第七十六話 無垢を捨てた瞳
邸宅内を捜索していた三人の騎士達は、広大な敷地の中にぽつんと灯る光を見つけた。そしてそこへと目指して、全力で駆けた。
茶色の皮の鎧を身に纏い、右手には魔鉱剣を持っている。左手には邸内で見つけた鉱石ランプだろうか。それを一人一個づつ、持っていた。
彼らがシュバイクの元へと辿り着くと、そこには凄惨な光景が広がっていた。血まみれの王子の前には二つの死体。その一つは首が切断され、もう一つは身体がずたずたに引き裂かれていたのだ。何があったのか。それを知るよりも早く、王子へと問いかけた。
「シュバイク様っ、だ、大丈夫ですか?お怪我はありませんか?」
騎士の一人が声をかけるが、呆然と立ち尽くすシュバイク。その問いかけに暫く答えなかった。
「な、なんと言うことだ...こんな悲惨な...」
別の騎士は、口に手を当てた。思わず、今日食べた食事が胃から逆流してきそうになったのだ。それを必死に抑え込んだ。しかし、もう一人の騎士はまだ若い事もあってか、その光景に耐えられずについに嘔吐した。
「シュバイク様、これからどうされますか?ダゼス公爵とザーチェア侯爵が亡くなった今、早く次の手を打たねば大変な事になります。どうか、指示をっ!」
騎士はシュバイクへと問いかけた続けた。
スカイブルーの長い髪を血に染めて、ブラウンの瞳は遠くを見ているようだった。敷地内の奥に続く闇を眺めながら、何を考えているのか。それを知る事はできなかったが、騎士はとにかく、語りかけたのだ。
「シュバイク様!どうか、気を確かに!ウィリシス隊長も気を失ってしまい、我等には貴方様しかいないのです!」
騎士の男は強い言葉でシュバイクに言った。シュバイクよりも一回りほど歳を重ねている男である。そんな男が必死に、王子の次の指示を仰いだのだ。
「ん...?ウィリシス?ウィリシスは大丈夫なのか?」
シュバイクはついに騎士の男と視線を合わせた。離れていた意識が、その場へと戻ってきたようである。
「は、はい。ただ、敵の魔道師と戦った際に受けた攻撃によって、今は動ける状態ではありません。どうか、我等に次の指示をっ」
男は必死だった。仲間である騎士達の殆どは、戦いで傷を負っていた。まだ反抗してくる敵も少なからず残る中で、次の手を迅速に打っていかなければ、全てが無に帰すのだ。
「邸内に残っている敵に、ダゼスとザーチェアが死んだ事を伝えるんだ。無駄な抵抗を止めさせ、降伏させろ。手の空いている者は、傷を負った仲間の治癒をするのだ。そして、馬を出し、すぐに諸侯へ伝令を出せ。ダゼス公爵とザーチェア侯爵が亡くなったとを伝えるんだ」
「よ、よいのですか?貴族たちに知らせれば、彼らは反乱を起こしかねません」
「問題ない。但し、こう伝えるように使者に言うんだ「シュバイク・ハイデン・ラミナントが、ダゼス公爵とザーチェア侯爵を討ち取った。私に付く限り、今の領地と権利は保障する。しかし、他の王子や、諸外国につき、クレムナント王国へと仇名す者となるなら、グレフォード家のようになるであろう」と」
「か、畏まりました...」
シュバイクの顔つきは、険しかった。今まで騎士達が見たことのない顔である。瞳は鋭く、眉はつり上がっていた。まるで、目の前の敵を威嚇するかのようなものであったのだ。そんな表情を向けられた男は、有無も言わずに指示に従ったのである。
シュバイクは魔鉱剣に付いた血を服で拭うと、それを鞘へとしまい込んだ。そして、邸宅の出口へと向かって歩き始めたのである。それを見た騎士は、すぐさま問いかけた。
「シュバイク様!ど、どちらへ行かれるので?」
「魔道議会の五大導師達へと会って来る。彼らと話し合わなければいけない事があるんだ」
そう言うと、夜の闇の中へと一人で消えて行ってしまった。
魔道議会の地下聖堂から繋がる一室では、五人の老師達が集まっていた。すでに空は白みがかっていた。皆が神妙な面持ちで円卓を囲み、それぞれが席についている。
彼らは皆、自室で寝入っていた所、巨大な魔力の余波を感じ取り目を覚ましたのだ。そして、何かが起きた事をすぐに察知したのだ。
五人が魔道議会の一室へとすぐさま集まると、事の真相を探るために直に数人の魔道師達をラミナント城へと派遣した。そして、その報告を待っていたのである。だが、そこへやって来たのは、情報を探らせに行かせた魔導師ではなかった。
