加筆 3 夢の奥へ①
愛情を受けて育っていない者は、まず愛情の与え方を学ばねばならない。なぜならば愛情を人から受けるには、与えねばならぬからだ。
詩人 エルゲン・デルドゥー
「うん...美味いな。最近はどうだ?お前達。しっかりと勉学と剣術訓練に励んでいるか?」
王子と王妃は、黙々と目の前の食べ物を口に運ぶ。静かな食卓である。普通の一般家庭ならば何か会話があるものなのだが、それを知らない男は、いつもどうしていいのか分からずに拙い話を息子達に投げかけるのであった。その違和感を感じ取るシュバイクが、この場を苦手と思うのも仕方のない事なのかも知れない。
「私は帝王学に興味を持っております。後々は父の傍らで、支えになればと思っております」
アバイトの近くに座るレンデスは、切れの良い言葉で言った。その口調には、自分の意図を汲み取らせようとしている僅かな打算が感じられる。しかし、父という立場になったアバイトは、普段の国王としての姿からは程遠い凡愚であった。
「そうかそうか。レンデス、お前は、頭が良いからな。しっかりと励んで国のために尽力すのだぞ。ナセテムはどうだ?」
レンデスの横には、第二王子のナセテムがいた。ナセテムは坊主頭に緋色の髪で、顔の彫りが深く、瞳は舞台役者の様な異様な目力がある。それは祖父でもある、ガルバゼン・ハイドラの眼によく似ていた。
ナセテムの母ヨークウェルは、水中都市国家スウィフランドの元首ハイドラの娘である。そのため顔つきも、やや頬骨が出ており、顎も鋭さよりは頑丈さを重視したようであった。
「普段と何も変わりません。日々精進し、父上のお役にたてるよう己を磨き続けております」
ナセテムは淡々と答えた。他の兄弟と比べると、自分の感情というものをあまり表に出す事がない。 シュバイクとはまた違った意味で、深い闇を抱えていそうな顔つきではある。王宮内では、多くを語らない無口な王子と見られていた。
「そうかそうか。ならば良い。お前は人一倍実直であるからな。頼もしいぞ。サイリス、お前はどうだ?」
刻々と近づいてくる自分の番。シュバイクはどんなに美味な料理を口へと運んでも、食堂を通ると鉛の塊にしか感じなかった。グラスへ手を伸ばす。何度も冷水を口に含み、喉の詰まりをとる様に流し込む。
第三王子サイリスはペアネクンの次男で、レンデスの実の弟である。兄と母同様に紫の瞳をしているが、髪色は父アバイトと同じダークブラウンであった。
レンデスとサイリスの母であるペアネクン妃は、大貴族であるグレフォード家の当主ダゼス公爵の娘である。そのためか、レンデスは貴族の持つ風格を備えた顔立ちをしていた。
肌は一段に白く、鼻はすらっと天頂部分が高い。そして眼はきりっとした眉の下で大きな紫の瞳を備えている。性格は兄であるレンデスとは正反対で非常に社交的で明朗な人格である。
次男特有の我侭な一面を持ってはいるものの、物事に対して積極的で頭で考えるよりは、身体が先に動くタイプである。そして何よりも、兄と比べると温厚な人物であった。
「はい。私も兄上同様に、日々精進し邁進しております。それで、父上にお願い事があるのですが」
サイリスは明快な言葉で答えながら、視線の先を向かい側に座る母ペアネクンに向けた。その視線と合ったペアネクンは息子が意図する事を察したのか、アバイトに機先を制する様に割って入った。
「サイリス、駄目だと言ったでしょ。貴方は時代を支える国の大事な王子なのよ。その事は諦めなさいと言ったでしょ」
鋭い眼つきでサイリスの方を睨み付けながら、やや耳の奥が痛くなる甲高い声で言い放った。ペアネクンは自分の息子である兄レンデスよりも、弟であるサイリスへ偏った愛情を注いでいた。
