第五十八話 青と銀の再会
その日の夜。
採掘師の一団が宿泊する宿屋の前へと、三台の馬車がやって来た。燃えるような赤と漆黒のような黒を基調に塗装をされている。一台の馬車を引っ張るのは二頭の白馬であり、台座の上にはその馬を操る御者が乗っていた。
ラミナント城から使わされた従者と思わしき男に促されるまま、十人の男達はそれぞれの馬車に乗り込んだ。中へ入ると、それは豪華な内装が施されていた。室内の天井には小さな鉱石灯が配置されており、日が沈んで夜の帳が落ちた中でも、ほのかな明かりとなっている。
宿屋街の狭い路地裏から進み出た馬車は、大通りへと出ると、城下町の中心地にあるラミナント城へと向かって駆け出した。
昼間とは違い、夜の大通りは閑散としている。人の姿もまばらで、昼夜ではまったく異なる雰囲気を持つのだ。石畳の舗装された道を、馬の蹄と鉄の車輪が回転する音が響いていく。
やがて城の門へとたどり着くと、大きな空間となっているその場所で、一団は馬車から降りた。その場所には、巨大な銅像が剣を手に取り、天高く突き刺すように構えていた。
そこから繋がる半球状の通路を抜けると、美しい庭園へと出るのだ。そこは宮内に聳える来賓館へ、一本の道が続いていた。
そしてそこは夜になると、地面へと仕組まれている鉱石が星のように光輝くのだ。まさに夜空にかかる天の川と言った所だろう。
「おおー、何と美しい...」
一団の中で歩く男が声を上げた。皆が立ち止まって、その光景に見入っている。そんな横をなれた様子で歩き去っていく者達がいた。それは今夜の会へと招待されている、クレムナント王国の貴族達である。彼らは皆、派手なドレスとスーツに身を包み、香水のような甘い香りを漂わせながら歩いていく。
彼らと比べると、この男達の服装は貧相に思えてしまう。シルクと布を折り重ねて縫い込んだだけのものであったからだ。
そんな中で、ライトイエローの髪を後ろへと流している男は、何処かそわそわとしていた。それは今夜の交流会で、レリアンと直接会えるかも知れないという淡い期待を抱いていたからだ。だが、そんな心の中にも、不安は混じっていた。
今日の昼間に行われた王との謁見の前に、待機場所となった部屋のテラスから落としたナイフが、見つからなかったからである。確かに落とした位置とその場所を正確に把握していたのにも関わらず、帰り際に探したが見つかる事はなかった。
採掘師の一団が庭内の通路を進むと、来賓館へと到着した。待機していた兵が扉を開けると、中には信じられないような光景が広がっていた。
煌びやかな装飾の中で、人々が派手な衣装を身に纏って談笑に耽っているのだ。時折、運ばれてくるグラスに入った飲み物を取り、それを片手に話し込んでいる。
「ようこそ、お越しくださいました。もう暫くしますと、王家の方々もいらっしゃいます。ぜひ、今宵は楽しんでくだされ」
一団の前にやって来たのは、将軍のガウル・アヴァン・ハルムートである。将軍という肩書き以上の職務をこなすこの男は、王家に関わるほぼ全ての事柄を把握しているといっても過言ではないだろう。
そんな男も、今日の夜会では漆黒のガウンを脱ぎ去り、ゆったりとしたコートのような物を羽織っている。その色も、緑と青のコントラストが利いた、明るい服装であった。
ハルムートは彼らの前から歩き去ると、別の客人達の相手へと移っていった。しかし、この男はすでに、その黄土色の瞳で、ライトイエローの髪の男を捉えていた。
来賓館の大広間は一階から二階までがふき抜けになっており、開放感のある空間となっている。上からは下を眺められるようにと、柵が張り巡らされている。二階には王宮兵と王国守備隊の兵士が配置されており、何かあればすぐに動けるようにと待機しているのだ。そしてこの兵達は皆、採掘師の一団の動きを余す事無く視界に収めていた。
「アバイト王並びに、王家の方々がご入来致します!」
広間から王宮へと繋がる大階段の前には、正装に着替えた二人の騎士が居た。どちらも体格が良く、片方は二メートル近い大男である。その男が声を上げると、広間は一瞬にして静まり返った。
そしてその後ろにある大階段から、国王アバイトを筆頭に、第一王子レンデス、第二王子ナセテム、第三王子サイリス、第四王子デュオが降りてきたのだ。そしてその後ろには、まだ四歳の小さなシュバイクが、一段一段踏みしめるように、ゆっくりと降りてきた。