「し、失礼致します。申し訳ありません。至急、老師達にお会いしたいと言うお方が、聖堂の方へといらしております。この部屋へとご案内しても、よろしいでしょうか?」
室内へと入った来たのは、茶色のローブに身を纏う若い導師だった。血相を変えているようで、何かただ事ならぬ事が起こっているのを予感させた。
「誰なんじゃ?」
禿げ頭の老人が問いかけた。黒い木の椅子に腰掛けており、顎から伸びる髭は真っ白かった。
「ア、アベンテイン様。そ、それが第五王子のシュバイク・ハイデン・ラミナント様なのです。全身を血に染めており...様子が少しおかしいのです...」
導師は困惑した顔つきで答えた。
「シュバイク王子じゃと...?こんな時間に一体何故......」
アベンテインは想像だにしない者の名に、頭を悩ませた。しかし、隣の席に座るもう一人の老人が口を開いた。
「連れて来い。ここに来たと言う事は、何かを知っているからであろう。もしくは、その何かを起こした張本人かも知れぬ」
禿頭の老人とは対象的に、頭の髪がふさふさである。白と薄茶色を基調としてローブに身を包むその老人は、若い導師へと指示を出した。
「城で何かあったのかしら?大きな魔力を感じたのは、富裕区の方からに思えたけど...」
円卓に備えられた椅子に座る老婆が言った。長い白髪を腰あたりまで伸ばしている。やはり、薄茶色と白を下地としたローブを身に纏っている。そして、その隣には、顔がそっくりなもう一人の老婆が座っていた。
室内は薄暗い。天井に配置された鉱石灯の灯りだけが、円卓を照らしているからである。床は黒色の鉱石が敷き詰められている。これは鬼哭石と言い、体内から放出される魔力を打ち消す効果があるのだ。特殊な魔鉱石である。
魔道議会の老師達が話し合うこの部屋では、互いが互いを魔法によって言動を操作できないようにするために、この鉱石が敷き詰められているのだ。実は、ラミナント城の王の間の床も、鬼哭石が敷き詰められている。魔法の威力と効果を十分に理解しているからこそ、用心をしているのである。
そしてついに、その部屋へと、シュバイクがやって来た。
「失礼します」
両開きの木製の扉を開けて入ってきた少年は、全身を赤い血で染めていた。顔だけは布でふき取ったのであろうが、それ以外の場所は、何処を見ても赤一色だったのである。
それを見た老師達は、思わず身構えた。その少年の目つきが、すでに、今までの子供のような無垢な目ではなかったからである。地獄を体験してきた者だけが持つ、冷たい眼だった。
「シュバイク王子、こんな時間にどうされましたか?しかも、その血は...」
ブラウンの中に白髪まじりのふさふさ頭。顔には歳を重ねた歴史が、皺となって刻み込まれている。老師ベルハンムは、シュバイクへと問いかけた。
「単刀直入に言わせて貰います。ハルムート将軍、並びに守備隊長のアーク・ウィードを殺しました。その後、グレフォード家の邸宅へと押し入り、ザーチェア侯爵を手にかけました。ダゼス公爵は、そのザーチェアによって殺されました」
シュバイクは事実を淡々と述べた。
「な、なんですてっ!」
「どういうことじゃ!」
「なぜじゃ!」
老師達は次々に口を開いた。狼狽しており、シュバイクの言葉に衝撃を受けているようだった。
「僕は、王家の力と言われているものに、覚醒したみたいです。その力で、未来から戻ってきたのです。そこで知った事実は、僕がアバイト王とレリアン・ハイデンの子供ではなく...ギルバート・ラミナントとミリアン・ハイデンの子供だという事です」
シュバイクは五人の顔へと、順番に視線を流していった。
「な、何だって...まさか...そんな......」
アベンテインは驚愕していた。
「それでハルムートを殺したと言うの!?あの男は、貴方達を守るために、そうするしか無かったのよ!」
ベルンドゥーは、声を荒げながら椅子から立ち上がった。頭の上で髪を団子状にしており、隣の長髪の老婆と見分けをつけるようにしているようだった。
「それも知ってます。けど、今はそんな話をするためにここへ来た訳じゃありません」
シュバイクは相手の怒りを受け流すようにして、冷たい口調で言い切った。
「何ですって!?」
老婆の怒りは治まらなかった。しかし、その隣で座るアルンドゥーが、そんなベルンドゥーを鎮めた。
「ベル、落ち着きなさい。シュバイク王子の話を聞きましょう。私達は、あの子を責められる立場じゃないわよ」