それは長男であるレンデスに、自分の父であるダゼス・エデン・グレフォードの持つ狡猾さを感じていたからである。そしてその狡猾さと、育つ過程で刻まれた卑屈さが、ペアネクンには嫌悪する対象として瞳に映っていたのだ。
「母上。私はもう子供ではありません。自分で色々な事を体験したいのです。それに私は、今、父上に聞いているのです」
そう言いながら、父であるアバイトの方に視線を戻した。恐らく何度と無く、この様なやり取りを交わしてきたのであろう。サイリスはこの話題について、母であるペアネクンとこれ以上議論をする気はないようである。
「な、なんて態度なの!この様な場で!」
頬が紅潮し、呼吸が速くなった。大貴族であるグレフォード家の長女として、何不自由なく育って来たペアネクンにはサイリスの望むことが何なのかさえも分からないのである。高級な装飾品や衣服に囲まれた生活の中で、自分の創造力の欠如を気づかぬまま放置してきてしまった代償であった。
「ペアリー、良い。サイリスの話を聞こうではないか」
アバイトが妃であるペアネクンを愛称であるペアリーと呼ぶのは、普段人前ではしない事であった。それは制御不能な感情を剥き出しにした妻を抑えるために、不意にでたのか。それとも相手を制するためであったのかは分からない。他の王子や妃は、静かに事の成り行きを見守っている。
「サイリス、さぁ話してみなさい」
ペアネクンの制止を抑え、アバイトは息子の言葉を促した。
「はい。有り難うございます。実は私は前々から、採掘現場での仕事を体験してみたいと思っていたのです。現在クレムナント王国の鉱石輸出量は年々少なくなっております。そのため現場での採掘効率の向上を図る必要があると常々考えておりまして、彼らの仕事を直に体験する事によって、その原因の解明が出来ればと思っております。どうか父上、認めてはいただけないでしょうか?」
室内に居る者が全員サイリスの方を見合った。まさか、そんな事を言い出すとは思いもよらなかったのである。採掘師の仕事とは、常に危険と隣り合わせである。危険な採掘現場での事故も後を絶たなかったからだ。
そのためクレムナント王国では常に技術の向上を図り、その犠牲を最小限に抑えるよう努力をしてきたのであった。しかしペアネクンが賛成しかねる理由は、採掘師の仕事自体が、階級の低い者達が多く就く仕事であったからなのである。
「そうか...まさかお前がそんな事を言い出すとはな。たしかに我が国では現在の鉱石の輸出量は年々減っておる。しかしそれは合えて、採掘量を落として輸出を制限しているからなのだ。貴族や商人達はより多くの資源の確保をと言い、採掘場の拡大を唱える者も多く居る。しかし、私は今、この国の採掘率は安定期に入っているものだと思っておる。確かにより多くの収益を得るには、採掘率の向上を計り、必要とされる鉱石を輸出し続けるのが一番だろう。だが、世界で必要とされている汎用鉱石の量を見誤れば、それは後々に我々自身の首を絞める事になるのだ。私はそれを強く危惧しておる」
アバイトは手元にあるグラスを手に取った。そして冷水を少量口に含むと、ゆっくりと飲み込んだ。そして、一呼吸置いてから話を続けたのである。
「お前達には常々言っておる様に、大事なのは経済の均衡なのだ。我が王国のように資源国と言うものは、一時的な利益の追求だけに目を奪われては絶対にいかん。それが国内外からの反感を買おうともだ。利益を追求したあまりに、他国との衝突を招き、戦争を起こし、そして滅亡に追い込まれた国は数しれんのだ。クレムナント王国の王は、いかに周辺諸国と共存をしながら、自国を次の世代に引き継いでいくかを考えねばならん。それが分かった上でと言うならば、サイリス、お前の望みを認めても良い」
