第七十五話 予期せぬ結末
※残虐な描写と表現があります。
「クソッ!クソッ!クソッ!クソッ!」
シュバイクは目の前の結界を、魔鉱剣で斬り続けた。それはダゼスとザーチェアを守る壁を攻撃するというよりは、抑えきれない感情のうねりをぶつけているだけのようである。
血に染まったスカイブルーの髪を振り乱しながら、無我夢中で剣を振るう。その度に、魔力と魔力の衝突で起こる閃光が、周囲を照らし出した。
「はっはっはっ。そんな剣の一本でいくら攻撃し続けようとも、この結界は破れんぞ!シュバイク・ハイデン・ラミナントよ、お前の企みは失敗したのだ!潔く諦めろ!」
ダゼスは意気揚々とシュバイクへ言った。その顔は勝ち誇ったかのようで、パープルの瞳は敗者を見下しているようであった。無論その敗者とは、シュバイクなのである。
「シュバイク王子。一つ聞かせて頂けませんか」
右手に鋼の剣を持ち、左手には鉱石ランプを握っている。ザーチェアは透明な壁一枚隔てた向こう側にいるシュバイクへと、問いかけたのだ。
「何だ!」
シュバイクは怒りをむき出しにしながら言った。打つ手がない今の状況で相手と会話を続ける余裕は、もうどこにも無かったのだ。受け入れ難い現実が、少年を苦しめていた。
「貴方は義父上を殺そうとしていたのは、分かりました。では、私はどうする御積りだったので?同じように、殺すつもりでしたか...?」
ザーチェアが一番気になっていた事だった。相手のブラウンの瞳を見る限り、その視界に収まっているのはつねにダゼスのみだったからである。自分はまるで、そこに居ないかのような扱いだった。それが気になっていたのだ。
「ザーチェア侯爵...お前を殺すつもりはなかった。ダゼスの首をとった後、グレフォード家の当主に据える代わりに、僕の後ろ盾になって貰うつもりだったんだ。僕には、兄上達と違って政治的に味方となる者達が殆どいない。だから、それにお前を利用しようとしただけさ.....今となっては、もうその計画も無意味だけどな...くそっ...」
シュバイクはついに、その場に両膝をついてしまった。目の前にいるのに、決して手が届かない相手。ダゼス・エデン・グレフォードの首を取るのに、失敗したのだ。
配下である騎士達は、きっと今も命懸けで敵と戦っているだろう。それなのに、自分が目的を達せずにここで諦める訳にはいかない。そう思ったはずである。
しかし、もう打つ手は既に何一つとしてなかった。
「愚かな奴めっ。そんな提案にザーチェアが乗るわけがなかろう!私にどれだけ恩があると思っているんだ。この男はグレフォード家の婿養子にならなければ、うだつのあがらない中流貴族の一人として、生涯を終えていたのだぞ!それを私が拾い上げ、ここまでの爵位にしてやったんだ!今はコイツは私のお陰で、侯爵だぞ!?その意味が、王子であるお前に分かるかっ!」
ダゼスはいきり立ちながら、シュバイクへと言葉を浴びせた。この男にとって、人間の価値は階級と地位によって決まるのだ。だからこそ、それを持たない者達を卑下していた。
だがその言葉を聞いている時、ザーチェアの瞳に僅かな揺らぎが見えた。それをシュバイクだけは見逃さなかった。
「ザーチェア侯爵...貴方はそれでいいのか?こんな男の下で、いつまでもこき使われ続ける人生で満足なのか?きっと貴方をボロ雑巾程度にしか思っていない。そんな男に、命をかけてまで忠誠を誓う覚悟があるのか?どうなんだ。答えろ!」
シュバイクのブラウンの瞳は、ゼーチェアのブラウンの瞳を見ていた。その奥に眠る何かを、呼び覚まそうとしたのだ。男として生きるべき価値あるものを、取り戻させる。それはきっと、誰しもが抱えている願望である。
「今さら何を馬鹿な事を!どうにもならずに、ついにザーチェアを誑かそうとしるとは!何と、浅はかな考えよっ!そんな低俗な誘いに乗るわけがなかろうっ」
ダゼスはあきれ果てた顔つきで言った。相変わらず語気は荒々しい。地面へと膝をつくシュバイクとは対照的に、七十を超えているとは思えない体の張りを見せて真っ直ぐに立っている。手に持つ杖はまるで、その存在を忘れ去られているようだった。
「わ、私は......義父上に感謝をしている。グレフォード家に婿養子となって入らなければ、私はきっと、本当にうだつの上がらない男として一生を終えていただろう...だが...私も男だ!私はもう、小間使いのような事はしたくない!私は...私は...私は...ザーチェア・エデン・グレフォードとして、その名を歴史に残したいのだ!義父上の義理の息子としてではなく!」
ザーチェアはついに、その本心を露にした。今まで、どれだけの我慢を強いられてきたのか。それは、本人にしか分からない。しかし、このダゼスと言う男の下で生きるというのは、誰が見ても大変な苦労があったというのは一目瞭然である。
「な、何だと...?貴様...私にどれだけの恩があるか分かって言ってるのか!お前は私の下僕と同じ!お前に自由な意思など無い!私の言いなりになって、与えられた仕事をこなしていればいいのだ!この恩知らずがぁっ!」
