第三十六話 託された想い
湖からロックガード将軍率いる帝国軍の大艦隊が近づいている時であった。街の反対側にある陸地へと、数十隻の小船が辿り着いていたのである。
その船の一隻から降りてきたのは、ずぶ濡れになった皮の鎧を身にまとう栗毛の男である。船から降りるとその男は、力なく地面へと膝を崩した。
「クソォッ!クソォッ!俺に......俺にもっと力があればっ......!」
コウマ・レックウは大地に拳を叩きつけた。そして己の無力さに抑えきれない怒りを、大地へとぶつけたのだ。
何度も何度も打ち付けられるその手は、しだいに皮膚が切れて、血が滲み出してきている。
時は、ほんの小一時間前へと戻る。
バゥレンシア最強の騎士が、帝国軍の旋風隊隊長を討ち取った後の事である。
ケイオスは、敵の生首が突き刺さった屋根板を、己の身体へと縄で巻きつけていた。
「コウマ中尉。私はドゥナスの首を自分の身体にくくりつけて、前戦へと出る。それで少しは敵の勢いを削げるはずだ」
ケイオスは屋根の上にそびえる鐘楼から、やっとの思いで降りてきた栗毛の男へと向かって言った。
「なるほど、そういう事か。分かった。ならば俺は、ここで待機していよう。どうせ戦いへと出ても、足を引っ張るだけだしな。はぁ、こんな事なら剣術と魔法の訓練にもっと励むべきだったなぁ」
コウマは気の抜けた顔つきで言った。言葉の内容だけ取れば後悔しているようにも思えるが、その態度はどこか相手の笑いを誘うようなものであった。
しかしその言葉に鋭い眼差しを持って、ケイオスは答えた。
「何を言っている?コウマ殿は、出来るだけ多くの者達を引き連れて街の北側から脱出しろ」
そう言った男の顔は真剣そのものだった。コウマは思わずたじろいだ。対面するその男の顔つきが、戦場に立つ騎士そのものであったからである。
本来なら、敵に向けるべきはずの顔つきのように思えたからなのだ。
「な、何を言うんだ。俺は最後まで、ここに残るぞ。この街の指揮官である俺は、この街と命運を共にする。でないと、命を失った者達へも顔向けができないじゃないか」
コウマは相手に気おされながらも、真剣な顔で答えた。目は垂れているが、眉を引き締めている。覚悟を決めた男の顔である。
二人は分かっていたのだ。今は何とか耐え凌いでいる帝国の攻撃も、これ以上、さらなる戦力を投入されてしまえば、もう防ぐ事はおろか、耐える事も出来ないという事を。
「コウマ殿は、剣を握りそれを振るう事しか出来ないような、俺みたいな人間とは違う。これから先の時代は恐らく、帝国と連合の戦いはさらに激しくなるだろう。だからコウマ殿のような才を持つ者が、この国には必要なのだ。死ぬのは何時でも出来る。その時に、己の不甲斐なさで亡くなった者達へと詫びればいい」
白い肌に、金の髪。白金の鎧を纏う男の目は、コウマの淡褐色の瞳何かを訴えかけるようだった。
だがコウマは、そんな簡単に頷く訳にはいかなかったのだ。それはラウラファの街の住民までもを戦いへ巻き込み、多くの命を失わせてしまったからである。
「しかし!指揮官としての責務が俺にはある!ここで部下や仲間を置き去りにしたら、この先誰が着いて来てくれると言うんだ!?そんな事ならここで一層の事っ…!」
コウマが最後の言葉を口にしようとした時、ケイオスの容赦ない右の拳が、頬へと叩きつけられた。
「ぐっ!?」
あまりの衝撃だったのだろう。後ろへと倒れこんだコウマは、最初、何が起きたのか解らないといった顔つきであった。
そして数秒した後に、自分が殴られたと言う事実に気がついたのである。
「愚か者っ。指揮官の責務は敗色濃い戦いの最中に、その身を戦場に投じる事ではない。冷静になれ、コウマ殿なら分かるだろ。まだ今なら、多くの者の命を救う事ができる。そして帝国よりも首都へと先に戻り、奴等の攻撃に備えるのだ。今負けても、次勝てばいい。そしてお前になら、それが出来る!」
コウマの左頬は赤く染まっていた。そしてその痛みを感じ取り始めた時、自分がやるべき事を冷静に見詰め直すことが出来たのだ。
「分かった……なら、後は任せた……」
コウマはそう言うと、静かに立ち上がった。その顔は引き締まっている。
それを確認したケイオスは、安心したようであった。鞘に収めていた剣を抜き去ると、コウマへと背を向けて最後に言ったのである。
「味方から勝どきが上がったら、撤退の鐘を鳴らせ。そこから先は、何とか脱出するまでの時間稼ぎをする。俺の故郷、バゥレンシアを頼んだぞ」
「ああ。必ず守ってみせる」
ケイオスはそう言うと、水面へと浮かぶ帝国の斥候船の残骸へと飛び降りた。そして軽い身のこなしで、水面に浮かぶ板から板へと飛び移りながら、霧の中へと消えていったのである。
この後、ケイオスは激しい戦いが繰り広げられる前戦へと出ると、身体にくくりつけたドゥケスの生首の突き刺さる木の板を持って、敵の士気を見事に打ち砕いたのだ。
そして勝どきが上がると、教会の鐘の音がラウラファの町全体へと鳴り響いた。これによって味方の兵士達はすぐさま、街の中心部へと撤退を始めた。
いくつか無事に残っていた帝国の船を使い、怪我人から優先して船へと乗せると、ゆっくりと北を目指して進んでいったのである。
前戦へと残っていたケイオスは、すでに死を覚悟していた。
迫り来る大艦隊を前に、最後の悪あがきを見せようとしていたのだ。だがそんな男の周りには、自分の部下である騎士達が残っていた。
皆、一様に鎧を敵の血で染めている。中には深い傷を負っている者さえもいた。
「何をしている!?さっさと撤退しろ!もうこれ以上は、無駄な戦いだ!お前達まで死ぬ事はない!」
周りの建物の屋上には、数十人の騎士達がまだ立っていた。剣と盾を構え鋼鉄の鎧を纏うその者達は、揺るがぬ決心でそこにいるのだ。
「我等はバゥレンシアの騎士。ケイオス様と共に、この身を戦場に奉げる事を元より、覚悟の上で御座います。貴方と共に死ねる事を、光栄に思います故、どうか冥土までご一緒させて下さいませ」
騎士の一人がそう言うと、まわりの者達がその言葉に合わせるかのように深く頷いたのである。
「ふっ。馬鹿な者達よ…ならば、一人でも多くの敵を道連れにし、我等バゥレンシアの騎士の恐ろしさを、奴等の記憶に刻み込んでやろうではないかっ!」
オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ......!
その場に居る大勢の者達が、大きく声を上げた。自らの気を高め、鼓舞するかの如くそれは放たれたのだ。
そして数十分後。帝国軍の将軍率いる本隊が、大波のように押し寄せたのだ。
「ウラァァァァァッッ!」
斬っても斬っても、次から次へと沸いて出てくるかのような敵に対して、ケイオスはすでに思考を停止させていた。
首を斬りおとし、そのまま次の敵の胴体を貫く。そして薙ぎ払い、さらに次の敵を斬り殺す。
一人、また一人と仲間が倒れていく中で、命尽きるその最後まで戦いきったのだった。