「あ、あなた!駄目よ!あんな危険な所に子供を行かすなんて!それにあんな薄汚い場所は、高貴なる人間が行く所ではないわ!」
ペアネクンが、室内の壁を突き破らんばかりの甲高い声で言った。
「ペアリー...良いか。我が子が自分の人生の指針を示した時には...私達は背中を押してやらねばならん。それが親の役目と言うものだ」
アバイトはペアネクンを宥めると、視線をサイリスの方へやった。
「サイリスよ。私の言った事を理解したのならば、採掘現場での実地訓練を認めるとしよう。しかし、危険な区画での採掘作業には十二分に気をつけるのだぞ。いいな、分かったか?」
半分は王として、もう半分は父として複雑な思い巡らせていたはずである。だがそれ以上に、アバイトは息子の成長を頼もしく思ったに違いない。
「はい。分かりました、父上。有り難うございます」
レンデスは綻ぶ表情を抑えながら、軽く頭を下げた。
「わ、私は納得できませんわ!気分が悪いので、今日は部屋で休ませていただきます!」
ペアネクンは、二人の会話の余韻を遮る甲高い声を放った。そして、顔を引きつらせ、怒りと憎しみに満ちた表情を浮かべた。
「ペアリー!待ちなさい!」
アバイトが声を掛けるよりも早く、胸元に掛けてある純白のナプキンを取り去ると、そのまま立ち上がり部屋を後にしてしまった。それはまるで親に欲しい物を買ってもらえない駄々っ子が、ふて腐れる様な態度である。
「はぁ...まったく困ったものだ。息子達よ、この機会に言っておく。何かやりたい事や、思う事があるならば遠慮なく言いなさい。私は今までのクレムナント王国の王族の風習や、慣習など取るに足らない物だと思っておる。そんなもののために、お前達の若い力と才能を潰したくないのだ」
王子達五人は静かに父の言葉に聞き入っている。普段、自分の思いを直接伝えるが不器用な男なりの必死の言葉であった。
「でも、忘れないで欲しいわ。先ほどペアネクン妃が言った言葉も、子を持つ親としての愛情があってのもの......そうよね、あなた?」
アバイトの言葉を繋げるように、ゆっくりと聞き心地の良い柔らかな声でレリアンが口を開いた。
「あ、ああ。もちろんだ。愛しているゆえに、過剰な心配もしてしまうものが親と言うものなのだ」
レリアンは会食時や、王族、貴族などが集まる社交場では滅多に自分の考えなどを口にしない。それは自分が平民出身でありながら、王の妃としての立場に就いている事への周囲の批判を理解しているからであった。
そんなレリアンが突然口を開いた事に、アバイトは思わず驚いた。
国王であり、子を持つ親である。そんなアバイトの感情表現の不器用さを知っているレリアンだからこそ、言えた言葉。どんな時にでも周囲への些細な気配りや思いやりを忘れない、そんな女性だった。
アバイトはレリアンを愛していた。決してその他を照らすような外見的な美しさではなく、一人の女性としての資質を、である。
話を終えたアバイトは、視線を次の王子へと向けた。それは、サイリスの隣に座るデュオである。
第四王子のデュオは、ヨークウェルの次男であった。ナセテムの実の弟で、兄と同じく赤茶色の瞳をしていた。しかし、髪はダークブラウンで、父のアバイトと同じである。母方の血が色濃く出ているナセテムと比べると、顔のパーツのどれを取っても父にそっくりなのがデュオであった。
「デュオ、お前はどうだ?何かやりたい事などあるか?」
俯き加減のくりっとした眼が、覗き込む様に父の方へ向いた。髪は後頭部を刈り上げており、上全体はやや眺めである。まるで傘のような髪型であった。
鼻は大きく頬も肉付きが良い。やや肥満体に近い様に見える。しかしそれは他の兄弟達と比べるとであり、決して太っている訳ではい。骨格が美しい流線型の様になっているシュバイクなどとは違い、がっしりとしていた。
