第四話 決着。そして...
広場を満たす空気の鞘から、ハギャンとシュバイクの殺気と闘争心の刃が引き抜かれた。
互いがほぼ同時に動いた。ほぼ、と言うのは僅かに先に動いたのはシュバイクの方である。相手の攻撃を誘発させるかのように、ハギャンの懐へとあえて飛び込んだのだ。
そして、勝負はあっという間に結末を迎えた。
その日の深夜、シュバイクはベッドの上で目を覚ました。全身から汗が吹き出ており、その寝苦しさで目が覚めたのだ。頭が重い鈍痛で思考の流れを遮っている。徐に身体を起こそうとした時、激痛が走った。
「ぐぅっ!!」
あまりの痛さに、思わず声を出してしまったほどである。奥歯を噛み締めながら、ゆっくりと左腕を見ると、白い布が巻かれていた。そして、木でしっかりと固定されている。
「目が覚めたか」
声の方を見ると、薄暗い室内に人影があるのが分かった。その人影がシュバイクに近づいてくると、窓から差し込む月明かりがその顔を照らしだした。
「まったく、そうとう無茶な戦い方をしたらしいな」
ため息まじりの低い声は、息子の無事を安堵する言葉だった。
「父上...」
シュバイクは激痛を抑え、必死に身体を起こそうとしたが、それは用意な事ではなかった。
「よい。無理をするな。その状態では起き上がる事もままならぬであろう」そう言いながら国王アバイトは、シュバイクの額の汗を布で拭き取った。
普段あまり見せることのない、父としての顔である。同じ城の中に居ながら、顔を会わせて話をするのは三日ぶりであった。
アバイトの顔はお世辞にも整っているとは言えず、目はぐりっとまん丸で、前歯の間には隙間がある。時々その間から喋る時に唾液が飛んでくるほどだ。
肌は健康的な日に焼けた色をしているが、頭髪は薄く禿げている。シュバイクとは似ても似つかわしくない親子である。
歴代のクレムナント国王の中で一番の撫男だと、城下町、そして王族達の中ではささやかな酒の魚にされている。
それが本人の国内の評価を下げてはいるが、決して無能な王ではなかった。
鉱石資源の輸出量による収益は毎年増加の一方であり、危険な採掘現場での技術の向上を常に図って模索している。そのため、毎年事故による死傷者の数は減少しているのだ。
内政では互いに私益を貪る貴族間の対立を緩和させるため、新たな分野で職務を増やす事により、その不満を取り除いてもいた。そして一番のアバイト国王の功績として光るものは、北の大国との同盟契約であった。
そんな有能な王である父を、シュバイクは兄である他の王子の誰よりも心から尊敬していた。
「まったく、ハギャンめ。レンデスに唆されたか...何とかせねばいかんな」
父としての正直な言葉が、王としてのアバイトを抑えつけているのがシュバイクには分かった。
「いいのです、父上。どのような結果になろうとも、自分で覚悟を決めた上でのことです。ハギャン総隊長もレンデス兄さんも悪くありません」
それを聞いたアバイトは、驚いたようである。しかしその後、優しい顔を息子に向けた。
「そうか......分かった。お前がそこまで言うのなら仕方あるまい。だがこの様な無茶な戦い方は二度とするでないぞ。分かったな?」
正直、シュバイクはハギャンとの訓練の時に何がどうなって、このような状態になったのかを鮮明には思い出せないでいたのだ。
しかしそんな事とは関係なく、覚悟を決めて戦ったのだ。己の行動の結果からくる責任は自分が負うべきなのである。シュバイクはそう思ったのだ。
「はい。気をつけます」
この後、アバイトとシュバイクは親子のとり止めも無い会話を二、三交わした。シュバイクにはそれがとても嬉しかったのだ。
アバイトも意外な出来事がきっかけで、息子の成長を感じる事が出来て、それは頼もしく嬉しくもあったのである。
シュバイクの部屋から国王アバイトが去った後、えも言えぬ心地よい充足感と共に、また深い眠りについた。
