第四十一話 傷だらけの男
降りしきる雨。時折響き渡る轟音。
そんな中でも、人々は仕切りに行き交っている。
酒場街ガヴォンルットは、旧クレムナント王国の国境付近から現連合国へと繋がる街道沿いにあった。多くの人々が行き交う場所であり、酒場街といわれるだけあって荒くれ者たちが集まる場所でもある。
地面は舗装されてなく、土である。そのため足元はぬかるみ、歩くたびに泥が跳ねる。
そこに大小無数の木造立ての家が立ち並んでいる。小さな道であるが、ひしめくように軒を連ねる店の数々は、どこからも客の陽気な歌声と笑い声が聞こえてくる。酒場街の名は伊達じゃない。
一人の男が歩を進めていた。黒のローブを羽織っており、そこから繋がるフードを目深に被って雨が体に当たるのを防いでいるようだった。そのため、顔を伺い見る事もできない。
その一つへと男は入っていった。そしてカウンターに腰を下ろす。
「なんにするかい?」
無愛想なひげ面の親父が、男へ声をかけた。
店内は薄暗く、乱雑に配置された鉱石灯の明かりだけが足元を照らす。
数あるテーブルと椅子には、ほぼ満席の状態で人が座っている。どの者達も、商人や旅人とっいった、お世辞にも普通といえる井出達の者ではない。
多くは盗賊や山賊のような衣服であり、鎧や毛皮をみにまとっている。これは例外なく言える事だが、剣や槍といった武器を足元へと置いている。
すぐに何か起これば、その武器を手にとって構える事のできる場所に意識して置いてあるようだった。
「パルプ酒に梅を入れてくれ。あとはパンとスープを頼む」
男がそう答えると、親父は何も言わずにカウンターの裏へと消えていった。
肉や魚を並べた多くのテーブルでは、人々が笑いながら豪快に食べ物を口へと運び、そして、一気にそれを酒で流し込んでいた。
カウンターに座る男は、そんな光景を横目で見ていた。ただ、それは興味本位で見ている訳ではなさそうだ。どうやら、周囲へと仕切りに視線を流すのは、何かを気にしての事のようだった。
「へい、お待ち。23ルピタだよ」
親父はそう言うと、男に金を要求した。
懐から取り出した布の袋から、銅の硬貨を取り出すと、それを手渡した。
受け取った額を確認して、他の客への対応へと回ろうとしたとき、それを呼び止めた。
「まってくれ、親父。この辺で金になる仕事は何かないか?」
フードを未だにかぶったままの男は、その奥から問いかけた。
「金ねぇ。んー、そう言えば最近この近くの森で魔獣が出たらしいな。その魔獣を退治したら、報酬をだすと村長のババアが言ってたぞ。まぁ、普通のやつならそんな仕事はやりゃあしないがな」
そう言うと、親父は相手の反応を確認するまでもなく、次の客の前へと移動していった。
「魔獣...か....」
男は一言呟くと、目の前へと運ばれてきた筒を手にとった。そこには飲み口となる小さな穴が上に開いており、下にするように傾けると、緑色の液体が出てきた。
パルプ酒といわれる、この地方独特の飲み物である。
竹筒に酒が入っており、それに蓋をして閉じているのだ。中には梅干が入っており、梅から染み出る酸味が酒によい刺激をふくませる。
それを一口あおると、男はスープとパンに手をつけた。
手は薄汚れていて、傷だらけである。あっという間にそれら二つを平らげると、最後にパルプ酒を一気に飲み干した。
「ふぅ.......」
男は小さく息を吐いた。そして、そのまま酒場の二階へと上がっていき、併設された宿屋の一室を取ったのである。しかし、そんな男の姿を見ていた数人が、静かに後をつけるように階段を上がっていった。
部屋へと入ると、そこは本当に狭い一室だった。
横になるためのベッド。そのベッドと同じだけの幅が横にあいているだけ。幸い服を置く台座と、身体を洗う水桶は用意されていたのが幸いだ。
水桶とは、底の深い桶に水をためて、部屋に常備しておく物である。