その言葉に、ベルンドゥーは失いかけていた自制心を取り戻した。
「シュバイク王子、どういう事なのじゃ。話を聞かせてくれ」
禿げ頭の老人は、シュバイクへと問いかけた。
「当初の予定では、ダゼスを殺し、ザーチェア侯爵をグレフォード家の当主に据える事で僕の後ろ盾にしようと思いました。でも、今はそれが適わない。だから、貴方達、魔道議会に僕の後ろ盾となって貰います」
シュバイクの言葉は、高圧的だった。無論、王家と魔道議会の関係を知らない訳ではなかったはずである。彼ら魔道師達は、王家に使える身ではないのだ。彼らが尽くすべきは、民なのである。
「我等に貴方の後ろ盾となれと?はっきり申し上げますが、我等はどの王子にも味方はしませぬ。貴方が起こした行動の結果、この国が内乱になろうとも、我等は中立を保つ。無論、城が攻められれば、守りはしますがな。それでも、議会として、誰かの裏に付くなどと名言する事はありませんぞ」
ふさふさ頭のアベンテインが答えた。その長い眉の奥から覗く瞳には、鋭さがあった。
「そう言うと思っていました。だから、こちらもはっきりと言わせて貰います。貴方達がハルムート将軍と結託し、アバイト王の身代わりを立てていた事を知っているのです。そして、王は今、聖堂から続くどこかの地下室で、廃人となった今も、魔法によって生き長らえさせられていると言う事も。これを公にしたら、魔道議会としては困るんじゃないんですか?」
シュバイクはブラウンの瞳で五人を順々に睨み付けていったのである。その奥には金色の光を宿していた。
「なんじゃと...そこまで知っておるのか...我等を脅す気か?」
ベルハンムは、眉間に皺を寄せていた。十代の少年一人に、五人の老人達が脅されているのだ。
「どうとって貰っても構いません。これから恐らく、兄上達と激しい戦いになる。それに負ける訳にはいかないのです。僕には味方が殆どいない。だからその味方に、貴方達がなって貰う」
シュバイクの言葉によって、室内の空気が五人の老師達の肩に重く圧し掛かった。老師達は互いに顔を見合わせて、口を開くことはなかった。しかし、その中で一段と若く、体つきの逞しい男が言葉を発したのである。
「シュバイク王子。如何に我等、魔道師達が貴方の味方をしたとしても...戦いに勝てる保障はありませんぞ。第一王子のレンデス様と第三王子のサイリス様は、グレフォード家の血を引く者。すぐに貴族達を纏め上げ、貴方に宣戦布告してくるでしょう。そして、第二王子のナセテム様と、第四王子のデュオ様は同盟国のスウィフランド元首の孫ですぞ。彼らの裏には、強力な大国がついていると言っても過言ではありませぬ。それを分かっておいでか?」
老師グラホォーゼンは、立派な顎鬚が目を引く男であった。その目つきは、歴戦の猛者そのもである。元は王国騎士であった、特殊な経歴の持ち主なのだ。
「分かっています。だから、貴方達以外にも味方を増やすつもりだ」
シュバイクの言葉に、アベンテインは鼻で笑いながら口を開いた。
「ふんっ。笑わせる。何の繋がりも縁も無い貴方に、味方する者達が他にいるとでも?」
その問いに、シュバイクは驚きの言葉で答えた。
「ラミナン卜王家とは敵対関係にある、王国内の各部族達を味方につけるつもりだ。彼らと僕達が力を合わせれば、きっと兄上達にも対抗できる」
老師達は、驚きを絵に描いたような顔で互いを見合っていた。クレムナント王国の山間部には、文明社会からはかけ離れた存在の者達がいる。彼らは、はるか昔、このラミナント城が聳え立つ平原に住んでいたのだ。しかし、初代ドゥーク・ラミナントが兵を率いて彼らを追いたて、奪い取ったのがこの土地なのである。
それからというもの、数百年の長きときに渡って、山間部の部族とは敵対関係が続いていた。数え切れないほどの戦いを繰り広げ、その度にお互いが大きな犠牲を払ってきたのである。アバイト王の時代になってからも、彼らの反乱は続いていた。小規模なゲリラ的攻撃を仕掛けてきては、鉱山などを占領していたのである。
しかし、その都度、王国守備隊や騎士達の手によって奪還されていた。クレムナント王国の民は、彼ら部族を獣人と呼ぶ。それは、会話も、和平も伝わらない動物並の知性だという、差別的表現が含まれていた。
彼らを打ち倒し、真の平和を王国へともたらそうとする王が何人もいた。だが、彼らと手を組み、共に戦おうと考える者は皆無だった。それを、シュバイクが言い出したのである。




