第七十話 ウィリシスの弱点
「ハァァァァァァッ!陣閃光・覇突ッ!」
金色に輝く槍の穂先が、門を守る魔坊壁と衝突した。そして、魔力と魔力がぶつかり合い、凄まじい煌きを放ったのである。
「ぐぅぅぅぅっ!」
門一枚隔てた所に立つ魔道師のインドルは、両手の平を前へと突き出している。その顔は奥歯をかみ締めながら、何処か苦しそうである。全力で持ちうる魔力を魔坊壁へと注ぎ、反対側から突き破ろうとする攻撃に必死で耐えているのだ。しかし、それは長くは持たなかった。
「ウァァァァァッ!」
ウィリシスが声を上げた。そして、次の瞬間。門の前に立ちはだかる青き壁をついに打ち破ったのである。
「何だとっ!?」
インドルの腕には胴の腕輪が填められており、そこには魔鉱石と思わしきものが散りばめられている。その腕輪が七色の輝きを放っていた。
ウィリシスが壁を貫いた槍によって、魔坊壁と門は破壊された。そしてその勢いを持って、壁へと魔力を注いでいたインドル目掛けて突進したのである。
「何っ!?」
インドルの横を、一筋の光が走った。空で何かが舞った。そして石畳へと落ちる。それが、身体から離れた右腕だとは気づいていなかった。
「ハァァァァッ!」
違和感に気づいた時、次に飛んだのは首だった。後方から駆け抜いてきたシュバイクが、寸分の狂いなく、魔獣の背から魔鉱剣を振りぬいたのだ。そして、その刃が胴体と首を見事に切り離した。
石畳へと落ちた腕と首。そして、数秒遅れて身体が倒れる。
「イ、インドル導師っ!」
門を守備する私兵が叫ぶ。しかし、その者達へと、さらに後方から駆けて来た騎士が襲い掛かる。次々と振りぬかれる剣によって、鉄で出来ているはずの鎖帷子は見事に切断される。
全ての騎士達が門を抜けると、そこは血の海と化していた。肉塊となった者達が、無残な姿で転がっているのだ。
「ハッ!イエァッ!セイッ!」
シュバイクは魔獣の胴体を蹴り込んだ。そして、前を駆けていたウィリシスの横へと並んだ。
「ウィリシス、聞いてくれ!ダゼス公爵は殺すが、ザーチェア侯爵は生かしたまま捕まえたいんだ!」
魔獣の背から、シュバイクは隣で駆けるウィリシスへと言った。
「ザーチェア侯爵は生かしてよいのですかっ!?ダゼス公爵共々、首を取ったほうが後々もめずにすむのでは?」
風きり音の中にかき消されないよう、大声で互いが言葉を交わす。暗闇の中を駆ける二人の身体は、光の鎧によって直も、美しく輝き続けていた。
「僕に考えがあるんだ!だから、ザーチェアは殺さずに生かして捕まえてくれ!」
「分かりました!しかし、そう簡単にいくかどうか!我等が敷地内へと侵入しているのは、すでに敵に知られているはず!」
ウィリシスが、シュバイクの言葉に答えた時だった。突如として、その身体が宙へと投げ出されたのだ。ほんの数秒だったはずである。しかし、本人の体感していた時間は、もっと長かったかも知れない。
命に関わる危機的状況に陥った時、人間の脳内では本来の速度よりも数倍以上で、情報を伝達して処理する能力が働く。命の危険に晒された肉体を守るべく、その状況を何とか無事に回避しようとするからなのだ。
しかし、普通の人間は、その引き伸ばされた時の中で、肉体を動かす事など出来はしない。身体が強張ってしまうからだ。だが、幾度となく死地を経験してきたこのウィリシス・ウェイカーにとっては、それは慣れた感覚だった。
「くっ!」
空中で体勢を立て直しながら、何とか着地する。魔獣の駆け抜ける速度からの勢いによって、そのまま数メートルほど石畳の上を滑った。そして、やっとの思いで止まった時である。そこで初めて、状況を理解したのだ。
