第四十八話 対峙・裏
※今回の話の中には、残虐な描写と残酷な表現があります。
※ご注意下さい。
確かに起こったが、誰にも語られる事のなかった戦い。
ウィリシスと魔道議会の最高導師五人が、封印の間を去って行った後の話である。
ガウル・アヴァン・ハルムートは、対面する男を前に、右手の剣を持ったまま大した構えを取る事もしなかった。まるで無防備に立ち尽くしているだけのようである。
その剣は赤く輝き、熱気を放っている。黒いコートを羽織っていながらも、その下には黒の胴衣を着込み、常に戦いという場に身を置ける準備をしていたかのように思えた。
そんな相手とは反対に、ウィードは剣を握る右半身を一歩引くと、騎士の構えを取った。これはシュバイクが守護隊長のハギャン・オルガナウスと、実践闘技をした時に取った構えと同じである。そして左手にはエメラルドグリーンの指輪が、光り輝いていた。
王国騎士であるアーク・ウィードは、真紅の上着の下に鎖帷子を着込んでいる。そして、ライトグリーンの長い髪を後ろに流していた。
「ちっ、構えもとらぬとは...どこまで舐め腐りやがって。姿隠しの魔法!」
ウィードが呪文を唱えると、その身体はあっという間に透明になった。ハルムートの瞳にも、確かにその姿は写ってはいないはずだ。しかし、まったく動じる様子もなく、その場に立っているだけである。そして僅かな風の流れを感じた時、ハルムートの背後から首筋を狙った一撃が繰り出された。
「なにっ!?」
確実にその隙を突き、死角となる場所から攻め込んだはずである。だが、ハルムートは剣を背中へと回すと、その攻撃を見もせずに刃で止めたのだ。そして、軸足を起点にして身体を半回転させる。さながら独楽のように勢いを持って、ウィードへと斬り込んだ。
「ウラァァァッ!」
強烈な一撃である。しかし、それは微かにウィードの真紅の上着を切り裂くだけに留まった。だが、その切り口から一気に燃え上がり、全身を焼き尽くさんばかりの勢いで灼熱の炎が舞い上がったのである。
「風の鎧!」
ウィードはすぐさまハルムートと距離をとった。そして、燃え上がる上着の炎が全身を包み込むよりも早く、呪文を唱えたのである。すると、その身体は突風の渦に覆われた。
「儂の炎を風でかき消したか。さすが疾風の騎士と言われるだけはあるな。まぁいい。さっさと本気で来い。時間が惜しい」
ハルムートはその立ち位置から、一歩も動くは事なかった。その場でただ、ウィードを待ち構えているようである。そして、挑発するような物言いで相手の次の動作を誘った。
「ふざけた奴め。だったらもう、小細工はなしだ。本気で行かせて貰う!疾風の瞬き!」
ウィードが次の呪文を唱えた瞬間であった。その身体は再び消えたかのように思えた。だが、実際の所は違ったのである。疾風の如き速さで動き、ハルムートの三百六十度から次々と斬撃を繰り出したのだ。
この魔法は、ウィリシスの目の前で、瞬く間に三人の魔導師達を斬殺した時の魔法である。
しかし、ハルムートはその攻撃に対しても、やはり一歩もその場を動くことは無かった。次から次へと高速で繰り出される攻撃を、華麗な動きで己の剣を振りぬきながら、全てを弾き、流し、受け止めたのである。
黒燐石で出来た封印の間には、高速の彼方に置き去られた金属音が遅れて響き渡る。僅かな呼吸の暇さえ与えずに、ウィードは攻め続けた。その時間、凡そ十分である。
肉体の稼動域を超えたかに思えるハルムートの剣捌きは見事ながら、高速で動き続け敵の死角から寸分の狂いなく剣を振りぬくウィードもまた見事である。
ハルムートの周囲には、互いの剣がぶつかり合うたびに生まれる火花が散っている。それは美しくもあり、また目を覆いたくなるような強烈な煌きでもあった。
数千発。終わり無く続くかに思えたその攻撃は、ウィードが一度距離をとった事で終焉を迎えた。
「鎌鼬っ!」
ハルムートの後方、五メートルほど離れた場所から、ウィードは魔鉱剣を敵めがけて一気に振り下ろした。それはまるで、あえて空を切るかのようである。通常ならば、意味のない行為に思えるが、それはやはり違ったのだ。
圧縮された空気の圧がウィードの放つ魔力よって形を持ち、それが敵へと向かって放たれたのである。肉眼では決して捉える事のできない、風の刃なのだ。
「熱風壁っ!」
相手の放った攻撃に即座に反応したハルムートは、剣を逆手に持つと、その柄を両手で支えながら床へと突き刺した。すると、熱せられた空気の壁が、その身体の周囲を覆い尽くしたのである。
そして、ぶつかり合った空気の圧同士が、その力を相殺したのだ。そして、次の一手を先に打ち込んだのは、今まで守りに回っていたかに思えた男の方だった。
「爆ぜろっ!大爆発っ!」
相対する敵へと漆黒の指輪が填まる左手の平を向けると、己の最大級の攻撃魔法を唱えた。それはかつて太陽の騎士と言われていたこの男が、もっとも得意とする呪文の一つでもある。
集約させた魔力を、敵の近距離で爆発させるというものなのだ。そしてこの魔法が発動する寸前、ウィードは自分の肉体を守るための呪文をすぐさま唱えた。