身体中の汗は綺麗に拭き取られ、先ほどの痛みも、父がくれた薬を飲むことで多少はましになっている。短いながらも充実した時間を過ごしたシュバイクの眠りを、妨げるものは他にありはしない。
その日、二度目の深い眠りについた時、シュバイクは夢をみた。
まだ幼かったある日、王宮にとある国の採掘師の一団が来城した時のことだ。なぜ来たのか、までは幼いシュバイクには理解出来ていなかった。
父の傍らに座っていたシュバイクは、驚く表情を必死に隠そうとする母レリアンの顔が忘れられずにいたのである。そして何よりも印象に残っていた出来事は、一団が城から去った後に起こった。
それは部屋で一人すすりなく、母の姿を見てしまったからある。その時の事を今も鮮明に覚えているシュバイクだが、当時はまだ五歳だった。
広場で警備兵とかくれんぼをしていた時である。いつもはその姿を広場の木陰から、笑顔と共に見守ってくれている母の姿がない事に気づいたのだ。
最初はかくれんぼでもしているのかと、軽快な足取りで探していた。しかしその姿は一向に見つからない。そしてあの時見た母レリアンの顔が脳裏に浮かんだのである。
「母上...うぅ...」
すでに瞳には、大量の雫が溢れ出さんばかりであった。しかし国王の息子として、教育係に厳しく教えられていたのだ。
人前で涙を見せるのは、弱い人間のすることだと。だが抑えれば抑えようとするほど、心の奥を侵蝕する不安と恐怖は大きくなっていった。
国王の息子として、強い人間であれ。事あるごとに言われてきた言葉は、シュバイクを大いに苦しめた。だからこそ、その反動もあったのだ。
当時のシュバイクは、母親への依存度が異常だったのである。
片時も側を離れたことはなかったのだ。つねにその傍らで優しい視線と笑顔を投げかけていてくれた母が、永遠に何処かへ消えてしまうのではないかと怯えていたのである。
沈みかかった夕日が、テラスへ続く扉窓から室内を照らしていた。
部屋にはベッドと小物を入れるタンス。そしてテーブルが一個と、椅子が二個。今も昔もレリアンの部屋の内装はまったく変わらない。
ただ一つだけ違うのは、いつも笑顔を絶やさない女性が見せた儚い顔つきである。
窓の遥か彼方を眺めながら、頬に滴る雫に光が反射した。深い悲しみを物語っているかのようだ。
きっと今の年齢であったならば、そのレリアンの姿を見た時にシュバイクは声をかける事が出来なかったであろう。しかしまだ五歳で、母が恋しい年頃でもある。
部屋に入るや否や、レリアンへと向かって駆け出そうとしていた。今にも崩れそうな脆い顔。そんなシュバイクに気づいたレリアンは、すでに笑顔だった。
「あらシュバイクどうしたの?何かあったの?」
優しい母の声が耳から脳へ、まるで癒しのハープの音色の様に入り込む。抑え込んでいた感情の壁は、もろくも決壊する。
「うわぁぁっぁぁぁぁぁん!母上ぇぇぇ!」
心の内にある想いが爆発したのだ。レリアンは何も言わずに、シュバイクを抱きしめた。胸に顔を埋めて泣きじゃくる子供を、母親は温かな愛で包みこんだ。
感情のたかが外れたシュバイクが落ち着き始めた頃、レリアンは呟いた。
「悲しい時には泣いていいのよ。それは嬉しい時に笑うのと同じことなの。シュバイク、あなたには自分の心に素直に生きて」
「ひっく...はい...分かりました...母上...」
シュバイクがレリアンに対して返した言葉は、子供らしくもない言葉だった。
しかしそんな息子に、いつもの様に優しい笑顔で応えたのである。
だがどうしても、シュバイク引っかかる言葉があったのだ。あの最後にかけてくれた「あなたには自分の気持ちに素直に生きて」という言葉である。
それはまるで〔己の気持ちに素直に生きることを許されなかった〕何者かと、息子であるシュバイクを比べていたのではないかと。
そしてその何者かとは、母であるレリアン自身なのではないかと感じたのだ。