これは宿泊客がその水を使って、身体なり、顔なり手なりを洗えるようにといった配慮で置かれているものであった。
ローブを脱ぎ去った。
下は皮の鎧と麻のズボン。腰には粗末な身なりにそぐわない剣を差している。
鞘は泥で汚れているが、銀の綺麗な装飾がなされていた。
左の手には金色の指輪をしており、首元からは小さな水晶玉のような物が繋がった鎖の首飾りをしていた。
革のブーツを履いており、錆びた鉄の金具が動く度に音を鳴らす。
顔を露にした男は、無精ひげが目立つ三十代の半ばくらいの者である。
片目を失っているのか、ぼろ布を顔半分に巻きつけており、右目は銀褐色の瞳が輝いている。
男は革の軽鎧を脱ぎ去ると、その下の上半身を出した。
筋肉質であるが、決してごつごつしくはない。引き締まっており、よく鍛え抜かれた身体である。だが至る所に傷があり、それは古い傷から、最近できたばかりのまだ血がにじみでているようなものまで様々だ。
手にとった布を水桶に浸すと、男は身体を拭き始めた。何日も洗っていなかったのだろうか、汚れがたまっているようだ。
そして徐に顔半分に巻きつけた布地を取り去った。
すると左目は痛々しく抉られていたのだ。しかし傷は古く、もう完全に瞼と共に塞がっているように見える。布地をまきつけていたのは、傷を隠しておく為だったのかも知れない。
男が一頻り身体を拭き終えてるとそのまま服を着た。その時である。
部屋から廊下へと繋がる扉が何者かの手によって、外から開けられようとしていたのだ。
扉の鉄ノブがかたかたと回されて、押し開けようとしているようだ。しかし男が予め移動させた台座が、開閉を妨げていた。
「くそっ、あかねぇぞ!どうなってんだっ!」
扉の外から、男の声が聞こえた。
「鍵はあってんだろ!?早くしろ!逃げられちまうぞ!」
最終的には力押しという手段をとったようだ。
数人の男が体当たりして、扉を壊して入ってきた。しかしその時にはすでに、部屋の中にいたはずの男の姿は無かった。
小さな窓が開け放たれ、雨が中へと振り込んでいた。それを見て一人が下を覗き込む。するとその瞳に、駆け去っていく男の姿が映ったのである。
「ちくしょう!逃げたぞ!追え!」
体格の良い男達は、小さな窓から抜け出る事が出来なかったようだ。
階段を駆け下りて、外に出る。そして男が逃げた方向へと走り出した。
「はぁ...はぁ...」
部屋を抜け出した男は服を着ており、全ての装備を何とか持ち出していた。
酒場街は入り組んでおり、建物の隙間を縫うようにして進む。
空は暗い。雨が降り注ぐ。泥が跳ねとび、服へと付着する。
しかし三人の男たちに追われている男は、そんな事を気にしている余裕など無かったのである。
しかし悲しいことに、建物の隙間を進んでいった先は行き止まりだった。やがて追いついてきた男達が笑いながら言う。
「はっはっはっ!もう逃げられねぇぞ!まさかこんな街で高額賞金首に出会えるとはなぁ!俺たちゃあ運がいいぜぇ!」
男の一人がそう言いながら、腰の剣を抜き去った。
すると他の二人も剣を同じように抜き去る。
三人は鉄の鎧に毛皮をまとっており、賞金稼ぎの類のようだ。
「てめぇをガフィルンダに差し出せば、500万ルピタだぜっ!生死問わずだから、持ち運びの楽な首一個にしてやるかなっ!」
そう言うと、じわじわとローブの男へ向かって距離をつめ始めた。
それに対して、ゆっくりと腰元の剣を抜き去る男。その動作は隙一つなく、右の瞳からは鋭い眼光が放たれる。
「命よりも金が大事か?今ならまだ間に合う。剣を収めて引き返せ」
男は低い声で言った。
だがそんな言葉に耳を傾けるはずもなく、相手は襲い掛かってきたのだ。
「馬鹿かぁてめぇは!一攫千金のチャアァァァァァンスを、見逃すはずねぇーだろ!」
リーダー各の男が叫ぶ。三人は細い路地裏を塞ぐようにして、ローブの男目掛けて駆け出す。
