第三十九話 帝国の進軍
次の日の朝。
ラウラファの街周辺に停泊していた帝国の艦から、次々と小船が降ろされた。水面へと着水した赤馬と言われる小船は、船底が赤く塗装されている事からその名で呼ばれている。
一隻に二十から三十人の兵士達が乗っているだろう。それが一つの艦から数十隻ほど出船していくのだ。
陸地へと辿りついた船からは、次々と兵士が降り立つ。その顔つきはどの男も逞しく、紅く染められた鎖帷子を着込み、鉄の剣と盾を携えていた。
統率がとれた兵士達は一糸乱れぬ動きで街道へと出ると、早歩きで進んでいく。早歩きといってもそれは、ほぼ駆け足に近いものだ。
「列を乱すなぁっ!進めぇ!後ろの者は前の者へと着いていけぇ!さぁ、いけぇ!止まるなっ!」
士官級の兵士であろう。数千人ほどの隊列の横を通り過ぎながら、大声で叫びながら駆け去っていく。彼らは皆、恐ろしい見た目の魔獣の背へと跨っており、その上から叫んでいるのだ。
ヴゥゥゥゥゥゥゥ!
時折、うなり声を上げるその獣は、巨大な猪のようにも見える。しかし頭から突き出る一本の角と、全身を覆う紫の鱗がただの獣ではないことを物語っている。
「進めぇ!バゥレンシアの首都ザイラスまで、一気に駆け抜けるぞっ!」
部隊長と思わしき男達は、その魔獣の背から兵士達へと激を飛ばし続けていた。
「召喚術士っ!私のバイロキオスを出せぇっ!」
ついに陸地へと降り立ったロックガード将軍は、黒ずくめのローブを身に纏う一団へと命令を出した。
彼らは召喚術に優れた魔法使いであり、ラウラファへの侵攻の際に川を下る船を召喚した者達であった。
その中の一人が返事をすると、手の平を目の前で合わせながら呪文を唱えた。
「ハッ!只今!我命ずる…縁の園に住まう…悪しき獣よ…我が前に其の姿を現せ!」
呪文を唱え終えると同時に、両手の平を前へと突き出した。すると圧縮された空間が爆発するかのように、大きな衝撃波が放たれたのである
ヴォオオオオオオオオオオ……!
突如として目の前に、巨大な獣が姿を現した。
全身が紫色の鱗に覆われている猪で、他の隊長各の兵士が乗っているものと同じ生物である。ただ違うのはそれらの魔獣よりも遥かに大きいという事だけである。
召喚された魔獣へと数人の兵士が駆け寄ると、鞍と手綱と鎧が装着された。普段はとても凶暴な獣であるため、人が簡単に近づける生き物ではない。肉食なので、主な食べ物は他の動物である。
その狩の方法は至って単純で、額から伸びる角の先端を獲物へ向け、突進するだけであった。
この獣を帝国軍は、戦闘の際の兵器兼移動用の乗り物として使っているのだ。 全ての準備が整うと、魔獣バイロキオスは完全な防備を備えた派手な井手達となった。
「覇山剣を持って来いっ!」
ロックガードが叫ぶと、一本の巨大な剣が数人の兵士達の手によって運ばれてきた。
両刃は二メートル近くはある。その巨大な剣を受け取った男は、背中の鞘へと軽々とと仕舞い込む。そしてそのまま魔獣の背へと目掛けて飛び上がった。
「デェイヤァツ!」
魔獣の背へと着地する。腹のそこから出した声で渇を入れた。すると魔獣は猛然と走り出す。
そのまま兵士達が列となって歩く横を駆け抜けると、瞬く間に先頭へと躍り出た。
魔獣とは、獣でありながら身体から魔力を放っている生物全般の総称である。戦士の動物版と言った所だ。
あらゆる国々で魔獣は戦闘の際の兵器として使われている。それだけ強力な力を持っているからであるのだが、人間が扱うにはあまりにも凶暴で危険が伴う。
そのため軍隊内での一部の者のみの使用に留まっているのが現状である。
その頃、数十キロ先ではコウマ率いるラウラファの残兵部隊が、一夜を明かした野営地に残っていた。すぐにでも出発して、バゥレンシアの首都ザイラスへと向かわなければいけないはずである。
焚き火からは白い煙が上がり、その炎はすでに消えていた。
木で出来た家々には、その主である建物の住人がいない。
家畜である鶏や豚の鳴き声が時折聞こえてくるが、兵士達が到着した時よりもその数は減っていた。
村の中央にある広場には、九十人ほどの兵士達が集まっている。そして茶色の皮の鎧に身を纏う、栗毛の男の話へと耳を傾けていた。
「皆聞いてくれ。俺たちはバゥレンシアの首都へと帝国軍よりも早く戻らなければいけない。しかし正直に言ってこのままでは、進軍してくる奴等にいずれ追いつかれる。そうなれば俺達は皆殺しに合う所か、そのままの勢いで首都まで陥落するだろう。だからここで一世一代の大勝負に出ようと思う。はっきり言ってこれが成功するかは俺にも分からない。だがやらなければならない」
