第四十四話 裏切り者の言葉
「グレッグさん!グレッグさん!光よ!傷つき倒れる者を癒せっ!」
ウィリシスは、床へと倒れこんだグレッグへと必死に呪文を唱えている。
聖堂の奥には、大魔道師エルドワールが両手を開いた状態で、天を崇めるようにしている。それは巨大な銅像であった。
銅像が鎮座する奥へと向けて、配置されたいくつもの木の長椅子。通常ならば多くの魔導師達が座っているのだ。だが、今日はそこに姿はない。
それは、床に倒れて息も絶え絶えの男の元へと集まってきているからだ。
「うぅ...俺はもう駄目だぜ。自分の身体の事は、自分が一番よくわかるってもんだ......まぁ、最後にこの国の王子を...救えたんなら、無駄死にじゃあ...ないよ...な...」
グレッグはそう言うと、ウィリシスの腕の中で息を引き取った。その顔は穏やかで、満足げな表情に見える。しかし、それをライトイエローの短髪の男だけは、認めずにいた。
「グレッグさん!駄目だ!くそっ!おい!お前達も魔法で何とかしてくれよっ!」
ウィリシスは周りを取り囲むようにしている数人の魔導師達へと、必死に問いかけた。しかし、その者達の目から見るに、すでにグレッグは死んでいた。
その場で現実を受け入れる事ができずにいたのは、ウィリシスだけだったのである。
「ウィリシス様。すでにそのお方の魂は、天へと向かいました。後は静かに眠らせてやりましょう...」
黒のローブを身に纏う一人の導師が、口を開いた。誰もがそれを言おうとしていたが、そのあまりの姿に言えずにいたのだ。
「うぅ...クソッ!巻き込んでしまった...俺のせいだ...」
ウィリシスの銀褐色の瞳からは、涙が零れ落ちていた。その雫が、息を引き取ったグレッグの頬へ落ちた。
「ウィリシス様、なんというお言葉をお掛けすればよいのかわかりませんが、その者の肉体は敬意と尊敬の念をもって弔っておきます。貴方様は、我等と共に封印の間へと来て下さい。シュバイク様を、この状態で放っておく事はできません。来るべき日までその存在を敵から隠すため、肉体と精神を閣玉へと封印します」
魔導師の一人がそう言うと、シュバイクは数人の男達の手によって板へと乗せられた。そして、その板を左右で支えるようにして持ち上げると、ゆっくりと歩き始めたのである。
「分かった...くれぐれも丁重に...弔って上げてくれ...」
ウィリシスはグレッグから離れると、静かに導師達の後をついていくように歩いていった。
城下町の下には、蜘蛛の巣を張り巡らせたかのように地下通路が続いていた。その通路は至る所で地上へと繋がる出入口になっており、その一つからウィリシス達はやって来たのだ。
聖堂へと到着すると、一緒に連れてきた子供は魔導師が引き取ってくれた。安全を確認するまで、地下にいた方がよいのは明白だった。だからこそ、魔導師達に任せる形でお願いしたのだ。
薄暗い地下道の天井には、鉱石灯が等間隔で配置されている。その下をウィリシスと三人の魔導師が進んでいく。その内の二人は木の板に乗せたシュバイクを運ぶ者であった。
「この先の部屋になります。中では六人の導師達がすでに、最高老師の命によって封印の儀の準備をしております。もうすぐ五人の老師達も御出になるはずです。それまではこの中で待ちましょう」
ウィリシスと共に歩く魔道師の男がそう言うと、鉄の扉の前で止まった。そして、その扉を開く。
「ん!?な、何だ!?どうしたのだ!?」
魔道師の一人が先に部屋の中へと入ると、声を上げた。そこには凄惨な光景が広がっていからである。六人の魔道師達が、無残な姿で床に倒れていたのだ。
室内はドーム状になっており、床には巨大な六芒星が描かれている。しかし、その星の頂に立つはずの六人の魔道師が、倒れて動かない。どの者達も大量の血を流しており、息絶えているように思える。
明らかに異常な状況であった。
「悪いが、封印の儀をやらせる訳にはいかないのだ」
室内へと入ったウィリシス達は、声のする方へと視線をやった。すると、六芒星の中心に一人の男が突如として現れたのである。
恐らく、l姿隠しの魔法によって、その体を消していたのだ。
「あ、貴方はアーク・ウィード守備隊長!な、何故ここに?」
部屋の中心に立っていたのは、ライトグリーンの長い髪と、鎖帷子の上に真紅の上着を羽織る王国騎士の男だった。
「何故?あぁ、それはな、シュバイク王子を始末するために決まっているだろう」
ウィードは静かに答えた。その手には血に染まる魔鉱剣を持っている。
「な、何!?シュバイク様を始末?貴方はこの王国を守る守備隊長ではありませんか!何を言っているのですかっ!」
ウィードと対面したウィリシスは、戸惑いを見せていた。
目の前にいる男は、王国守備隊を取り纏める騎士なのである。その男が口にした言葉は、決してすぐには理解できるものではなかった。
それは無論、共にこの部屋へとやって来た魔導師達もである。そんな現状を理解するよりも早く、ウィードは突如として動いた。
「うぐっ!」
