第二話 実践闘技
「なんだ?やらないのか。ふん、お姫様を守る王子様もたいした事ないな」
ハギャンは吐き捨てるように言うと、他の王子達の正面に向き直った。そして後ろに腕を組み直すと、中断していた訓練を再開させた。
民衆からうけのいいシュバイクに、悪意を抱く者達は多かった。このハギャンこそが例の様に、王族内の警備隊や一部の貴族はシュバイクを王位継承候補者と認めていない者が多いからである。
それはシュバイクの母であるレリアンが、一庶民の生まれである事に関係するのだが、それを声高らかに非難する者はいない。
しかし、ハギャンの様にシュバイクをなじり、蔑むことでその鬱憤を晴らそうとする者もいた。
お姫様と王子様。
端整な顔立ちに、長く美しいスカイブルーの長髪をなびかせるシュバイクをお姫様と例え、それを守りつき従うウィリシスを王子様と例える。
警備の任に就く騎士達の中で交わされる悪意のこもった比喩である。
この時、シュバイクの左手中指に填まっている魔力指輪が、激しく脈打つように光輝いているのを広場内にいる誰も気づきはしなかった。
それはまるで、抑え込んでいる激情が漏れ出すかのような強く激しい光である。
しかしながら、燦々と照りつける真夏の太陽の日差しと熱が、先ほどまでの出来事と相まってそれを周囲の者に気づかせる事はなかった。
ただただ静かに、輝やき続けているだけである。
ハールリングは全身に眠る魔力(ハール)を呼び覚まし、その力を扱うためのものである。リングの色はそれぞれに個性があり、指輪を扱う本人のために特別に造られた代物なのだ。
クレムナント王国ではリングの装着が許可されている者は極僅かである。扱う者は特別な厳しい訓練を積み重ねていかなければならない。
内に眠る魔力を扱うという事は、人間の生命力そのものを消費するに等しい行為なのである。そのため、技術と知識が未熟な者が扱うと死を招く危険さえあるのだ。
しかしながら、リングによる魔力のコントロールを極めた者が扱うと、その力は絶大である。ハールリングによる魔剣技を会得した者は、百人の兵士にも勝ると言われているほどであった。
指輪を造るための特殊な魔鉱石を幾重にも研磨し、完成させるには特殊な加工技術が必要とされている。
そしてクレムナント王国は世界の中でも、その加工技術を持つ魔工細工師がいる数少ない国である。
広場では先ほどのハギャンとウィリシスの不和を払拭するかの様に、シュバイクは黙々と訓練をこなしていた。
緑の絨毯の上を軽快に動き華麗な型を一通りこなし終えると、見物人達からは歓声が沸きあがった。
しかし、ハギャンがそれを打消すような大声を上げると、広場はすぐに静まりかえった。
「次は相手と木剣を交え、実践闘技を行います!レンデス様とナセテム様!サイリス様とデュオ様でやっていただきます!ハールリングの装着はそのままで結構ですぞ!」
ハギャンの叫んだ名前の中に、シュバイクの名がなかった。
「ハギャンさん待って下さい。僕は誰と相手をすればいいのですか?」
額から流れ出る汗を左手の甲でふき取りながら、不安げな口調でシュバイクは問いかけた。
「シュバイク様のお相手は、このハギャンが直々に務めさせていただきます......」そう言うと、訓練用の木剣を握り締めながら不敵な笑みを浮かべた。
シュバイクの顔は、一瞬だけ歪んだように見えた。しかし、稽古をつけてくれるハギャンの申し出を断る理由を探しても出てこないのは、旗から見ているウィリシスも同様であったはずだ。
「分かりました...よろしくお願いします」
身体中を駆け巡る動揺と恐怖を振り払いながら、息を吐く。
やるしかない。
そうシュバイクが思った時、肩に何かが乗っかかった。
「よかったなぁシュバイク。ハギャンに可愛がってもらえよ」
ふと振り返ると、そこには左の口角が不気味に上がり、にやついた表情を見せる男が立っていた。
それは、長男レンデスである。
ダークグリーンの長い前髪の隙間から覗かせる細い目。不気味なパープルの瞳は、第一妃のペアネクン王妃からの遺伝だ。
「レンデス兄さん...」
シュバイクは思わず視線をそらした。苦手意識の現われである。
事在るごとにこの容姿端麗な弟を目の仇にしてきては、喜びを感じているであろう歪んだ性格の持ち主であるからだ。
レンデスは自尊心が強く嫉妬深かったため、自分よりも注目を集める者が許せなかったのである。
「まぁせいぜい頑張れよ。ははははははっ」
シュバイクはこの時、自分が王子として生きていくには、超えなければならない幾つもの壁が目の前にあることを思い知らされたのである。
この時、シュバイクとレンデスの二人を見ていたウィリシスは一抹の不安を拭えずにいた。
シュバイクを眼の敵にしているハギャンが、ただの実践闘技で済ますのだろうかと。木剣を使うとは言え、ハールリングを装着して戦うというのは肉体に宿る魔力を開放させるということなのだ。
一歩間違えれば只の怪我では済まない。
自分の軽率な行動が結果的に、己が守るべき王子の身を危険に晒してしまったという事を後悔せざる負えないでいた。
広場内には先ほどとは違う張り詰めた空気が、その場にいる者の全身を締めつける。
王子達は身体中からほとばしる魔力を少しづつ開放しながら、木剣を静かに構えた。
多くの王族が見ている前で恥はかけない。その思いが柄を握る拳にいっそう力を入れさせたのである。
そして一瞬の静寂の後、レンデスとナセテム、サイリスとデュオの戦いが始まった!
鍛え抜かれた肉体が躍動し、繰り出される斬撃がぶつかり合う!
一兵士が戦う荒々しき姿とは違い、華麗でいて繊細な剣技である。
どの王子も右半身を気転に打突と斬撃を合せ、相手の体勢を崩してから急所への一撃を狙う。押しては引き押しては引き、ぶつかり合う木剣の音がその戦いの激しさを物語る。
「あちらも始まりましたな。では、我々もやりますか」
ハギャンの扱う木剣は、通常よりも長く、そして厚い。
その先端を徐に前方へ向けただけで、相手には得も言えぬ恐怖感を与えるはずだ。しかし、何故かシュバイクの心は不思議と落ち着きはじめていた。