そう言うと、コウマは一呼吸置いた。
自分が今から述べる作戦を、この兵士達に伝えなければならないからだ。そしてその作戦には、犠牲が伴うかもしれないのだ。
そんな栗毛の男の話に、誰しもが真剣な眼差しをもって聞いていた。
当初ラウラファの町の防衛を任された時、ここまで信頼にたる男では無かったのだ。
しかし今回の戦いで才覚を見事に発揮し、誰もがコウマ・レックウを認めたのである。
「いいか、今回の作戦は進軍してくる帝国の足を緩め、首都ザイラスへの到着を遅らせる事にある」
「そんな事が可能なのですか?」
兵士の一人が問いかけた。
「ああ。この作戦を行う上で必要なのは一つ。皆の協力のみだ。首都ザイラスの途上にはいくつか村がある。これらを有効に利用する。何をするのかと言うと、村人を装ってもらう」
「村人を装う?どうやるのです?」
「着ている鎖帷子や、持っている装備類は全て捨てて貰う。そして村の家々に入り、服を借りるんだ。そして道の真ん中や、家の前で項垂れているだけでいい。これだけできっと奴等は食いつく」
「食いつく?」
「きっとな。本来なら村には誰もいないはずだ。帝国軍が攻めてきたと知って、遠くへと逃げた訳だからな。しかしそんな村に人が数人残っていれば奴等は不思議に思うだろう。そして何があったのかを、聞いてくるはずだ。そこでこう答えるんだ。『村で疫病が蔓延し、村人の殆どが死んだ』と」
コウマは真剣な顔つきで話を続けた。
「最初の村では敵は信じないかもしれない。しかしこれが次の村、さらに次の村でも同じだったらどうだ?きっと奴等は考え始める。このまま街道沿いに進んでもいいものか?と。軍の兵士にもし疫病が蔓延でもすれば、敵地へと進軍してきている奴等にとっては大打撃となる。指揮官はきっと悩むだろう。そして疫病という危険を避けて、もしかしたら首都への迂回ルートを選ぶかもしれない。そうなれば願ったり叶ったりだ。もしそうならなくても、悩む時間を与えてその歩を止めさせるだけでもいい。それだけでも十分な成功と言える」
兵士達は皆一様にコウマの話に聞きいっている。コウマはいつに無く真剣な顔つきでありながら、何処か悲しげな表情でもあった。
「ただ、この作戦は諸刃の剣だ。敵に見破られれば、その場ですぐさま殺されるだろうし……見破られなくとも、殺される危険は十分にある。敵地の村々を焼き払い、村人を殺していくのは侵攻戦では当たり前の戦術だからな。だからこの作戦に参加する者は死を覚悟して貰いたい。その上で、やってもいいと言う者はいるか?」
栗毛の男はそう言いながら、兵士達の顔をゆっくりと見ていった。しかし目を合わさないように、下を向く者達ばかりである。
それも当然である。命からがら街を脱出し、何とか生き残った者達ばかりなのである。
「やります」
一人の兵士が答えた。若い男である。
元々はラウラファの守備隊であった男だろう。コウマよりも十ほど年下であろう兵士の表情は、一切の迷いを感じさせないものだった。
「いいのか?死ぬかも知れない危険な役目だぞ」
コウマは正直に伝えた。
「分かってます。俺には小さい妹が居るんです。今はきっとラウラファから非難して、首都にいるでしょう。その妹のためにも、帝国をこのままザイラスへ進軍させる訳にはいきません。だから、やります」
兵士の男はそう言うと、鎖帷子を脱ぎ始めた。
「俺もやるぜ」
年配の兵士の男である。
その男はそれ以上口を開く事なく、装備を捨て鎖帷子を無言で脱いだ。
「俺もやります」
「俺もだ」
「俺もやる…」
「私もだ」
「やります」
次々と男達が立ち上がりながら言った。その顔つきは引き締まっており、死を覚悟しているのが分かるものだった。
「いいのか?死ぬかもしれないんだぞ?」
コウマは問いかけた。その言葉に皆は静かに頷くだけだった。だからそれ以上は、何も聞かなかったのである。
「すまない皆……恩に着る。では頼んだぞ」
コウマは謝意を述べると、残りの兵士達を引き連れ、首都ザイラスへと向け出発した。
すでにここまでの道のりの途中には、二つの村があった。
最初の村へと向かう二人と、その次の村で待機する三人は来た道を戻っていった。そして今出てきたばかりの村には、一人を残したのである。
こうして、男達の命を懸けた作戦が幕を開けようとしていた。




