第二十一話 富裕区への潜入
シュバイクは大通りの路上市に並ぶ露店の全てに、興味を惹かれた。普段自分が生活している王宮では決して目にできないような品物が、色々と売られていたからである。
どこの国から連れて来たかも分からない動物や鳥を、観賞用のペットとして売っている店。さらには、自分の労働力を売るといった店まであり、様々であった。
「シュバイク、ちょっと寄りたいお店があるんだけど、いいかい?」
興味深げに露店の店先に並ぶ商品を眺めていたシュバイクへ、ウィリシスは言った。
「うん。もちろん」
そう言うと、二人は商店が建ち並ぶ富裕区へと向かっていった。
富裕区とは、貴族などの特権を持つ者達が住居を構える場所である。多くの人々は一般階級と呼ばれ、この区画に立ち入る事さえできない。
これは、クレムナント王国が、まだ過去の遺物である階級制度から抜け出せていない証拠でもあった。
富裕区へと近づくにつれて、人の気配がなくなっていく。それに比例するかのように、あたりを巡回する兵士の数は多くなっていくのにシュバイクは気づいた。
路上市には人々がごった返し、様々な人種の人間を見かけた。しかし、これに対し、富裕区の周辺は、クレムナント王国の貴族のほぼ全てがそうであるように、白色人種の人間ばかりであった。
無論、シュバイクもウィリシスも白色人種の部類にはいる。しかし、ウィリシスは路上育ちの孤児であり、特権を持つような人々の生活とは無縁な生まれであるのだ。
レンガ造りの、壮麗な住居が建ち並ぶ。石造りの不恰好な家々が多く建っていた、大通りとはまったく違う雰囲気である。
「この辺りには、あんまり人がいないんだね。やっぱりパルティフランツァの近くだから?」
シュバイクは周囲を見渡しながら、ウィリシスへと問いかけた。
「ええ、そうです。パルティフランツアには一般階級民は入れません。それに、賢い者は近づこうとも思いませんよ」
ウィリシスは、顔をしかめながら言った。
「どうしてだい?何か特別な理由でも?」
「パルティフランツァに住む多くの者達は、それ以外の人々を見下しています。彼らに関わって、あらぬ罪を着せられ牢獄に入れられる。なんてのは日常茶飯事。だから、お互いに距離をとって暮らすのが一番なのでしょう」
そう言ったウィリシスの顔は、どこか悲しげだった。
「そうなんだ...知らなかった...」
シュバイクにとって、それは衝撃だった。何一つ不自由ない王宮での暮らしに慣れ親しんでいた自分が、今ほど恥ずかしいと思った事はないのである。
王位継承候補者として、幼い頃から英才教育を受けてきたのだ。多くの事を学び、多くの事を理解してきたつもりでいたのだ。しかし、自分の暮らすこの国の実情さえ、正しく認識してはいなかった。
富裕区へは、巨大な鉄の門を通らなければ入る事ができない。そこには数名の兵士がつねに駐在しており、中へ入る者を厳しく取り締まっている。
お忍びとして城下町へとやってきたシュバイクと王国騎士のウィリシスには、門を通る手立てがなかった。
「しまった。忘れていました...今日は通行許可証となる物を持っていなかったんだ...」
ウィリシスは門の前で立ち止まると、困り顔で言った。いかに王国に使える騎士や、クレムナント王国の王子であろうとも、それを証明できる証拠となるものがなければ、簡単には門を通る事はできない。
それは不届きな輩が、己の身分を偽って富裕区へと侵入し、犯罪を犯すからである。
「だったらウィリシス。僕にいい考えがある」
困り果てていたウィリシスへ向かって、シュバイクはにやっと笑った。
二人は鉄の門を通る事を諦めたのか、その場を離れていった。しかし、門から離れたのは、別の手段を思いついただけだったのだ。
「ちょ、ちょっと、シュバイク!何してるんだ!」
ウィリシスは驚いていた。人気のない所へとやっと来ると、シュバイクは鉄の柵をよじ登り始めたのである。
「大丈夫!さぁ、ウィリシスも早く!」
上まで昇ると、シュバイクはウィリシスへと手を伸ばした。