「がはっ!」
「うあぁっ!」
ウィリシスと共に部屋へ入ってきた三人の魔導師達が、急に倒れた。ふと後ろへと振り返ると、そこには首から血を流して倒れている者達の姿が瞳に写った。木の板の上に横になっていたシュバイクは、それを持ち上げていた導師が倒れたことで床に投げ出されている。
シュバイクの元へと駆け寄ろうとした時、自分の喉元には魔鉱剣の切っ先が突きつけられていた事に気がついた。
輝きの騎士といわれるウィリシスが魔法を唱え、その身を高速で移動させる時ほどの素早さでウィードは動いたのだ。
「これは、どういう事ですか...?なぜ、貴方ほどのお方がこのような事を......」
銀褐色の瞳を向けた相手は、うっすらと笑みを浮かべていた。そして、驚くべき事を口にしたのだ。
「この国を落とすためだ。そのためには、シュバイク・ハイデン・ラミナント王子は邪魔でしかない」
ウィードのl鴨の羽色の瞳は、殺意に満ちている。顔は至って真剣であり、口にした言葉が本心であるのは明白だった。
「国を落とす?王国騎士でありながら、クレムナント王国を裏切ると言うのですか...」
ウィリシスは剣の切っ先を向けられながらも、相手の顔を怯むことなく見ている。そして、その問いにウィードは静かに答えた。
「裏切ってなどいない。俺は元より、この国に忠誠など誓ってはいないのだ。俺の心は、ハイドラ様たった一人に捧げている。この国を手中に収め、やがては世界を統一するあの方になっ!」
クレムナント王国の守備隊長が口にした者の名は、同盟国であるはずのスウィフランドの元首の名だった。
「ハ、ハイドラ......?ま、まさか同盟国の元首ガルバゼン・ハイドラの事か...?」
ウィリシスがその名を口にしたとき、明らかにウィードの表情が変わった。憎悪と怒りに満ちた、見たこともないような顔である。
「貴様如きが、気安くあのお方の名を呼ぶなっ!下郎がっ!」
次の瞬間であった。ウィードはウィリシスに向けた剣の先を、その左目へと移動させたのである。そして...。
「ぐああああああああああああああああああああああっっ!」
叫び声をあげた。ウィードは銀褐色の瞳へ向けて、魔鉱剣を突き刺したのだ。そしてその眼を抉り取るようにすると、笑いながら剣を引き抜いたのである。
「あっはっはっはっ!苦しめぇ!その目を見ているだけで腹が立つ!俺をこき下ろすアイツを思い出すからな!お前は唯では殺さんぞ!四肢を斬り落とし、泣いて死を懇願したら殺してやるわ!」
感情を普段、滅多に表へと出さない男であったはずだ。しかし、その顔つきはすでに、怒りに狂っているように見える。
ウィードは床へ蹲るウィリシスへ向けて、さらに言葉を放った。
「知っているか!?貴様の父は水中都市国家スウィフランドの十三騎士団を取り纏める、暗黒騎士である事を!そしてその名をセルシディオン・オーリュターブと言うのだ!さらにな、貴様の母はレリアン・ハイデンなのだよっ!お前は実の親に捨てられた!そしてその親に真実を知らされることもなく再び拾われていたのだっ!」
激痛の中で確かに聞いたその言葉は、ウィリシスの脳内を駆け巡っていた。不意に突きつけられた突然すぎる真実。心はすでに崩壊しかかっていた。
「うぐぅぅぅぅっ。う、嘘だ......嘘だっ!そんな戯言など誰が信じるかっ!」
ウィリシスは左目を押さえながらも、顔を上げる。そして、ウィードへと向かって敵意をむき出しにしながら吼えた。だが、そんな男をあざ笑うかのように、剣の切っ先に刺る眼球を眺めながら言った。
「真実とは往々にして残酷なものなのだ。ふふふふっ......笑えるだろ?お前は実の母親に捨てられ、そしてまた拾われたのだ.......まるで犬のようになぁ。そしてお前はその女を母とも知らず、命の恩人だと言い続けてきたのだ!これ以上の笑い話はあるまいっ!あっはっはっはっ!」
ウィードがそう言った時、ウィリシスは相手めがけて駆け出していた。胴体へとめがけて力任せに突進したのだ。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!」
しかし、そんなウィリシスをウィードは難なく受け止める。そして背中へと向けて肘打ちを食らわせた。
叩き落される形で床へとへばりついたウィリシスは、そのまま顔面へとさらに蹴りを受けた。
「おらぁっ!はっはっはっ、犬らしい戦い方だな!すでに己が騎士である事も忘れたか!」
ウィリシスの顔はすでに左半分がぼろぼろである。目は抉り取られ、蹴られた顔は真っ赤に腫れていた。
「俺は二十年近くも己を殺し、今、この時のためだけに生きてきたようなものだ。清々するなぁ、お前の今の姿をオーリュターブが見たら何と言うか。奴に息子の死に様を見せてやれないのは非常に残念だ」
そう言いながら、ウィードは魔鉱剣の切っ先に突き刺さる銀褐色の眼を振り落とした。床を転がるそれは、血に塗れている。
そして、言葉通りにウィリシスの手足を斬りおとすべく、ゆっくりと近づいていった。