さらに、その後に続くように、第一妃のペアネクン、第二妃のヨークウェル、第三妃のレリアンが歩いてくる。彼らは皆、昼間に見た時の以上の、豪華で派手な井出達で現れたのだ。彼らラミナント王家の面々がその場に揃うと、貴族達は皆、膝を落とした。
「今宵も交流会へとお集まり頂き、真に嬉しい限りである。ぜひ、楽しんでいってくだされ」
アバイトが短い挨拶を終えると、膝を落としていた貴族達は皆立ち上がった。そして、二階へとハルムートが合図を送ると、どこからともなく、楽器隊の奏でる音色が広間に響き始めたのであった。
その音楽に合わせて、人々は軽やかなステップを踏みながら、男女一組となって優雅な踊りを楽しみ始めた。そんな光景を前に、採掘師の一団の男達は唖然としていた。
自分達とはあまりにも住む世界が違いすぎるのだ。このような場で、何を楽しめばよいのか、それすらも分からなかったのである。
そんな中で、ライトイエローの髪の男だけは、一人の女性の姿を銀褐色の瞳に収めていた。彼は人々が広間の中央で踊っている横を、部屋の隅から通り過ぎ、そしてレリアンの方へと近づいていったのである。
レリアンはその男の存在には気づいていないようだった。周りの王家の者達は、皆、相手を見つけて踊りを楽しんでいる。しかし、この女性だけは、差し出される手に首を縦には振らなかった。
それは相手を所望する貴族の男達の誘いなのだが、浮かない顔のレリアンは、丁重にその申し出を断っていたのである。
「良かったら、お相手して頂けませんか?私は、踊れないので、出来れば教えて頂けると幸いです」
その男がレリアンへと声をかけながら、手を差出した。その時、俯いていた美しい女性の顔は、急に晴れ渡った空のように明るくなったのである。
ブルーの瞳と、銀褐色の瞳が交差する。それは紛れもない、リディオ・ウェイカーという、愛する男だったのである。
レリアンはそれに頷く前に、王であるアバイトの方へと視線をやった。それに気づいたリディオは、アバイト王の前へと恭しく歩を進めた。そして、膝を落としながら、言ったのである。
「王様。レリアン妃に、私の踊りのお相手をして頂いても、宜しいでしょうか?」
その問いかけに気づいたアバイトは、その男の方へと向いて言ったのである。真紅のガウンを身に纏い、頭の上には立派な冠が乗っかっていた。
「よかろう、楽しんでくだされ」
王の許しを貰ったリディオは、レリアンの前へ再び手を差出したのである。それに白く美しい手袋をしている指の先を、ゆっくりと乗せた。
「有難う御座います。では...」
リディオはそのままレリアンの手を取りながら、広間の中央へと向かう。そして向かい合った二人は、両の手を握り合ったのである。
「私が誘導しますので、それに合わせて足を動かしてください...」
レリアンは向かい合うリディオの顔から、視線を僅かに足元へとずらした。そして、相手の動きを誘うように、ゆっくりとした所作で一歩を踏み出した。
何とか相手の歩幅に合わせて、左右交互に移動する。それが旗から見ると、一通りの踊りになっているのだから不思議なものであった。
「レリー、久しぶりだな。君に会いたかった...」
リディオは、相手の耳元で囁くように言った。
「リディ、貴方の元気そうな顔を見られて......よかった......」
レリアンは、その声に静かに答えた。
「教えてくれ、何故、このような事になったのだ...俺達は、幸せに暮らせていたはずだったじゃないか...」
リディオは確信に迫る問いかけをした。周囲では楽しそうに踊りをこなす、貴族や、王族の姿がある。そんな中で、誰も二人の姿を気にかける者などいなかった。たった一人の男を除いて。
「ごめんなさい...こうするしか無かったの。貴方が帰郷してから程なくして、行方知れずだった姉が帰ってきたの...それはシュバイクの母親よ...」
レリアンは悲しそうな声で言った。顔を見る事は出来なかったが、その悲痛なる面持ちはリディオにとって容易に想像できたのである。
「君のお姉さんの?何故、そのお姉さんの子供を、レリーが王宮で育てているんだ?」
リディオの疑問は尽きなかった。何故、如何して、と大声で突き詰めたかっただろう。しかしその感情の渦を、必死に抑え込みながら平静を装って言ったのだった。
