のごつごつした手を突き出しながら、男は声をかけた。布のぼろ切れをまとっただけの身なりである。汚れの目立つ顔は、髭面だった。採掘師なのであろう。皮のブーツには、泥と土が混じったものが付着していた。


「だっ、大丈夫ですっ」


 出された手を握る事なく、ローブについた汚れを払いながら立ち上がった。


「そうかい。ならよかった。にしても、ここはお嬢ちゃんみたいな子供が来る場所じゃねぇぞ」


 目の前の子に見せた男の態度は、相手を心配するような素振りであった。


「ちょっと人を探していまして」


 フードの奥から、その子は言った。黒い影の中から、小さな瞳が覗いていた。


「それだったら、酒場の店主のバールドマンに声をかけてみな。店の中を歩き回って探すよりは、楽にすむぞ」


 男はそう言いながら、カウンター席の裏側でせわしなく動きまわる人物へと視線をやる。その視線にあわせるように、首を動かした。すると、その先にいたのは酒場の親父と思わしき男の姿であった。


「分かりました。どうもご丁寧に有難うございます」


 子供らしからぬ言葉遣いでお礼を述べると、ローブを身にまとうその子は、木製のカウンター席の方へと歩いていった。その途中で、何度か人にぶつかりそうになっていた。


 カウンターの前まで、やっとの思いでたどり着いた。そこには次から次へと入る新たな注文に対応しながら、酒樽さかだるから薄茶色の液体をジョッキへと注ぐ男の姿があった。


 布の服の上に、油と酒が飛び散った汚いエプロンをしている。鼻が大きく、その下には白髪の混じった髭が生えていた。手入れをしてないのか、綿菓子わたがしのようなもっさりとした髭である。


「す、すみませんっ!」


 その子は、カウンターの椅子に登ると、身を乗り出すようにして声をかけた。その問いかけに気づいていないのか、酒場の親父と思わしきその男は、酒樽から空いたジョッキへと次々に液体を注いでいく。それを取りに来る店員の女性達は、その子の存在が鬱陶うっとうしそうな顔だった。


「すみませんっ!あのっ!聞きたい事があるんですがっ!バールドマンさんっ」


 店内で酒を飲む男達の騒ぎ声に負けじと、声を張り上げる。


「んっ!?何だっ!?」


 酒場の親父は自分の名前を呼ばれた事で、やっとその子に気づいたようだ。すると、その子供は、被っていたフードを取り払うと顔を見せた。短いショートヘヤにローズピンクの髪。目はつぶらで、黒い瞳は可愛らしい印象である。幼い容姿であり、十二、三歳であろうか。少女であった。


「魔道議会のアミルと申しますっ。この酒場に、セリッタ導師が居ると聞いて来たのですが!何処にいるかお分かりになりますか!?」


 アミルと名乗ったその少女は、目の前の酒場の親父へと必死に問いかけた。その問いの答えは、思ったよりも早く、簡単に返って来たのである。


「ああん?セリッタ!?セリッタならお嬢ちゃんの隣にいるじゃねぇかっ!そこで爆睡してるのが、セリッタだよっ!」


 酒場の親父はそう言うと、すぐにまた自分の仕事へと戻ってしまった。アミルは身を乗り出した身体を引くと、そのまま右隣にいる人物へと向いた。


 そこに居たのは、長い黒髪を綺麗な鉱石の髪飾りでまとめている女性だった。目鼻立ちはすっきりとしており、眉毛は細く吊上がっている。肌は日に焼けた小麦色で、気の強そうな顔立ちである。しかし、木製のカウンターによだれらしなが夢見心地な表情を浮かべているために、どんな人物なのかは計り知る事は出来なかった。


