第二十七話 動き出す国々
石の廊下をリズミカルに叩く音が響き渡る。
それは、皮のブーツの底が床へと打ち当たる度に聞こえてくる。
水中都市国家スウィフランドの第七層を、全速力で駆け抜ける者がいた。
ライトブラウンの長い髪を後ろで纏めているため、少年のような見た目であるが確かに女性である。
「ちょっちょっとっとっと!ごめんなさいっ!通して、通してっ!」
狭い廊下は人が、二、三人ほど横になれば道幅は一杯になる。しかし、女は人を押しのけ、時にはかき分けて進んでいく。
そしてある部屋の扉の前に到着すると、ノックもせずに中へと入った。
「セルシディオン団長!た、大変ですっ!」
肩で息をするほどに、レイン・フィースの呼吸は乱れていた。しかし、伝えるべき報告が、相当な緊急性にあるのか、その乱れを整えずに一気に話し始めた。
「何だ、騒がしい。上官の部屋に入ってくるのに、貴様は礼儀も弁えずに...」
「いやっ、ちょっと!それどころじゃっ、な、ないんですっ!実はクレムナント王国にっ、はぁっ...はぁっ...潜入しているっ...はぁっ...兵士から連絡がありっ...第五王子のシュバイク・ハイデン・ラミナントがっ...王家の力に目覚めたようですっ!」
レインがその報告内容をオーリュターブへと伝えると、殺気混じりのその顔はすぐに急変した。
「何だと!?それは確かなのか?」
執務室の中には、扉から入ってきた者と対面するように机を挟んで椅子が置いてある。そこに座る細身の男は、普段は滅多な事がない限り表情一つ変えることはないのだ。
しかしこの時ばかりは、確かな動揺が見て取れた。年齢にそぐわない白髪と白い肌。そして、つり上がった狐のような目の奥には、グレーの瞳が見開いていた。
「た...確かですっ!複数の潜入兵から同じ報告がありっ...どうやらそれに合わせて、各国も動き出したようですっ!」
レインは両膝に手をつきながら、もうすでにまともに立っていられない様子であった。しかし事の重大さを理解していため、オーリュターブへと最後までその報告を伝えたのである。
「なんて事だ...こんなにも早く覚醒するとは...恐らく不完全であったに違いない。レイン、十三騎士団の全ての団長を司令室へと集めろ!それと同時に、各団へ通達しておけ。いつでも出発できるように、兵を揃えておけと!私はハイドラ様の所へ、この報告を伝えにいく」
「了解です!」
オーリュターブはすらっとした身体を滑らせるように、椅子から立ち上がった。そして、百八十センチはあろうかという身長から、長い足を一気に伸ばして大きな一歩を踏み出した。
早足で部屋をでていくと、水中都市国家スウィフランドの元首ガルバゼン・ハイドラの居る執務室へと向かっていったのである。
一方その頃。同刻同時刻。
クレムナント王国の遥か東に位置する、オルシアン帝国領の首都ウルガスでは、帝王リゼリアン・ローゼスへと部下から報告がもたらされていた。
オルシアン帝国は、首都ウルガスを中心に二十近い国々を支配下に置く大国である。十三代帝王リゼリアン・ローゼスは前国王の妾でありながら、類まれなる才知を駆使し、王を毒殺。その罪を側近へとなすりつけ、混乱に乗じて玉座を手にした女である。
女帝の異名を持つリゼリアンは、逆らう者へ一切の容赦なく皆殺しにしてきた。飴と鞭の使い分けは、妾時代からの得意技で、男を手玉に取るが如く、近隣諸国を支配下に置き、その領域は徐々にクレムナント王国へと伸びつつあった。
だが、クレムナント王国が水中都市国家スウィフランドと同盟契約を交わした事で、表面上は友好的な関係を築くことになったのだ。そのため、魔の手は収まったかのように思えた。
王国が保有する山脈には、多くの鉱石資源が眠っており、これを手に入れんがために多くの密偵を城下町へと放っていたのである。そして、スウィフランドもまた、そんな帝国と同じように、クレムナント王国の鉱石資源を密かに狙っていた。
赤の城と呼ばれるオルシアン帝国の本拠地は、首都ウルガスの中心部に聳え立つ巨大な城塞である。
リゼリアンの趣味が前面に押し出されるその城の外壁は、真っ赤に塗装されており、それは流した敵の血の色だともっぱらの噂であった。
城内は赤一色で、真紅の絨毯が数十メートルも続く。帝王の間では、二十段もある階段の上に配置された玉座へ、その女は座っていた。
「帝王様。クレムナント王国へと潜伏中の兵より、第五王子のシュバイク・ハイデン・ラミナントが王家の力に目覚めたと報告がありました。しかし、早すぎる目覚めの反動で、シュバイク王子は深い眠りについたという事です」