ウィリシスの乗っていた魔獣ガルディオンの首は綺麗に切断され、胴体と分離していた。その断面からは青き血を流していた。五メートルほど後方には、その首が落ちていた。
「ほぅ、やるなぁ...不意を突いたつもりだったが、見事な反射神経だ。恐れ入る」
目の前には、男が立っていた。
顔の至るところに傷跡がある。ブラウンの髪を後ろに流し、顎には髭を生やしていた。鋼鉄の鎧を右肩と胸に装備し、動きやすいように改良を加えているようだ。下半身は獣の皮の腰巻と、布のズボンにブーツを履いている。
そして、その手には刀身が細長い大剣を持っていた。クレイモアと呼ばれるものである。叩き切る事を前提とした、接近戦用の大剣なのだ。形だけを見ると、十字架のようにも見える。しかし、黒光りするその鋼鉄の大剣は、敵に慈悲など一切与えない。
この男は、その大剣を使って、魔獣の首を切り落としたのだ。刃にはガルディオンの青い血がべっとりと、付いていた。恐らく、道の両脇に立ち並ぶ木々の陰に隠れて、不意を突いたのであろう。
そんな男へ、ウィリシスは剣を構えた。目つきは鋭い。目の前の男に只ならぬ気配を感じ取ったからだ。
「ウィリシス!大丈夫かっ!?」
シュバイクが魔獣を止めると、ウィリシスの元へと戻ってきた。あまりの突然の事に、魔獣が足を止めずに、駆け抜けていってしまったのだ。しかし、隣にいた男が消えた事で、引き返してきたのである。
「私は大丈夫です。すぐに後方からも部下が来ます。ここは私に任せて、貴方は邸宅へと向かって下さい。早くいかねば、ダゼスが逃げるかもしれません!」
ウィリシスは目の前の男へと視線を向けたまま、問いかけに答えた。
「わ、分かった。じゃあ、ここは任せた!」
その言葉に、シュバイクはすぐさま魔獣を駆けさせた。
「なるほど。お前があの、輝きの騎士と呼ばれている、ウィリシス・ウェイカーか。これは嬉しいねぇ。クレムナント王国始まって以来の天才騎士と、手合わせ出来るとはなぁ」
男は気の抜けたような言葉尻であった。しかし、身体から放たれる魔力は、歴戦の猛者そのものである。ウィリシスはそれを肌で感じ取っていたのだ。
「ウィリシス隊長!加勢いたします!」
後方から遅れて駆けてきた騎士達が、ウィリシスの元へとたどり着いた。
「手を出すな!お前達はシュバイク様を追え!ここは、俺一人で十分だ!」
ウィリシスがそう言うと、騎士達はその命令に速やかに従った。二人を避けるようにして道から茂みへと向かい、回りこんで行ったのである。そして、邸宅へと向かって駆け出した。
「まさか...さっきのはシュバイク王子か?騎士を引き連れてダゼス様の命を奪いにくるとはなぁ。恐れ入ったよ。辛気臭い餓鬼だと思ってたのにな。それにしても残念だ。シュバイク王子の魔獣を殺しておけば、俺の相手は奴になってたのにな。運が無いぜ」
男はそう言いながら、魔獣の血に染まった剣を空で振り切った。すると、その一振りで、全ての血が綺麗に飛び散ったのである。凄まじい剣速であった。重さ数十キロはあろうかと言う大剣を、普通の剣のように軽々と扱う。それを見ただけでも、相当な腕の持ち主である事は明白であった。
だが、ウィリシスの顔つきは、殺意に満ち溢れた恐ろしいものへと変化していた。
「貴様...私の前でシュバイク様を侮辱するとは、いい度胸だ。その言葉、必ず後悔させてやる」
ウィリシスの銀褐色の瞳は見開いていた。皮の軽鎧しか身に着けていないために、相手の武器を一撃でも食らったら、それが致命傷になるのは避けられないだろう。それでも、歩を進めて、その男へと躊躇なく近づいて行く。