しかしそれに反応し、銀褐色の瞳を見開いた男は動く。ぬかるんだ地面を蹴り込むと、その勢いで建物の壁を走ったのだ。
そして三人の男達の頭上を飛び越えると、背後で着地した。
「ん!?なんだぁてめぇ!いつの間にうっ、うっ...うしろっ...ろっ!?」
ローブの男は着地と同時に、剣についた血を振り払う。
そして鞘へと収めると同時に、男達は身体から血を噴出しながら地面へと倒れたのである。
目にもとまらぬ速さで斬撃を加え、三人の頚動脈を断ち斬ったのであった。
「だから言ったのだ。命あれば金などいくらでも稼げたのにな...」
男はそう言うと、その場を後にしようとした。
しかしそこである事に気がついたのだ。首から下げていたビー玉ほどの大きさの水晶玉が、無くなっていると言う事に。
必死に服の中を探るが、見当たらない。自分が居たであろう、路地の奥を探す。だがやはりそれは無かった。
そして男はある事に気づいたのである。宿屋の部屋に入った時だ。
身体を拭く際に首飾りを台座の上へと、置いてしまったという事を。
普段から決して身に離さずもっていたのだ。しかし久しぶりに身体を綺麗にできる喜びから、つい気を抜いていしまったのである。
男はすぐさま宿屋のほうへと駆け出した。よほど大切な物なのだろう。
部屋には宿屋の女主人が居た。年増である。
大の男三人に脅され、鍵を渡してしまった事に後悔していたのだ。それはもし部屋で人でも殺されてたりしたら、掃除が大変だからである。
そして恐る恐る部屋へ向かうと、誰の姿も無かった。
だが台座の上へ置かれた綺麗な水晶玉の首飾りを見つけ、自分の首へと掛けたのである。
手癖が悪いようだ。
置き忘れた物など取りに戻ってくる客は殆どおらず、さも当たり前の行為になっているようだ。
男が部屋に戻って来た時には、勿論そこにあったはずの首飾りは無い。宿屋の女主人が持っていったのを知るはずもなかったのである。
「くそっ!どこだっ!ここに置き忘れたはずなんだっ!」
男が宿屋の部屋の中で、血なまこになって探していた。
すると部屋を片付けに戻って来た女主人と、丁度顔を合わせたのだ。
その豊満な胸の谷間には、水晶玉が煌いていた。
「あっ!そ、それは俺の物だっ!返せっ!」
相手に飛び掛らんばかりの勢いで、首飾りへと手を伸ばした。しかし女主人は厚く塗った化粧ほどに、顔の皮が分厚い人間だったようである。
「ふざけんじゃないよ!これは私のもんよ!あんたの物だって証拠があるのかい!?ええ!?」
男を部屋へと誘い込むために開いているであろう胸元を手で押さえ、威勢よく言い放つ。
しかしそれで引く男ではない。腰元にかかる剣へと手をかけ、勢いに任せて抜き去ろうとした時。女の胸元が、強い光を放ち始めたのだ。
「な、なっ!?なんなのっ!?」
そして、次の瞬間、水晶玉が空へと浮かび上がる。そして音を立てて破裂した。しかしそれだけでは終わらなかった。
破裂した水晶の中から、小さな光が浮かび上がり、次第に大きくなった。そして段々と人の形へと変わっていったのである。
「こ、これは!」
男は目を見開いていた。長い時を重ね、ついに待ちに待った瞬間が訪れようとしていたのである。
光はやがて人になり、そしてその人は床へと静かに着地した。
「う...こ、ここは...?」
汚れた木の板に降り立ったのは、美しいスカイブルーの髪に白い肌の少年だった。
「シュ、シュバイク.......」
男はその者を見ると、右の片目から大粒の涙を零した。
「ん?ウィ、ウィリシス...兄さん...?」
シュバイクの瞳に写った男は、確かにウィリシス・ウェイカーだった。しかしその記憶にある姿とは結びつかないほどに、歳を重ねていたのだ。
「うっ...やっと...やっとこの時...きたのか...うぅぅぅ!ぐぅっ!」
その場に泣き崩れた。それはウィリシス・ウェイカーにとって、シュバイクとの十年ぶりの再会だったからである。