「魔防障壁!」
それは魔法攻撃に対して、最も有効な防御の一つである。己の魔力そのものを、肉体を守る壁として出現させるのだ。ある程度の魔法の使い手ならば、例外無く、皆が使える一般的なものであった。しかし、その魔防障壁は、術者の魔力依存のため、所有する生命力の量と質に大きく左右される。
そして、ウィードを襲った爆発とは、急激に熱せられた気体の膨張である。ハルムートは炎の属性に長けた魔法の使い手であったのだ。それこそが、王国騎士であった頃、太陽の騎士と言われていた所以である。
止め処なく、そして終わり無く、爆発の連鎖はウィードを容赦なく包み込み。それは封印の間全体を満たすほどのもので、ハルムート自身もその爆炎に巻き込まれているのは間違いない。
黒燐石で出来た壁と床は、強力な魔力を使う封印の儀にも耐えられるように、頑丈な造りになっている。しかし、あまりにも凄まじい爆轟によって、しだいにひびが入り、そして壁の一部が倒壊しかかっていた。
「くっそっがぁぁぁぁ!」
ウィードは何とか耐えていた。
爆轟とは、気体の膨張速度が比較的緩やかで衝撃波も伴うことが無い爆燃とは違い、その勢いは音速を超えたものであるのだ。
そんな爆発が、数十発と続いているのだ。己の全魔力を惜しみなく魔防障壁へと注がなければ、決して凌ぎ切れるものではない。
やがて、最後の爆発が終わり、部屋中を黒煙が満たした時である。ハルムートは己の魔鉱剣を振り上げながら、ウィードへと目掛けて飛んでいた。そして、その姿を捉えると、額へと狙いを定めて剣を振り下ろした。
「なっ!?」
ウィードの鴨の羽色の瞳にそのハルムートの姿を写した瞬間、即座に己の魔鉱剣を振り上げた。そして、互いの剣が一瞬の内に交差する。熱気を帯びた幅広の剣が床へと突き刺さり、黒燐石を砕き散らせた。
その攻撃を受け止めたはずのウィードの魔鉱剣は、無残にも折れ、その先端が音を立てながら転がっていった。
「がはっ......」
ライトグリーンの髪の男は、口から血を吐き出しながら両膝を落とした。その顔を縦に分けるかのように、腹部まで一直線の切れ込みが入っている。それは明らかにハルムートの剣による、斬撃の痕であるのだ。
そしてその鎖帷子は鉄であるはず。しかし、その上半身を露にした事で判るのは、それ事、斬ったという結果のみである。
「うっ...くそっ...この俺が...死ぬのか.......」
ウィードの胸からは、大量の血が流れ出ていた。そしてそのまま力なく、床へと両手をついた。
「何を言っている?貴様には最初に言っただろう。生きていて後悔するほどの、重苦と、苦痛を味あわせてやるとな」
眼前へと立つ黒ずくめの男は、冷酷な眼差しで相手を見ている。黄土色の瞳は鈍く輝き、その残酷たる行いを暗示しているかのようだった。
「ぐふっ...ふざ...ける...な...お前如きに.......」
ウィードはその目で相手を睨み付けた。しかし、それはすぐに虚勢へと終わる。
ハルムートは左の手の平を、ライトグリーンの頭へと載せると静かに呪文を唱えた。
「燃えろ、熱風波」
相手の肉体へと直接、己の魔力を送り込み、その細胞から焼いたのである。それは、想像を絶する苦痛の始まりにしか過ぎなかった。
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁっっ!」
ウィードはただ、叫んだ。悲鳴のようでもあった。そして、天を仰ぐように頭上へと顔を向けると、ハルムートの腕を力強く掴んだのである。しかし、そんな相手の死に物狂いの抵抗にも、その腕を微動だにしなかった。
「やめろぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
身体の内部から熱を発し、それが己の命を焼き尽くすその時まで、ひたすらに苦しみ続けるのだ。その火力は、物質の燃焼がはじまる最低限の温度である。何とかその腕を振りのけ、逃げようとする男をハルムートはただ、只管に押さえ続けた。
「ウィード、裏切り者であるというのは初めから気づいていたのだ。前守備隊長であるトーマスを病死に装い殺したのは、貴様の仕業だろ。だから、それに感づいた儂は、あえて周囲の反対を押しのけて、次の後任へと推薦したのだ。敵は遠くに置くより、近くに置くに限るからな。だが、なかなか尻尾を現さないから手を焼いたわ。なぁ、ウィードよ、聞いているのか?」
ハルムートは、暴れ狂いながら叫び続ける男へと語りかけた。その言葉には抑揚が無く、一切の感情はこもっていない。ただ、事実を淡々と相手へ告げているだけである。
「ぶぐああわあああがああああああああああっっ」
すでに声にもならないようなうめきを出すウィードは、見るに耐えないものである。しかし、ハルムートはさらなる時間をかけて、ゆっくりとその男を殺したのであった。そして最後には、その場に消し炭しか残さなかったのだ。
ハルムートはそうして、封印の間を後にすると、シュバイクの儀式が行われているであろう部屋へと静かに向かっていった。




