第五十六話 悲劇への一歩
雲一つ無い快晴の日。
ラミナント城の門を抜けた採掘師の一団が、王宮区画へと繋がる通路を歩いていく。大理石で出来た床は、そこを通る者の姿を綺麗に写りこませるほどに磨かれていた。
どの者達も精強な面構えに、筋肉質な体つきである。王家と対面するとあってか、不釣合いなシルクの服を着ており、身なりを整えていた。
そんな十人ほどの一団の中に、ライトイエローの髪に銀褐色の瞳を持つ者がいた。
「お前の目的は第三妃レリアンの確認と、その子供のシュバイク王子の顔の確認だ。お前の息子ではないと分かったら、それだけでいい。下手な真似は絶対にするなよ。今回はハイドラ様からの直々の献上品として、それを採掘した我等が遣わされた。という設定になっている。これを絶対に忘れるな。いいか?」
隣から問いかけらてきた言葉に、男は顔を前へと向けたまま答えた。
「はい......分かっております」
下級潜入兵として王国へ戻ってくる事ができたリディオ・ウェイカーは、本国へと連絡を取り、事の次第全てを話していた。そしてそれを聞いたハイドラが、真相を探るために動いたのである。リディオが、王宮へと入り込めるように用立てたのだ。
一下級潜入兵にここまでするのは、それなりの思惑があったからであろう。
しかし、自分の息子と妻を失った男にとって、そんな理由はどうでも良かったのだ。一目でいいからレリアンの顔を直接見て、相手の反応を確かめたかったのである。まだ、自分を想っていてくれているのか、それだけでも確認したかったのだ。そして、出来る事なら、自分の子供であるウィリシスの行方だけでも、聞き出したいと思っていた。
だが、そんな男の気持ちを見抜いてか、一団の中に紛れ込む別の潜入兵は一抹の不安を拭えずにいたのである。
「では、こちらでお待ちくださいませ」
数人の王宮兵によって案内された先は、十人の人間が待機するにも申し分ないほどの広さの部屋であった。豪華な家具と装飾品の数々が飾られており、椅子やテーブルは木の一本から刳り貫かれて作られたものである。
天井には巨大な鉱石灯が吊り下がっており、陽光石の放つ光を周囲に取り付けられた宝石が乱反射させている。
「ほぉ、なんて素晴らしい部屋だ。これほどまでにこの国は富んでいるのか......」
一団の中の一人が口を開いた。どこの国へいっても中々見られるものではない。辺りを見回しながら、その一つ一つの骨董品や家具を興味深げに眺めている。
そんな感じで皆が部屋をうろうろしているが、リディオだけは違った。テラスへと出ると、その前に広がる光景を静かに見ていたのである。そこには城下町が広がっており、その先には緑の平原がどこまでも続いていた。
「どうした、何を考えている?」
先ほど話しかけてきた男だった。リディオの隣へと歩み寄ってくると、様子を覗いながら問いかけてきたのである。
「いえ、ただこの国は...我等の国と違って平和なのだなぁと」
本当にそう考えていたかは分からない。その言葉を聞いた男は、相手の反応を見るようにして言った。
「所詮仮初の平和よ。どの国も、見えない所で血は流れているのだ。しかし、それを真に終わらせる事が出来るのは、我等の国の元首であるハイドラ様のみ...そう思わないか?」
二十代後半へと差し掛かっていたリディオよりも、十歳以上年上である。潜入下級兵としてクレムナント王国の城下町で情報を集める者を、取り仕切る立場なのであった。そんな男が漏らした言葉は、リディオと言う男を試しているようにも思えた。
「はい。勿論、そう思っております。しかし......」
リディオが言葉を続けようとした時だった。室内へと続く扉を開けて、入ってきた者がいた。
「失礼する。私はこの国の将軍、ガウル・アヴァン・ハルムートと申します。この度は態々、同盟国スウィフランドから献上品として、鉱石を持って来て頂いたと聞いております。私からもお礼を申し上げます。これから王の間へと行き、そこでアバイト王と謁見して頂きますが...その前に、通例として身に付ける服に武器となるような物が無いかだけ、確認させて頂きたいと思います。宜しいでしょうか?」
漆黒のガウンを身に纏い、その左頬には大きな切り傷がある。瞳は底知れぬ闇を抱え込んでいそうな黄土色の目をしており、その井出達は一切の隙も無い、恐るべき男である。
十人の中でその男の放つ魔力の強さに気づいたのは、潜入下級兵として一団に紛れていたリディオともう一人の男だけである。