「ぼ、僕は毎日を必死にこなすのが精一杯なので、これといった望みはありません。あえて言うなれば、一日でも早く兄達に追いつきたい...と思っております」
低い声でぼそぼそと話すため、辛うじて聞き取れるほどの音量であった。アバイトはデュオを見るとつい、若き日の自分を重ねてしまうのだ。それはどの兄弟よりもデュオがアバイトに似ていたからであるし、どの兄弟よりも劣る部分を持っているからである。
「そうかそうか...立派な心がけだな。それで良いのだ。自分の出来る事を精一杯やるのだぞ」
そんなデュオへ、無意識に他の兄弟よりも思い入れを強くしてしまう。だが、それを父であり国王でもある立場から、アバイト自身は必死に抑えていた。兄弟でありながら、王座を争う好敵手でもある息子達に、愛情の偏りともとれる態度を見せる事は出来ない。例えそれが王位とは関係のないものだとしても、やはり国王である立場をいつ如何なる時も忘れる事は出来ないのであった。
「はい...頑張ります」
デュオは父の言葉に答えると、黙々と食器に乗る料理を食べていた。デュオとアバイトが会話を交わしている間中も、シュバイクは自分の番が回って来た時の事を考えて頭が一杯であった。国王であるアバイトの事は誰よりも尊敬をしていたし、一種の憧れも持っていた。
歴代の国王の中でも、階級意識が高い貴族や王族達の偏見した考えを押しのけ、常に民衆や王国にとっての利益を考えてきたからである。しかし、事父親となったアバイトは、やはり完璧な存在とは程遠いものでしかなかった。
面と向かって会話をする事は週に一度あるかないかであり、その会話の内容も親子とは到底言える様なものではなかったからである。だからこそ、心の奥底では父との繋がりを誰よりも欲していた。だが、いざその時になると、伝えたい思いも感情も上手く表現出来ないのであった。それがもどかしく、時に苦しくシュバイクの胸を締め付けていたのである。
「シュバイク、お前はどうだ?」
アバイトがぐりっとしたダークブラウンの眼を、スカイブルーの美しい髪を持つ端整な顔立ちの王子へ向けた。
「は、はい。えっと......」
シュバイクが何かを口走ろうとした時である。室内の平穏を打ち壊す騒々しさで、一人の騎士が装飾品で美しく飾り付けられた両開きの扉を勢いよく開けた。
「国王様。お食事中に失礼致します。ご無礼をお許し下さい。緊急事態が発生致しました」
銀色の甲冑に身を包み腰には魔鉱剣を下げている騎士は、方膝を床へ付いた。顔には数多の傷があり、肌は日に焼けた小麦色をしている。全身から滲み出る雰囲気は、歴戦の猛者そのものである。
一同は突然の来訪者へ一旦驚きはしたものの、アバイトの顔つきはすでに先ほどの父親の顔から、クレムナント王国の王の顔へと変っていた。
「ダイアムか。何事だ?」
徐に首元に掛かるナプキンで口元を拭くと、鋭い眼つきで騎士ダイアムへ問いかけた。
「南の採掘場がハドゥン族よって占拠されました。敵は採掘師を坑道内に閉じ込め、人質にしております。この件に関し、ハルムート様が国務室にて王をお待ちしております」
騎士は顔色一つ変えずに述べた。
「そうか。分かった。直に行く。ダイアム、お前は魔道議会への協力を要請しておけ」
ダイアムは王の命を聞くと、颯爽と部屋を後にした。騎士の去った室内には一瞬、重苦しい空気が流れた。しかし、事の重大さを理解している各人の動きは早いものであった。アバイトは椅子から立ち上ると、肥満体を軽やかに弾ませ扉から出て行った。その後に続くようにレンデス、ナセテム、サイリス、デュオ、シュバイクも部屋を後にした。
室内にはオルガブッリティッラの芳醇な香りと、心配そうな顔つきで王と王子を見送るヨークウェルとレリアンのみが残っていた。