「おお、怖い怖い。怒らせちゃったかねぇ?見た目だけでチヤホヤされてた餓鬼だろ?あんな甘っちょろい奴が、ダゼス様を狙うとは...笑っちまうな」
男の口ぶりは、相手を挑発するかのようなものだった。そして、その挑発に、ウィリシスは簡単に乗ってしまったのである。
「黙れっ!」
一瞬にして相手と距離を詰める。そして、その首目掛けて魔鉱剣を振り払った。だが、男はその攻撃に見事に反応していた。腰を屈め、回避したのである。そこから下半身に力をこめて踏ん張ると、相手へと体当たりした。
「オラァッ!甘いぜっ!」
「うっ!」
ウィリシスは後方へと押し倒された。そこへ間髪入れずに、男は右手で持っていたクレイモアを振り下す。
「おらっしゃああっ!」
石畳が砕けて、飛ぶ。凄まじい衝撃と音。そして、土が降り注ぐ。だが、ウィリシスは避けていた。光速で動くと、相手の背後へと周り込んだ。そして、その首筋目掛けて、一気に剣を振り抜く。
「甘ぇ!」
またもや男は屈んだ。それと同時に、ウィリシスの腹部へと蹴りを放った。
「ぐふっ!」
完璧な鳩尾への一撃だった。一瞬、息が止まるかのような強烈な衝撃に走り、全身が硬直した。
「しゃああっ!」
ウィリシスが怯んだ隙を見逃さなかった。地面へと食い込んだ剣を抜き去る。そのままライトイエローの頭へ目掛けて、振り向きざまに、大剣を斬り下ろす。銀褐色の瞳に、鋼鉄の剣の刃が写る。そして次の瞬間、紅き血が飛び散った。
恐らくこの男は、戦士型の剣士なのだろう。魔力を肉体の強化全てに注ぐ事で、常人離れした反射神経と力を発揮するのだ。数十キロは在ろうかという大剣を軽々と扱い、全ての魔力は敵を叩き切る事に注いでいる。
でなければ、硬質な鱗で覆われている魔獣の首を切り落とす事等とは、到底出来る芸当ではない。太い首を切断する力と、寸分野狂いなく剣を振り下ろす技術。これが相まって、この男の強さとなっているのだ。
「ぐっ!うぐぉぉっ!」
ウィリシスは敵の大剣を魔鉱剣で何とか受け止めたていた。しかし、その勢いと力に、相手のクレイモアの威力を殺しきれず、右肩へと刃が食い込んでしまっているのだ。
肉が裂け、血が流れ出る。悲痛な声にを漏らしながら、刃を押し返そうとしている。
「うぉぉぉらぁぁぁぁっ!」
男はさらに力を込めながら叫んだ。一気に大剣を押し込む。数ミリ程度だが、明らかにウィリシスの肩へと刃がめり込んで行く。
ウィリシスの誤算だった。
相手の力量を測るために、あえて初手は光の鎧のみで対応した。これが一番の悪手となってしまった。この後、グレフォード家への邸宅へと進み、戦いを続けなければならないウィリシスにとって、少しでも魔力は温存しておきたかったのだ。だが、それが今の結果を招いてしまったのである。
相手の力量等、推し量るべくもなく、速攻で息の根を止めにいっていればよかったのだ。先制攻撃に優れたウィリシスの能力故に、対応が後手に回ると、追い込まれかねないのだ。
「知っているぜ!アンタの得意とする光速の魔法の弱点をなぁ!光の如き速さで移動できるのは、脱力状態から一気に魔力を体内で爆発させ、対外へと発散しているからだろ!?だったら、絶えず攻撃を仕掛け続け、肉体へと負荷を与えてやればいい!それだけで、アンタは簡単に追い込まれて行くんだっ!」
男は語気を強めて言うと、大剣を握る柄に力を込める。すると、さらに右肩へと食い込んだ刃から、血が噴出した。
戦いとは、強い魔法や、力、技術だけが物を言うのではない。数多の経験と、培った知識が、命を懸けた戦闘では生死を分けるのである。そして、その経験という一点においては、ウィリシスより、この男が遥かに勝っていたのだ。