鋼鉄の鎧に身を包む老練な男。遥か上段にいる女へと向けて問いかけた。
「そぅ。覚醒したのね。いや、不完全な覚醒だから覚醒ではないのかしら。まぁどちらにせよ、眠りについたと言う事は、この我が帝国にとって願ったりもないこと。潜伏中の兵には、どんな手段を使ってもいいからシュバイク・ハイデンを殺すように命じているわゆよね?国に混乱が生じている間に私は全軍を率い、クレムナント王国領への侵略を開始します。支配国の王達にも通達を出しなさい。この戦で手柄を立てれば、王国に眠る鉱石資源の半分を褒美としてやると」
胸元が大きく開いた真紅の鎧を身にまとう女は、底知れない冷たさをレッドアイの瞳に宿す。ほっそりとした身体には似合わない豊満な胸と尻。そして、厚い唇と切れ長の目は、男を魅了するにたる素質を全て兼ね備えている。
長い黒髪は妖艶でいて、白い肌は雪の如く美しい。
「はっ!」
リゼリアンの言葉に、短い返事一つで答える。そして一礼を済ませると、来た道を足早に戻っていった。
「面白くなりそうね」
そう言うと、玉座から立ち上がった女は、背後に伸びる通路へ消えていった。
同日同時刻。
オルシアン帝国の北東に位置する連合国家、サラナイファ連合公国にも同じような報告がもたらされていた。
この国は、隣接するオルシアン帝国からの侵略行為に対抗するため、四カ国が連合を組んで誕生したという経緯がある。強大な兵力を誇る帝国の前に、固い結束で結ばれているのだ。
サラナイファ連合の国の代表は、三年毎に次の国から選出された人間が総統という座につく。三年周期で総統が入れ替わり、十二年たつと一周して最初の国へと戻るのだ。
この連合国の現在の総統は、バスカロン西和国のチェイス・ルーベンスである。その他の三国は、北にバゥレシアン北和国、南にアルマンドル南和国、そして東にコーカナイダ東和国である。
四国の中心地点にある政治を司る街パッパ・モルパでは、総統チェイス・ルーベンスと、三国の代表たちが集まっていた。
彼らにもたらされた報告は、やはりシュバイク・ハイデンの覚醒の知らせであった。しかし議題となっているのは、クレムナント王国への侵略などではなかった。
広間に設置なれているのは円状の机。そこに数十個の椅子が配置され、その全てに人が座っていた。天井のガラス窓から差し込む光が、室内を明るく照らしている。
総統ルーベンスは熱弁を振るいながら、そこに座る面々の顔を順番にみていった。三国の代表の他に、軍事を担当する四国の将軍達が並んで座っている。
「帝国が動いた今こそ、我等が奴らに奪われた西の要塞を取り戻す好機である!今動かずして、いつ動くのだ!もう時間の浪費をこれ以上するべきではない!」
短い金髪を七三分けにしている。その下には太い眉と、突き出た顎。
雄弁に語る男は、ジレと呼ばれる首元の開いた上着の下に白いシャツを着込んでいた。下半身はひざ丈ほどの黒のキャロットで、それを白のソックスが包んでいる。上流階級の服である。
「確かに旗から見れば、奪われた要塞の奪還をするのに、これほどの機会は無きに等しいですな。だがそれが逆に怪しい。帝国の売女は、先の先まで敵の動きを読み、兵を動かすのです。我等が味わってきた苦汁を忘れてはいけませぬぞ」
バゥレシアン北和国の将軍ゲベルは、渋い顔つきで言った。
顔の至るところに皺が目立つ、老齢の男である。黒の軍服の胸には、連合国家を象徴する四葉のマークが刺繍されていた。
「何を言うか!西の要塞は、オルシアン帝国へと攻撃を仕掛ける際の重要な要であるぞ!それを取り返す好機が目の前に転がり込んだと言うのに、軍人であるお前が怖気づいてどうするのだ!」
総統ルーベンスは、己の言葉に酔っていた。対した軍略の知識もないのに、軍事を専門とする将軍の意見をねじ伏せようとしたのだ。
だがこれに反対できる強い主張が、他の者にあった訳ではない。だからこの機に乗じてサラナイファ連合は、西の要塞の奪還作戦を決行する事になったのである。
そしてそれは、オルシアン帝国の帝王リゼリアン・ローゼスの思惑通りだった。
リゼリアンは、サラナイファ連合の総統ルーベンスの性格を読みきり、軍を動かそうとしていたのである。相手が国ではなく、一人の男としてみることで、その動きを予測する事に成功したのだ。
こうしてシュバイク・ハイデン・ラミナントの覚醒は、世界の国々へと大きな影響を与えた。そしてまさに国の存続を懸けた、弱肉強食の時代が幕を開けようとしていたのである。




