第六十六話 狂い始める現実
「ぐはっ...」
シュバイクの振り下ろした剣は、ハルムートの右肩から胸を通り、そして腹部までを切り裂いた。
「はぁ...はぁ...はぁ...」
ブラウンの瞳は見開いており、柄を握る手は震えていた。
「何故、軌道を変えたのですか?私の首を切り落としていれば、それで終わったものを...うっ...」
傷は深いが、ハルムートは一命はを取り留めていた。その場に膝を落として、手を床についている。
「憎い...ハルムート将軍...お前が憎いはずなんだっ!」
剣の先からは赤い血が滴り落ちていた。ハルムートの目の前に立つシュバイクは、自分に言い聞かせるように言ったのだ。しかし、その相手を一撃で殺す事はできなかった。
「ならば、やるがよい!シュバイク・ハイデン・ラミナントっ!お前が大切な者を守りたいという気持ちは、その程度なのかっ!」
ハルムートは相手を挑発するように言ったのである。その言葉に、シュバイクは我を失った。そして、最後の一撃を加えるべく、次こそ首を狙って剣を振り下ろしたのだ。
「!?」
しかし、その剣は金属音を発しながら、ハルムートの眼前で止まった。何が起きたのか、それを理解するよりも早く目の前に男が現れたのである。
「ここで、今、この男に死んでもらっては困るのだ」
その男は長いライトグリーンの髪を靡かせ、鎖帷子の上に真紅の胴衣を着ていた。それは紛れもなく、王国守備隊長のアーク・ウィードだったのである。
姿隠しの魔法で、ハルムートと共にシュバイクの部屋へと入ってきていたのだ。そして、シュバイクの振り下ろした剣を止めたのは、ウィードの魔鉱剣だった。
「ウィード...守備隊長!?何故、お前がここにいるのだ?私は、着いて来いなどとは...言っておらんぞ!」
ハルムートが一番驚いていたかも知れない。部下であるウィードに命じていないのに、その場へと密かに潜入していたのだ。傷口から血を流しながらも、不意に現れた部下である男へと言ったのである。その瞳には気力が満ちていた。深手を負った男の目つきではないのは確かである。
「勝手な事ながら、どうしても気になってしまいましてね。私は王国を守る守備隊長。貴方を守るのも、当然の役目で御座います」
ウィードはそう言ったが、シュバイクには全て分かっていた。裏切り者であるこの男が、ハルムートの後を着けて、この部屋へとやってきた理由を。
「アーク・ウィード!お前が何でこの部屋にいるのか、僕には分かるぞ!」
シュバイクは目の前に現れたウィードに、殺意を抱いていた。自分が一番殺したかった相手が、在ろうことか自分から姿を見せてくれたのだ。
ハルムートへの恨みもあったが、ウィリシスの左目を抉り取り、彼を大いに傷つけたこの男を一番に憎んでいたのだ。そして、自分が過去へと戻った時、ウィードだけは何が何でも己の手で始末をつけようと決めていた。
シュバイクはハルムートから、その視線をウィードへと移した。そして、魔鉱剣をライトグリーンの長い髪の男へと目掛けて、振り抜いたのである。
剣と剣がぶつかり合い、激しい火花が散った。互いはにらみ合いながら、言葉を交わす。
「シュバイク王子。話は全て聞かせて貰いましたぞ。貴方は私が殺すべき相手であるようだ」
ウィードは隠していた本性の一端を垣間見せた。
「お前だは殺す!じゃないと、ウィリシス兄さんが苦しむんだっ!」
シュバイクは力の限り、相手へと刃を押し込んだ。その勢いに、ウィードは後ろへと足を引いた。しかし後方には、テラスの石の柵があるのみ。それ以上下がる事はできない。
「ならば、下でケリをつけましょうぞ。ここでは、聊か狭すぎるっ。風の鎧!」
ウィードはシュバイクの剣を己の剣で受け止めながら、呪文を唱えた。すると、その身の周りに大きな風が舞ったのである。
「くっ!?」
シュバイクはその風により、ほんの一瞬だが、剣圧を緩めてしまった。その僅かな隙をつき、ウィードはあえて柵を飛び越え、そのまま下へと落ちていったのだ。
「蒼空の翼!我に力をっ!」
相手に誘い込まれるかのように、シュバイクも呪文を唱えた。すると、その背中に小さな白い翼が生えたのである。そして、柵を飛び越えると、ウィードを追いかけるように闇の中へと消えていった。
「シュバイク王子っ!」
ハルムートが呼びかけたが、その声が届く事はなかった。
二人が落下した先には、宮内の広場があったのだ。そこは、普段、シュバイク達が剣術訓練に使っている場所である。広々とした敷地内には、視界を遮るような邪魔な物は何一つない。
先にその場へと降り立っていたウィードの前に、シュバイクが着地した。
「シュバイク様。まさか貴方が既に、王家の力に目覚めていたとは...俄かには信じがたいですが、本当に未来を視て来たのですか?」
ウィードは興味深げに問いかけた。
「ああ。視て来たさ。ウィード、お前がこの国の裏切り者だっていうのも知っている!水中都市国家スウィフランドの人間だという事もなっ!」
シュバイクの顔は、怒りに満ち溢れていた。その激情に身も心も支配されているようだった。
「そこまで知っているのか...ならば、やばり貴方は殺さねばならないな。今なら、将軍へと刃を振りかざしたとして、大義名分の下に始末できる。これは私にとって願ってもない絶好の機会だ!」
ウィードはそう言うと、魔鉱剣を構えた。それに反応するように、シュバイクも剣を構える。
二人の間を、僅かな沈黙が包んだ。そして、両者が動いた。
「疾風の瞬き!」
「光の鎧っ!」
二人が同時に呪文を唱えると、その姿は消えた。そして、夜の暗闇の中に、剣と剣が衝突して生まれる金属音だけが響き渡ったのだ。
二人が広場で激戦を繰り広げている最中、シュバイクの部屋へと一人の男がやってきていた。それは、レリアンとの食事を済ませた、ウィリシス・ウェイカーである。
部屋の前へと辿り着いた時、何故か、その扉は開かれていた。中を覗くようにしてウィリシスは入ると、そこには血を流して床へと膝をつくハルムートの姿があったのだ。
「ハ、ハルムート将軍!ど、どうされたのですかっ!?傷つき苦しむものを癒せ!」
ウィリシスは駆け寄ると、ハルムートの傷へと手を押しやり、治癒魔法をかけた。
「わ、わしの事はいい。この程度の傷なら、自分で何とか出来る...それよりも、下の広場へと向かうんだっ!ウィード守備隊長と...シュバイク王子が戦っている...ウィリシス、それをなんとしても止めるのだ!お前なら、シュバイク王子を...止められるはず...」
苦しそうな顔つきで、ハルムートは言った。只ならぬ事が起きている。それをすぐに察知したウィリシスはすぐに呪文を唱えた。
「シュバイクとウィード守備隊長が!?分かりました。二人は任せてください。光の鎧っ」
ウィリシスの体が美しい輝きに包まれる。その腰にかかる魔鉱剣を抜き去り、テラスの柵を飛び越えた。




