第二十三話 魔道師の道
《ウィザンドリード》の名称で呼ばれる宿屋街は、他国からの旅人が必ずと言っていいほど立ち寄る場所である。一泊から、数ヶ月まで、様々な滞在者に向けた、格安で泊まれる宿屋が集まっているのだ。
大通りから続く裏路地に足を踏み入れると、クレムナント王国の裏の顔が垣間見えた。至る所に路上孤児や、住む家のない浮浪者達が、身を寄せ合いながら地面へと座っているのだ。
細い路地は空からの光が届きにくく、つねに薄暗い。淀んだ空気の中に混ざり合うのは、食べ物が腐ったような悪臭と、排水から立ちこめる刺激臭である。
増改築の繰り返しによって出来たこの区画は、複雑な構造になっており、この国に初めて来た者が迷い込むことが多い。
前政権下で起こった内戦によって、建物の半分以上が焼失したせいである。新しい建物と古い建造物が組み合わさり、建物が二段、三段と押し重なるように建っているのはそのせいだ。
そんな石造りの建物に囲まれている路地裏を、歩いている者達がいた。大通りからの喧騒も届かず、静けさがその場所を満たしている。
動物の皮や骨、そして布を折り重ねたような民族衣装から、布の服へと着替えていたようだ。しかし首飾りはそのまま掛けており、白いターバンも腰にしっかりと巻きつけている。
「零様。こっちで道は合っているんですかね?」
周囲の様子をうかがいながら、女は零と言う名の男に問いかけた。
褐色の肌に黒い髪は短髪で、形のいい両耳はその姿を現している。目がくりっとしており、口元は締まっている美人。しかしその表情は、どこか不安げであった。
「だと思うんだけどなぁ。同じような場所をぐるぐる回っているような気もする...ベグートどう思う?」
ぼさぼさの黒髪頭に褐色の肌。そして蒼い瞳は大海原を思わせる。零は辺りを見回しながら、隣の大柄な体の男へと尋ねた。
「妙ですな...」
積み重ねた訓練と数多の戦場での経験から、不純物が取り除かれたような顔つき。渋みと凄みを兼ね備えた男は、気がつけば足を止めていた。
「ベグート。どうした?」
零が後ろへと、振り向いた瞬間である。視界のが歪み、脳を刺激する強い痛みに襲われた。
それは瞬く間に全身に広がり、気がつけば地べたに突っ伏していた。そして、今日食べたばかりのシチューと共に、大量の胃液を吐き出す。
「うおぇぇっ!ぐっ!おぇっ...!」
突然の事であった。零と同じく、その隣にいた女も嘔吐して倒れた。
平衡感覚を失い、視覚も異常をきたした。意識を朦朧とさせる中で、零の耳にベグートの野太い声が響いてきた。
「零様!ユーファ!気をしっかり保つのだ!これは魔法印の罠だ!ハァァァッ!」
薄れ行く意識の中で、ベグートが戦っているのが辛うじて分かった。そして、ただゆっくりと閉じていく瞼の裏側で、零は何も出来ない自分に無力さを感じるしかなかった。
ベグートは魔力を一気に開放させ、外部から侵入しこようとする謎の力を跳ね除けたのだ。そして腰に巻かれる白いターバンを取り去ると、それを右手で握り締めたのである。
「白鯨槍っ!」
叫ぶと同時に、ベグートは右手に集約した魔力を一気にターバンへと流し込む。するとただの白い布だったものが、美しい一本の槍と化した。
『我は汝らに魂を与える!その見返りに敵を捕縛せよ』
何処からともなく聞こえてきた声は、明らかに呪文の類であった。
すると建物の壁から、恐ろしいうなり声をあげる石人形が次々と姿を現した。まるで墓穴から死人が出てくるような、そんな光景である。
ベグートは槍を構えた。
ヴァァァァァァァァァァァァァァァァッ......!
雄たけびを上げた石人形達は、次々とベグートへと向かって走り出す。
人が三人ほど横に並べば、隙間がなくなるような狭い路地。にも関わらず、ベグートは槍を器用に回転させた。そして次々と襲い来る敵を粉砕し始めたのだ。
「どぅわぁっ!せいっ!はぁっ!うらぁぁぁっ!」
三メートルはあろうかという槍の両端を上手く使った、突きを起点とした動き。正確に石人形の胴体目掛けて、穂先で貫いていく。
「ちっ、キリがないっ!」
数十体ほど倒した所で、ベグートは手に持つ槍へと一気に魔力を込める。もとは柔軟な繊維で出来ているのだ。
雑巾を力一杯絞るかのような動作を取ると、その槍は一メートルほどにまでみるみると縮んだのである。
そしてその柄の真ん中を口でくわえると、空いた左右の腕で二人を抱え込んだ。次の瞬間には、路地の先へと向かって全力で走り出していた。
増え続ける石人形は、後ろから追いかけてくる。しかしベグートは一切振り返らない。何故なら前をふさぐように、新たな石人形が壁や地面から現れ出てくるからであった。
口にくわえた槍を振り抜きながら、敵を砕いていく。猛然と駆け抜ける。眼前の光景は、後方へと瞬く間に吸い込まれていった。
『なんて男なの...化け物ね。仕方ないわ...これでどう。深淵の沼』
謎の人物によって、新たなる呪文が唱えられた。
ベグートの足元に異変が起こる。まるで泥濘に足をとられたかのように、身体が地面へと沈んでいく。石畳の路地が、まるで沼地のように変化したのだ。
「うぅぅぅ!ぐぁぁぁっ!」
それでも尚、ベグートは諦めずに前へと進む。
しかしその抗いも虚しく、やがて全身がその地面へと完全に取り込まれたのであった。