「そうしなければ、ウィリシスとお父さんを...ハルムート将軍に殺すと言われたから...そうするしかなかったの...本当にごめんなさい......私はただ、家族を守りたかっただけ......」
リディオにとっては、それは衝撃だった。自分があの酒場に残っていれば、今のような状況にならずに、何とか済んだかも知れない。そう思っていたのは、甘い考えだったのだ。しかし、何故、そこまでしてハルムートと言う男は、レリアンの姉の子を王宮で育てる事に固執したのかが分からなかった。
「そうだったのか...しかし、レリーの姉の子供が、奴等にとってどうしてそんなに重要なんだ?君を王妃にしてまでも、守りたいほどの秘密でもあるのか?」
必死に涙を抑え込んでいるであろう、自分の妻だった女へ、リディオは問いかけた。その言葉に相手は暫くの沈黙の後に答えたのである。
「シュバイクの父親は...アバイト王の腹違いの兄、ギルバート・ラミナント様なの。ギルバート様は、クレムナント王国の大貴族、グレフォード家に殺されたと聞いたわ...政権を奪い取ろうと画策したけど、ギルバート様はそれを断ったらしいの...」
レリアンが真実を語ると、リディオの体には僅かに力が入った。それが、相手の手を握っている自分の手から伝わったようで、思わずレリアンはたじろいだ。
「何だって...そんな事があったのか...ならば、俺達の息子、ウィリシスは何処にいるんだ?知っているならば、教えてくれ」
男の中には抑え切れない激情が渦巻き、暴れ狂っていた。変える事の出来ない辛い現実。向き合わねばならない真実と、耐え難い事実。その感情をどこに向けて、どこにぶつければいいのか、リディオ・ウェイカーには分からなかった。そして、もっとも気になっていた、自分の一人息子の存在。それをレリアンに聞いたのである。
「ウィリシスは...私達の記憶を魔法で消され...孤児院に預けられたわ...でも、そこから逃げ出して、今はどこにいるのかも分からないの...城を出て城下町に行ける理由を何とかつくっては、ウィリシスを探し回っているんだけど見つからない...ぅ...ぅ...」
息子の話題へと話が変わった時、抑え込んでいた悲しみと苦しみが一気に溢れ出してこようとした。それを、何とか止めながら、レリアンは最後まで語ったのである。
「そんな......」
リディオは、湧き上がってくる感情の全てに、どう対処していいのかさえ分からなくなっていた。予想していた以上の現実が突きつけられたのである。
そんな中で丁度、踊りに合わせた楽器隊の一曲目が終わりを告げようとしていた。
周りで踊っていた者達は皆足を止め、握っていた手を離した。そしてそのまま向き合うと、膝を落としてお礼を述べたのである。踊りを共にしてくれた相手への礼儀であった。
リディオとレリアンの短い再会の時間は、終わろうとしていたのである。
「最後に聞かせてくれ、レリー。まだ、俺の事を...愛しているか......?」
リディオは手を離し、レリアンと向き直った。そして、その瞳で真っ直ぐに相手の瞳を見ながら、問いかけたのである。もうその女性は、若かりし頃の自分の知っている人ではなくなっているように思えた。だが、その言葉から、相手の気持ちを聞きだすまでは、どんな辛い現実もまだ、実感には至らなかったのである。
「リディ、ごめんなさい......もう、私の事は忘れて下さい......ウィリシスの事だけは、私が責任を持って探し出します。そして、この身の近くで育てます。それは約束します。貴方は、貴方の新しい人生を生きて......さようなら......」
レリアンはそう言うと、リディオの前から去っていった。そして、体調が悪いと言う理由で、そのままその日の交流会から抜けて行ったのである。
彼女の背を見ながら、リディオは決心したのだ。自分の大切な者全てを奪ったこの国に、必ず復讐を遂げてやると。そして、息子を探し出し、自分の元で育てると。さらには、その果てにいつしか、レリアンを取り戻し、三人でまた幸せな家庭を築き直すと、心に深く誓ったのである。
この二時間後、夜会は幕を閉じた。採掘師の一団はそのまま城下町を後にすると、夜の暗闇の中、荷馬車を率いて南門を出て行った。今日手に入れた情報の全てを、国へと持ち帰り、元首であるガルバゼン・ハイドラへと報告しなければいけなかったからである。