ダゼスは手に持っていた杖で、ザーチェアを殴りつけようとした。
その杖は日々、使用人や召使と言った者達を叩くためだけのものだったのだ。そしてザーチェアも、グレフォード家に入ってからの数十年間で数え切れないほど殴られてきた。
「黙れぇぇっ!」
ザーチェアはついに、切れた。ダゼスの振り上げられた杖を右手の剣で振り払う。そして次の瞬間だった。
「な、何をするっ!?ぐふっ...」
鋼の剣の切っ先が、ダゼスの細い体を貫いた。そして内臓を抉りながら、あえて相手を痛めつけるように刃先をぐりぐりと動かした。
「ぎぃいいあああぁぁぁぁぁ!」
ダゼスは悲痛なる叫びを上げながら血を吐き出す。結界陣の内壁には、大量の血が飛び散る。それが重力に引っ張られるかのように、下へとたれ落ちていく。
「私はお前の所有物ではないっ!私は私だっ!ザーチェア・エデン・グレフォードだっ!今日から、私がグレフォード家の当主になるのだっ!お前を殺してなぁぁぁぁっ!」
ザーチェアの顔は狂気に包まれていた。温厚な男だったはずである。しかし、溜めに溜めた怒りと憎しみが一気に爆発したのだった。
貫かれた剣は臓物を引き裂いた。抜き去った剣を、何度も、何度も、ダゼスの体へと目掛けて刺し込んだ。それはまるで、今まで叩かれ殴られてきたのを相手にそのまま返すようだった。
シュバイクはそんな光景を目の前で見ながら、ただ唖然としていた。ここまでの結末を予期して、ザーチェアの抑え込まれていた感情を刺激した訳ではなかった。ただ、結界陣を解かそうとしただけだったのだ。
「はぁ...はぁ...分かった!これが私だ!私の本心だっ!私はもう誰にも縛られない!一人の男として、この名を歴史に刻み込んでやるのだ!」
息絶えたダゼスへと向かって、ザーチェアは吼え続けた。まるで動物のようである。瞳は見開き、白い肌には至る所に紅い血がついていた。着ていた真っ白なシルクの寝巻きも、今は赤へと色を変えていた。
臓物と肉片が飛散し、結界陣の中は見るに耐えない状態だった。シュバイクはあまりの悲惨な光景に目を逸らした。見ていられないほどに痛々しいザーチェアの姿と、吐き気を催すほどのダゼスの無残な姿。この二つは、シュバイクの脳裏へと焼きついた。
血まみれになった男は、ついに結界陣を解いた。
「結界陣・解。シュバイク王子...これで私は...グレフォード家の当主...ですよね?」
ザーチェアは血に染まる剣を片手に持ちながら、シュバイクの前に立った。だが、当のシュバイクは頷けなかった。明らかに目の前の男は常軌を逸している。崖っぷちで支えていた精神が、崩壊してしまったかのように感じたのだ。
そんな男を自分の後ろ盾として利用するなど、到底出来もしないと感じていたのだ。だから、シュバイクは思わず口を噤んでしまった。
「何故だ!何故、何も言わない!私がダゼスを始末したんだ!感謝の一つくらい、述べたらどうだ!お前の敵だったのだろう!?それを私が代わりに殺してやったのだぞ!?今日から私と貴方は互いを守り合い、同胞として生きていくのだ!私はグレフォード家の力を使って、貴方を王にしてやろうではないか!その代わり私へ敬意を払え!その代わり私へダゼス以上の権威を与えろ!それが、私からの条件だっ!」
ザーチェアは人が変わったようだった。ダゼスを殺した瞬間。まさに、己がダゼスに成り代わったかのようだったのである。それはすでに、シュバイクの望む形ではなかった。だから、新たな火種を生まないためにも殺るしかなかったのだ。
「すまない!許してくれ!ハァァ!」
シュバイクは魔鉱剣を握り締めると、声を張り上げた。そして一気に剣を振り抜いたのである。
「な、なんでだ...私は...お前の望む...通りに......」
首に一筋の線が走る。やがてそこから血が噴出し、首は芝生へと落ちた。身体はほんの僅かに遅れて、大地へと倒れた。
「ぐぅ...どうして...どうして...何一つ上手くいかないんだ...こんなはずじゃ...なかったのに...」
屍と化した男の前で、シュバイクは静かに涙を零した。
今日一日で、あまりにも多くの人間を殺めた。その反動が、今、返って来ていたのだ。思い描いていたこの先の未来は、全てが崩れていった。浅はかだった。といえば、それまでかも知れない。
しかし、シュバイクはシュバイクなりに考えて、行動を起こしたのだ。だが結末はどれも、理想としていたものとはかけ離れたものだった。
ウィードを殺し、ハルムートまでもを手にかけた。そして、最後に殺すべきだったダゼスは、ザーチェアの手によって息絶えた。
何の恨みもない相手を手にかけてまでして、一体自分は何を得ようとしているのか。次から次へと新たな血で染まっていく手。その手を見ながら、シュバイクは己の心に問いかけていた。果たして、自分の進むべき道は正しいものなのか、と。