「はい。それが通例となっているならば、我等は勿論従います。どうぞ、お気に済むまでお調べ下さい」
テラスにいた男が室内へ入ると、ハルムートの顔を見て言った。その言葉で、相手の了承を取った事と受け取ったのである。共にその部屋へとやって来た数人の兵士達へ、合図を出した。
「有難う御座います。ご協力感謝致します。よし、では一人づつ確認していけ」
兵士達へと指示を出すと、採掘師の男達を一人一人入念に調べていった。これをテラスから見ていたリディオの顔は、明らかに動揺に包まれていた。それはシルクの服の下に、毒の付いたナイフを忍ばせていたからである。
そのナイフで何を企んでいたかは分からないが、兵士達が次々と男達の身体を検査していくのを見ながら、焦っていたのは間違いではない。そして、そのナイフを服の下から取り出して、右手へと持った時、リディオは兵の一人に声をかけられた。
「そこのお方!次は貴方です。どうぞ、室内へとお入り下さい」
最後の一人となったリディオは、高鳴る鼓動を抑えながら室内へと足を踏み入れた。他の九人は全て身体検査が終わっていたためか、最後の男を全員が見ていた。二人の兵士が前と後ろに回り、リディオを手で軽く叩きながら調べていく。そしてその時、後ろにいた兵士が何かを見つけ出した。
「ん?これは何でしょうか?」
男がリディオの服の下から取り出した物は、木の小さな筒のようであった。それは、ナイフの刃を仕舞い込むためのカバーだったのである。
「そ、それは...」
リディオは思わず声を震わせた。何と答えれば良いのか、予め考えておくべきだったのだ。その答え次第では、その場を切り抜ける事など簡単だったはずである。しかし、その態度がハルムートの目に留まったのである。
「見せろっ」
その筒を持つ兵士へと声をかけると、自分の手元へと持って来させたのである。それをまじまじと黄土色の瞳で見ると、ゆっくりとリディオの方へと向き直った。
「これは...何でしょうか?何かを入れる物にも思えますが、用途をお聞きしたい」
室内の者全ての視線がリディオへと集まった。その問いに答えあぐねていた時、あの男が口を開いた。
「それは置いて来いと言っただろ。すみません、それは我々が採掘師として働いている時に、採った鉱石を削るナイフのカバーなのです。王宮へと来るのを知って、ナイフは置いてきたのでしょうが、カバーは持ってきてしまったのですね」
男の機転により、何とかリディオがボロを出さずに済んだのは言うまでもない。しかし、それをまじまじと見つめ直したハルムートは、その視線をリディオへとゆっくりと戻す。そして、低い声で問いかけた。
「確認致しますが、刃は持ち込んでおりませんな?」
室内の場がほんの一瞬だけ、確かに凍った。それは誰しもが感じた事である。
「持ち込んではおりません。それは置いてくるつもりだったのですが、忘れていたようです。申し訳ありません」
リディオがそう答えた事で、何とか相手は納得したようである。まさか同盟国からやって来た採掘師が、何らかの企てをして武器を隠し持ってきた、とは考えられなかったのであろう。
ハルムートは軽く頷くと、口を開いた。
「そうですか。ならば問題はありませんな。これは取り合えず、お預かりしておきます。王との謁見が終わりましたら、兵士に返却させます。それで宜しいでしょうか?」
相手の瞳を直視しながら、問いかけた。それは何処か、威圧的なものであったが、リディオは素直に頷いて了承した。
大方の準備が整った事で、やっと採掘師の一団はその部屋を出ることが出来たのである。大きな通路を歩いていくと、天井に様々な絵が描かれている場所へとやって来た。赤い絨毯が何処までも続いていくように見える。そしてその長い廊下を歩いていった先に、王の間はあるのだ。
一団の先頭を歩くのは、兵士を引き連れたハルムート将軍である。彼が巨大な扉の前で足を止めると、後ろへと向き直って言った。
「この先が王の間になります。アバイト王含め、全ての王家の方々がご列席されておりますので、粗相のないようお願い致します」
ハルムートが念を押すように言うと、その言葉に誰しもが深く頷いた。そして、その扉が兵士の手によって開かれた。
「水中都市国家スウィフランドから、採掘師の一団がやって参りましたっ!」
扉の開け閉めだけに用意された兵が、大きな声で言った。そして、その声が合図となり、十人は足を王の間へと進めたのである。