 腕を下に敷いて、そこに顔を埋めるようにして器用に寝入っている。周りにはジョッキが散乱しており、食べ残った料理の皿がまだ目の前に置いてあった。


「こ...この人が...セリッタ...様......」


 アミルは、唖然としていた。その女性は魔道議会の導師にはとても思えないような姿であったからだ。話には聞いていたのである。しかしそれは、想像以上だった。


「セ、セリッタ様っ!起きて下さい!魔道議会より、任務を仰せつかっています!」


 すぐさま、その肩を小さな手で揺らした。相手を起こそうとしたのである。そんなセリッタと言われる女性は、二十代の後半であろうか。肩を揺らすたびに、明け広げられた麻の服から零れ落ちそうな豊満な胸が、驚くほどにその肩を揺らした時の振動を大きく伝えていた。

 まだ十代で成長段階の女の子にとってはある意味で、衝撃だった。自分のまな板のような胸へとほんの一瞬だけ視線をやると、すぐに頭を横に振って、邪念を振り払った。


「起きて下さいっ!任務です!」


 諦める事無く、相手の肩をゆすり続けた。しかし、一向に起きる気配はなかった。それどころか、いびきまでかいて、気持ちよさそうな表情をしていたのだ。

 通常の方法で相手を起こす事を諦めたアミルは、ローブのから突き出した手をセリッタの頭上へと向けた。そして、呪文を唱えたのである。


「もぅっ!こうなったら...水の玉ウォータル・ミィ・プールア。弾けろっ!」


 ローズピンクのショートヘアには、髪留めのピンが着いていた。それは、魔鉱石で出来た特殊な飾りであったのだ。アミルが呪文を唱えると同時に、それは美しく輝きを放ち、セリッタの頭の上に直径三十センチほどの水の玉を作り出したのだ。そしてそれを、次の瞬間には、弾けさせた。

 大量の水が、一気にセリッタへと降り注ぐ。それは降り注ぐという表現よりは、水の塊が落ちる、と言った方が判り易い程である。


「ぶはっ!な、何っ!?何なのよっ!」


 セリッタは飛び起きた。大量の水でずぶぬれになった身体。麻の服からは、水が滴っていた。


「おっ!よくやったぞ、お嬢ちゃん!セリッタ、相変わらずいい身体してんなぁっ!」


 店内の男達の視線が、一気に集まった。ずぶぬれになった服はぴったりと身体へ張り付き、めりはりのあるラインを際立たせていたのである。


「あんた達っ、それ以上こっち見てたら金とるわよっ!ったく、一体誰よ!私にこんな水をぶちまけたのはっ!」


 セリッタは左手の中指を立てながら、男達へと強気な口調で言い放った。まるで荒くれ者である。魔道議会の導師からはかけ離れた口調だった。そして、自分へと水をかけた張本人を探し始めた。目の前に座る小さな女の子の存在には、気づいていないようだった。


「セリッタ様っ!わ、私です!私がやりました!」


 可愛らしい声のするほうへと、セリッタが振り向いた。するとそこには、ローズピンクの髪に、くりっとした目でこちらを見ている少女がいたのだ。


「あんた!?なによっ、まだ子供じゃないっ。どんな恨みが私にある訳!?まさか...この前踏み倒した借金の取立てに...ついに子供を遣わしてきたわけ!?ウィルモドの奴!子供を使うなんて卑怯よ!男が来るなら、張り倒してやったのにぃぃぃっ!」


 セリッタは何かの勘違いをしているようだった。その勘違いを取り払うために、アミルは言った。


「ち、違いますよっ。私は、魔道議会の新米導師アミルと申します。ベルンドゥー様とアルンドゥー様からめいを受け、セリッタ様へと任務の詳細をお伝えしにきました!」


 アミルは、ずぶ濡れになったセリッタを前に必死に言った。魔道議会の最高老師から、直接、重大な任務を受けてきたのだ。それを伝えねば、ならなかったのである。


「あん!?お婆ちゃん達からの任務!?ムリムリムリムリッ!パス!あたしはやらないわよっ!絶対にやらない!悪いけど、他の導師を探してって言っておいて!」


 セリッタは相手の話の内容を聞く間も置かずに、凄まじい勢いで断りを入れてきた。自分の隣の席にかけていた、黒のローブを手に取ると、それで顔を拭き始めた。まったく、アミルとは会話をする気もないらしい。


