第五十四話 全てを失った男
オルフェリア精霊国へと帰郷し、戦争へと巻き込まれてしまった男。
リディオ・ウェイカーは、スウィフランドの一兵士として各地で起こる戦いに参加させられていた。その間もこの男の頭にあったのは、妻レリアンと幼い息子の事のみである。二人の元へと何が何でも戻りたいという一心のみで、激しい戦火の中を生き残ったと言っても過言ではないのだろう。
そんな男が、クレムナント王国へと再び足を踏み入れる事となったのは、レリアンが王宮へと入ってから二年後の事である。実に三年以上もの間、家族へと会う事が出来なかったのである。
その足取りは軽く、大きく成長しているであろう息子との再会も楽しみにしながら、城下町の路地裏に在るハイデン家の酒場へと向かっていた。その背中には妻の手荒れ用にと、大量の塗り薬と家族へのお土産として大量の食べ物を満載させた荷物を背負っていた。
光も届かない暗い路地裏を歩く男は、ライトイエローの髪を綺麗に纏めている。後ろへと流して、額を全部だしているようだ。その顔つきは三年前よりも遥かに渋さを増しており、戦いによって経験した過酷な現実がいかに辛いものであったかを物語っていた。
しかし、その表情はどこか嬉しそうだった。
「レリー、ウィリシス......ただいまっ!いや、違うな...か、帰ったぞ!かな......うーん、何て言えばいいんだ......」
一人でぶつぶつと何かを喋りながら、時折、にやついた笑みを見せながら歩いていく。そして、自分の家族が待つであろう酒場の前へとたどり着いた時、異変に気づいたのである。
綺麗に掃除されているはずの店先には、ゴミが溜まっており、飲んだくれた荒くれ者達がたむろしているのだ。その男達を狙っているのか、一夜の床の相手をする女達が胸元を大きく開けた服を着て、誘っているのである。
「す、すまない。ちょっと通してくれ」
男はそんな者達をかきわけながら、店内へと入った。すると、そこは自分が知っている店では無かったのである。昼間にも関わらず開店していたその酒場は、中へと足を踏み入れると薄暗く、煙のようなものが漂っていた。床には食事の食べかすが転がっており、テーブルで酒を飲む男達は、酒場の常連だった採掘師達のような精錬な顔つきの者ではない。
自分が入る店を間違えたのかと思ったほどだ。しかし、その内装は明らかにハイデン家の酒場だった場所、そのものである。とりあえず汚い木製のカウンター席へと移動すると、そこに立っていた店の主人と思わしき男へと声をかけた。
「あ、あの、ここって酒豪ハイデン家の酒場じゃないのか?」
リディオが問いかけると、男は面倒臭そうな顔で答えた。
「ハイデン?ああ、ここの前の店主がやっていた店だな。今はもうウチの店だよ。何か注文があるなら頼んでくれよ。タダで居座ろうとするのだけは勘弁してくれな。そういう奴が最近は多いんだ」
男がそう言うと、リディオへと注文を促した。しかし、それを聞いて納得できるはずがなかったのだ。何が起きてそうなってしまったのか、聞かずにはいられなかった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。前の店主の店ってどう言う事だ?ここを経営していた家族はどこにいってしまったんだ?何か知っていたら教えてくれ!」
カウンターから身を乗り出すような勢いで、その男へと問いかけた。そんな相手の反応に顔を強張らせ、眉間に皺を寄せて答えた。
「何だお前、よそ者か?誰でも知ってる話だぞ。ここの娘が国王アバイトに見初められて、その第三妃になったんだよ。今じゃあ子供もできて、立派な母親だ」
男の口からでた言葉は、到底すぐに理解出来るようなものではなかった。娘と聞けば、それに当てはまるのはレリアンしかいないはずである。だが、そのレリアンが王の妃になったと言うのだ。しかも子供も出来て、立派な母親だと言う。
「はっ!?第三妃!?何だそれ、どういう事何だっ!?彼女には小さな子供がすでにいたはずだっ。何かの間違いだろ?その妃になったっていうのは、レリアン・ハイデンじゃないだろ?」
リディオの顔は見るに耐えないものだった。頭のどこかでは理解し始めていたのかも知れない。しかし、それを振り払うかのように、目の前の男へと問いかけたのだ。