「おい!お前達!そこで何している!」
富裕区の外を巡回していた兵士が、怪しげな行動をとる二人を目撃し、声を張り上げた。
「わっ!まずいっ!ウィリシス兄さんっ」
差し出されたシュバイクの手を取ると、一気に柵を昇った。そして飛び越える。
「逃げましょう!」
二人は全速力で駆け出した。途中で頭に乗せる帽子が飛びそうになったのを、何とかシュバイクは右手で押さえつけた。
「はぁ...はぁ...ふぅ...危なかったね......」
何とか無事に兵士の目から免れると、シュバイクは息を整えながらウィリシスに言った。
「まったく...はぁはぁ...柵を乗り越えるなんて...シュバイク...君の行動には...驚かされたよ...」
二人は建物の影で、暫く身を潜めた。
巡回する兵士の姿が無くなったのを確認すると、商店が建ち並ぶ中央通りへと向かって歩き出した。
富裕区の中央通りは、露店がひしめく大通りとは比べものにならない上品さがあった。どの店もレンガ造りの建物に、店内に飾る商品を路地から眺めることのできるガラス張りの窓。中に煌く商品の数々は美しく飾り立てられ、そのどれもに高額な値札が貼り付けられていた。
恐らく、大通りの露店とここの商店では、五十倍から百倍ほどの物価の差があるのだ。
「うわっ、す、凄い値段だ...パン一個で500ドゥーク!?今日持ってきたお金じゃ、何も買えないね...」
シュバイクは店先に並べられたおいしそうなパンを見ながら、ウィリシスへと言った。
「ええ、それでも500ドゥークなら、まだ安いほうですよ」
ウィリシスは表情ひとつ変えずに答えた。シュバイクとは違い、王国内に蔓延する経済格差をよく理解しているようだった。
二人が目当ての店へと足を進めている時、通りの反対側で怒声を発する兵士がいるのに気がついた。
「この糞ガキが!パルティフランツァへと入り込み、盗みを働くとはいい度胸だっ!」
鎖帷子を着込む兵士の男は、路上にうずくまる一人の少年へ向かって、木の棒を振り上げていた。何度も何度も殴打し、痛めつけている。それを成すすべなく、小汚い格好の子供は耐えているのみである。
周りを通り過ぎる人々は、それがさも当たり前かのように、横目で見やりながら歩き去だけであった。
シュバイクはそんな光景を前に、呆気にとられているだけだった。横にいたウィリシスは、気づけばすでに駆け出していた。
「やめろ!それ以上やれば、死んでしまうぞ!」
ウィリシスは振り上げられた男の手を握ると、次の一撃を阻止した。
「なんだ貴様は!その手を離せ!いかに特権階級の者であろうと、王国に使える兵に手を出す事は許されんぞ!」
兵士は怒鳴り声を上げながら、ウィリシスを睨み付ける。勢いを持って、相手を威嚇したのだ。しかし、当の本人はそんな相手の言葉や態度に、一歩も引く様子を見せなかった。
「もう十分にその罪を償ったであろう!見よ、これ以上痛めつけて、お前はこの子をどうしたいと言うのだ!」
頭からは血を流し、体には至る所に青あざがついている。
「なんだと!?そんな事、貴様に関係あるまい!おのれ、手を離せっ!反逆罪で牢屋へぶち込んでやるぞ!生きて出られるとは思うなよ!」
兵士は怒りに身を任せ、今にもウィリシスへ襲い掛かりそうでる。しかし、握られた手が微動だにせず、焦り始めていた。
「何事だ!」
騒ぎを聞きつけ、他の兵士達も集まってきた。腰には剣を下げており、手には制圧用の木の棒を持っている。彼らは皆、王国を守る任務に就く守備隊の兵士である。
「へ、兵長!この男が盗人を庇い立てしようとするのです!」
後から駆けつけてきた兵士の一人へと、事情を説明しはじめた。どうやらこの兵士の上官にあたるの者なのだ。ダークブランの髭を立派に蓄えており、見るからに歳を重ねている。
「そこのお方、手を離されよ。どんな事情があるにせよ、守備隊である我等に手を出すことは許される行為ではないぞ。それをお分かりか?」
冷静な対応を見せる髭の男は、ウィリシスへと紳士な態度で話しかけてきた。