「うっうぅっっ...そ、そんな...ひどい...えぇぇぇーーーーーんっ!」


 アミルは小さな手で、その顔を覆う。そして泣き始めてしまった。それがあまりにも大きな泣き声で、店内の男達の視線を集めたものだから、セリッタは必死に相手の頭を手で撫でながら言ったのである。


「あー、分かった分かった!話だけは聞くから、泣かないでっ!ね?」


 セリッタが相手の顔をしたから覗き込むと、アミルは満面の笑みを見せたのである。


「本当ですか!?やったぁ!有難うございます。では、任務の説明をさせていただきますね!」


 可愛らしい笑みを浮べながら、唖然とするセリッタへと言った。


「ちょっ、ちょっとあんた!嘘泣きだったのね!ずるいわよ!」


 どちらが子供なのか、すでに分からないような状態である。セリッタは、相手の泣く姿にまんまと騙されたのだ。それに腹を立てたのか、頬を膨らませて怒った。


「えっとですね。これは極秘任務なのですが、第五王子のシュバイク・ハイデン・ラミナント様が、山間部の部族達に接触するようです。その同行者として、セリッタ様と、その弟子である私が選ばれました。すぐに王宮へと向かい、シュバイク様と謁見するように。との事です!」


 アミルの言葉を仕方なく最後まで聞いていたセリッタの顔は、みるみるうちに曇り始めた。


「ちょちょちょちょっと待って!なんで私がシュバイク王子に付き添って、山間部の部族達に会いにいかないといけないのよ!それにさぁ、最後の言葉がきになったんだけど...私の弟子って、どういう事!?」


 セリッタは不満げな言葉つきであったが、それ以上に戸惑っていた。


「あ、えっとですね。言語学に優れたセリッタ様でないと、駄目なんですって。後ですね、私、アミルが本日からセリッタ様の下で新米魔道師として修行する事になりました!よろしくお願いいたしますっ!」


 口角を上げて、可愛らしい笑顔を見せた。それがまるで、自分の武器だと認識しているような顔つきであったのだ。


「はぁ!?ふざけんじゃないわよっ!私は弟子なんてとらないし、任務もお・こ・と・わ・り!だからね。悪いんだけど、お婆ちゃん達には他を当たってって言って!悪いわね、アミルちゃんっ」


 セリッタはそう言うと、ローブで大方の水をふき取ったのか、また席へと腰を下ろした。そして、飲みかけのジョッキに入るバンバルットしゅを、ぐびっと一気に飲み干した。


「そう言うと思ってました。ベルンドゥー様と、アルンドゥー様からの伝言です。この任務を受け、アミルを弟子にしなければ、今後一切、酒場への出入りを禁じます。との事です。あ、ちなみに、前回の任務で魔道議会へと損害を与えた分の借金は、今回の任務の報酬でチャラになりますよ。どうしますか?」


 子供ながらにその少女は、大人の扱いを心得ていた。それが、セリッタという一癖もふた癖もある魔導師の弟子に抜擢された理由なのだろう。


「う...く...はぁ...分かったわよっ!負けたわ。もう...あんた、ミルミルだっけ?本当に意地悪いわねぇ。そんなんじゃ、まともな大人にならないわよ。で、何処にいけばいいんだっけ?」


 セリッタはついに観念したようだった。皿に残った骨付き肉を食いちぎると、椅子から立ち上がった。そして、黒のローブを肩から羽織ったのである。


「ア・ミ・ルです!ラミナント城へと向かい、王宮でシュバイク王子と謁見します。さぁ、いきましょう!」


 アミルはセリッタの手を掴むと、半ば強引に酒場を後にした。

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