第三話 シュバイク対ハギャン
動けない......
百戦錬磨の猛将から向けられている敵意を前に、シュバイクの全身は重い鉛を背負ったかのような感覚に襲われていた。
整えていたはずの呼吸は僅かに乱れ、胸の鼓動が速くなるのを感じる。
「来ないのなら...こちらから行きますぞっ!」
その瞬間、緑の芝生が舞い上がり、黄土色の地面が露になった。
肉体の力を魔力によって解放させ、ハギャンはシュバイクとの間合いを一気につめたのである。
そして瞬く間に、両手で振り上げていた木剣を相手の頭蓋骨目掛けて振り下ろした!
硬い物を砕く鈍い低音が広場に響き渡るのと同時に、ハギャンは確かな手ごたえを感じとろうとしたが、それはすぐに確信へと変わらなかった。
「なるほど...よくぞ防ぎましたな」
ハギャンは自分の木剣の切先へと視線を走らせた時、全てを理解した。
それは、シュバイクが寸分の狂いもなく、ごく僅かな面積しかない柄頭で剣を受け止めていたからである。
「はぁ...はぁ...ぐ...偶然です...」
シュバイクが握る柄からは、血が滴り落ちていた。ハギャンの一撃が、いかに凄まじい威力だったかを物語っているようだ。
柄頭は割れ、巨大な木剣に抉り取られている。
数秒の出来事であるはず。しかし、すでにシュバイクの息は絶え絶えしく、その胸の高鳴りは全身を駆け巡っている。
ほんの少し、ハギャンの木剣がずれてしまっていれば、致命傷は免れなかったであろう。
無残な形となった柄頭を見ると、恐怖と安堵がシュバイクの世界を覆いこんだ。
「誰か、シュバイク様に新しい木剣を用意しろっ!」
ハギャンがそう言うと、息を整える暇も無くシュバイクの手元に新たな木剣が持ってこられた。木剣を持ってきたのはウィリシスである。
ウィリシス・ウェイカーは、シュバイクよりも四つ年上の二十一歳の若者である。七歳の時に城下町の路上で物乞いをしていた時に、たまたまその場を馬車で通りかかった王妃レリアンによって拾われたのだ。
当時、薄汚い孤児を城内に持ち込んだと、レリアンは王族達に非難された。
しかし、レリアンの必死の説得により、彼を王宮警備隊の元で訓練をさせ、王家にとって使える人材であると証明する事が出来れば、城内に住まわせても良いとなったのである。
周囲の反対をよそに、ウィリシスはめきめきと剣術の腕を上げ頭角を現した。
十五歳にして警備隊の精鋭を相手に実技訓練で勝ってしまったほどである。
ウィリシスはその三年後の十八歳にして、史上最年少で騎士への叙任の儀を受けた。
そして、実力でシュバイクの守護の任を国王から任されるまでになったのである。そんなウィリシスの出世を、誰よりも喜んでいたのは王妃レリアンであった。
ウィリシスとシュバイクは、正反対の性格が項をなしたのか、それとも歳も近い事からなのか、すぐに打ち解けることが出来た。
シュバイクは自分の忠誠を全て捧げる人物であり、守るべき主である。そして何より、その存在はかけがいのない弟のようであった。
それはシュバイクにとっても同じで、平等な人間として接する事のできる友であり、母以外で唯一信頼できる兄と慕う存在であった。
そのウィリシスが木剣を手渡す時にシュバイクにこう呟いた。
「シュバイク...頼む...無茶だけは絶対にするな。それだけは約束してくれ」
悲愴な表情であった。ウィリシスは、職務と私情の間で揺れ動く感情を殺すのに精一杯だったのだ。
「はぁ...はぁ...ごめん、ウィリシス。約束はできない。ここで負ける訳にはいかないんだ」
ウィリシスはシュバイクの瞳に輝く黄金の光を見たような気がした。
もうこうなっては、きっと何を言っても聞かないだろう。持って生まれたものなのか、時折みせる頑固な性格を痛いほど知っていたのである。しかしそれは元はといえば、シュバイクの母であるレリアンから受け継がれたものなのだ。
ウィリシスが路上孤児から騎士に成れたのも、元はと言えばレリアンが己の意見を押し通す意思を兼ね備えていたからこそなのである。
そう思ったとき、ウィリシスはシュバイクへ、何を助言する事が出来るのか。それが重要だと気づいたのである。
「分かりました...では正直に申し上げます。力、速度、技能においてハギャン殿はシュバイク様の遥か上です。にも関わらず、君はさっきの攻撃を完全に見切って、それを受け止めた。何故だか分かりますか?それはシュバイク様には敵の攻撃を見切る目と、相手の攻撃に臆する事無く踏み込める度胸があるからです。この二つを生かして、もう一歩だけ、ハギャン殿の懐へ入り込めれば...勝機は必ずあります」
無論それは簡単な事ではない。しかし、ハギャンの一撃を寸分の狂いなく受け止める事のできたシュバイクだからこそ、活きる道があるのだ。
ウィリシスは、それを見抜いていた。
「分かった。ありがとう、ウィリシス」
ウィリシスから受け取った木剣を手に、シュバイクは覚悟を決めた。心の隅から侵食してくる恐怖と不安を振り払い、眼前の敵へ全神経を傾けるために。
広場に居る誰もがシュバイクとハギャンの二人を注視している。横で実戦闘技をしている他の王子達には、誰一人として目を向ける者はいなかった。
それに気づいた長男のレンデスが、奥歯をかみ締めるように「チッ。またアイツか...クソが」と口にしたのを誰も耳にすることはなかった。
シュバイクの呼吸は落ち着き始めている。先ほどから激しく脈打つ鼓動も、今は程よい高揚感へと変わりつつある。
全神経が研ぎ澄まされ、その全てが相手の動きを感じとろうとしていた。
互いが木剣を握り再度、構えをとる。広場にいる誰しもが、身体中を引き締められるような気がしていた。
ハギャンは先ほどと同じように、両手で木剣を握る上段の構えをとった。
この構えは獣牙の構えと言われ、力、速度、範囲を活かすために、敵目掛けてただ力一杯剣を振り下ろすことのみに特化したものである。
おおよそ構えと言うには乏しいものであるのは間違いない。
しかし、一殺一撃とも言われるこの構えこそ、ハギャンがもっとも得意とする戦い方なのだ。この構えと相対して、生き残った敵がどれほどいたか。
それに対してシュバイクは腰を深く落とし、膝を曲げ、剣を握る右側面を半歩引いた構えをとった。
ハギャンの構えと比べると、基本的な構えであり、剣を握り訓練する者が一番初めに覚える構えでもある。
相手の動きに対して柔軟に対処出来る騎士の構えと言われるものだ。
恐らく自分がもし、ハギャンと剣を交える事になればこの構えをとるだろうと、二人を見守るウィリシスは思った。
そしてこの戦いは獣の牙が騎士をかみ殺すか、騎士が獣を討ち取るかしか結末はないのである。