第三十五話 勝どきをあげよ
ラウラファの南に位置する湖では、一万近い兵士達を待機させている大小様々な軍船が停泊していた。その中で一際巨大な艦がある。
甲板では、将軍のロックガードが霧に包まれる街を眺めていた。バゥレンシア侵攻軍の総指揮を、帝王リゼリアより任命された男である。
胸の前で太い腕を組み、竜の鱗で出来た鎧を身に纏っている。老齢の男だが、筋肉質の身体と傷だらけの顔は、数多の戦場を生き抜いてきた証である。
「あれから三時間は経ったか...まだメアーズの艦隊からは報告がないのか?」
そんな男が部下へと問いかけると、畏まった態度で兵士は答えた。
「は、はい。まだ一切あちらからの報告は御座いません。先ほど連絡艇を一隻ほど派遣したので、それが戻ってくれば、どの様な戦況になっているかはお分かりになるかと」
男がそう言うと、将軍ロックガードはそれに頷くしかなった。
日が昇るにつれ、視界を塞いでいる霧は少しづつだが薄くなっていた。
ラウラファの町では、激戦が続いていた。建物の屋根から屋根へ梯子をかけ、次々と渡ってくる帝国兵。どの者も鍛え抜かれた、屈強な男達ばかりである。
それに対して守りを固める家々の屋上には、ラウラファの兵十人が配置されているのだが、その全てが戦闘に特化した者達ではなかった。
人員不足によりラウラファの守備隊へと急遽加えられた町の男達。彼らが多く混じっていたからである。
戦闘力など無きに等しいかれらを有効に活用するため、屋根の上から投石を投げ込むなどの手数として利用したのだ。
それがこの要塞化作戦としての強みであった。
だが剣と盾が猛威を振るう接近戦となった今、その力の差は歴然であった。武器など握った事のない素人が、戦う事を生業として生きる者達に敵う訳がなかったのだ。
「うわあっ!」
引けた腰で構える盾に、敵の容赦ない斬撃が打ち当たる。するとその衝撃だけで、男は後ろへと転んでしまった。
不釣合いな鎖帷子を着込み、動きにくくなっている身体。目の前に立つ帝国兵は、そんな男へ向けて容赦なく剣を振るう。
「ぐふっ!」
美しい剣の切っ先が、鎧の隙間を見事に貫いた。血を吐き出しながら、屋上の床へと倒れこむ。それは優位に立っていたはずの、帝国兵である。
「ケ、ケイオス様っ!た、助かりましたっ。ありがとうございますっ!」
腰が抜けしまったのだろう。立ち上がる事もできずに、目の前に現れた白金の鎧の騎士へと向かって言った。
だがその次の瞬間には、ぞっとしたのである。
金髪の男の背中から伸びるように、木の板が身体にくくり付けられていた。先端には人間の生首と思わしきものが突き刺さっている。
「油断するな!相手はお前を殺すのに躊躇などしないぞ!殺らねば殺られる。それを肝に銘じておけ!」
ケイオスはそう言うと、梯子の上を駆け抜け、瞬く間に次の屋上へと移っていった。そして帝国兵をあっという間に、斬り殺していったのである。
「我はバゥレンシア騎士団のフラガナン・エンリュ・ケイオスである!貴様等の大将、ドゥナス・ガルドット・ディ・ジャッカスは討ち取った!帝国の兵共よ!我を見よ!その証拠が、この生首だっl」
ケイオスは大声で何度も叫びながら、帝国兵を斬り殺していく。その身体にくくり付けた板には、ドゥナスの生首が突き刺さったままである。
それを見た敵は、帝国軍屈指の猛将が敗れ去った事を突如として知るのだ。
あまりにも大きな、精神的打撃であった。一番その痛手を負ったのは、ドゥナスの直々の配下に当たる旋風隊の者達である。
帝国の中で野蛮人と言われる男達を纏める大将は、誰よりも強い戦士であったはずなのだ。
「我はバゥレンシア騎士団のフラガナン・エンリュ・ケイオスである!貴様等の大将、ドゥナス・ガルドット・ディ・ジャッカスは討ち取った!帝国の薄汚い侵略者達よ!我等、ラウラファの兵の底力を思い知れぇっ!さぁ、者共!勝どきをあげよ!我等の力を示すのだ!」
ケイオスの言葉は敵の士気を下げると共に、味方の兵の士気を一気に高めた。数多の戦場を生き抜いてきたこの男は、兵士の士気が何から生まれ、どうやって増幅されるのかを完璧に理解していたのである。
ウォォォォォォォォォォォォォォォォォ……!
屋上に潜むラウラファの兵が、次々と咆哮を上げる。それは己を鼓舞するかのように、恐れと不安を振り払う気迫の篭ったものである。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
先ほどまで床へと座り込み、立ち上がる事もできずにいた男。しかしケイオスの言葉に奮い立ち、手に握る剣を構えて帝国兵めがけて突っ込んだ。
その鉄の剣の切っ先が、胴体を貫く。大量の血が噴出し、見開いた己の眼に飛び散った。
普段なら、町の商店で仕入れた作物を売るだけの、なんて事のない男である。妻に娘が二人。幸せな生活の日常が一変し、男は初めてその手で人を殺した。
「な、なんだって…ドゥナス団長が…負けた…だと……」
戦意を喪失していく旋風隊の戦士達は、愕然としていた。次々と武器を床へと落としていったのである。
帝国軍の第二陣による攻撃が、何とか収束を迎えようとしていた時である。霧の彼方から、ロックガード将軍率いる帝国の本隊が、町へと向かって前進してきたのだ。
それをいち早く、不気味に光る眼で捉えたケイオスは、ラウラファの町が陥落するのを確信した。だがすでにそれを分かっていたかのように、ほんの微かに笑ったのである。
それはまるで、最後の希望を何かへと託し、死んでいく者の潔い顔であったのだ。