「お前ヤバイ薬でもやってんのか?王の第三妃はレリアン・ライデン・ラミナント様だよ!その子供はシュバイク・ハイデン・ラミナント様だけだっ!この国の者なら誰でも知ってることさっ。注文しないんなら、とっとと出て行けっ!」
リディオはすでに我を失いかけていた。目の前にいる男へと目掛けて手を伸ばし、突きつけられた現実を拒否するかのように飛び掛ろうとしたのだ。しかし、店内で飲んでいた荒くれ者の男達数人がそれに気づき、そんなリディオを羽交い絞めにして店の外へと放り出したのである。
この辺りの酒場では日常的な風景であった。そのためか、勢いよく道の真ん中へと転がり込む男を横目に、平然と人々は歩き去っていく。
「レリー、ウィリシス......どこに行っちまったんだよ......俺は帰ってきたんだ...!命懸けでここまで帰ってきたんだ!ぐぅぅ...くそぉっ...くそぉっ...!」
薄汚い石畳の上で蹲りながら、リディオは声を上げた。拳を強く握り締めて、奥歯をかみ締めている。その姿は心の奥から押し寄せてくる悲しみを、必死に抑えこんでいるようだった。そして暫くすると立ち上り、二人を探す手がかりを求めて、辺りの店を一軒一軒尋ね回っていったのである。
半日以上は経ったであろう。数十件もの店を聞きまわって知った現実は、やはり最初に得た情報と何ら変わらなかった。
酒場の娘レリアン・ハイデンは王に見初められ、二年前に第三王妃になったという事。そして二人の間にはすでに小さな子供がいるという事。しかもその子供はもう二歳だと言う。しかし、それを聞いた時、リィデオは頭を悩ませていた。
二歳になろうと言う子供がすでに居るという事は、すでにその一年以上も前には関係を持っていたということになるのだ。しかし、その期間は確かにレリアンとウィリシス、そして父親のラザロと共に暮らしていたのだ。そう考えた時、もしかしたらそのシュバイクと言う子供は、自分との間にできた第二子なのではないかと思ったのだ。
レリアンは不貞を働くような女性ではない。リディオは心の底から、そう信じていた。そして何より、彼女が家族へ抱く愛を知っていた。だからこそ、この裏には何かとてつもなく大きな陰謀があるのではと、疑わざる負えなかったのである。
しかし、そう考えた所で、王宮に入ってしまったレリアンへ簡単に会える訳ではない。さらには息子であるウィリシスの行方も判らず、酒場の主人のラザロでさえも、店を売り払って消えてしまったと言うのだ。自分がこの国を離れた三年足らずの間に、何が起こったのか。それを確かめる術は、今のリディオには無かった。
だが、そのきっかけを掴む事は出来るかも知れない。リディオは持ってきた荷物を全て路上市で売り払うと、身軽になった身体でとある場所へと向かっていた。そこは、城下町を出てから平原を抜け、西にある森の中であった。
リディオがその森へとたどり着いた時には、日はすでに落ちていた。辺りは真っ暗で、数メートル先さえも暗闇に包まれていて見えない。しかし、唯一、城下町から持ってきた鉱石ランプの灯りによって、闇の中を進むことが出来た。
草木が生い茂る森の中を掻き分けていくと、円状に雑草やら木が刈り取られていた場所についた。そこの地面には何やら塗料で魔方陣のようなものが描かれており、不気味な雰囲気をかもし出してる。
その中心にリディオは立つと、ポケットへと忍ばせていた黒い指輪を取り出したのだ。そして、それを左手の中指に填め込むと、何やら言葉を発し始めたのである。
「形なき者よ。我が前に姿を現し、主への疎通となれ......」
リディオが呪文を唱えると、左手の指輪が光輝いたのである。そしてその光が空へと浮かび上がると、白い鳩へと形を変えた。その鳩が左腕へと止まると、何かを吹き込むように話し始めた。
「識別番号、一、八、七、三、六、五。潜入下級兵リディオ・ウェイカー。重要な情報を掴んだので緊急連絡とする。内容...第三妃の子供が、アバイト王の実子では無い可能性がある。詳細は追って報告致します故、至急、連絡兵を派遣されたし、以上」
全てを伝え終えると、その白き鳩を空へと放った。すると、翼をはためかせて闇の中を飛び上がり、空の彼方へと向かって消え去ったのである。




