第二十話 そうだ、城下町へいこう!
「シュバイク、入っていいかしら?」
扉からの声に反応するよりも早く、すでに僅かに開いている隙間から一人の女性が顔を覗かせていた。
「は、母上!?どうぞお入りください」
そう言うと、美しいスカイブルーの長髪に、シンプルな水色のドレスを華麗に着こなす王妃が入ってきた。アバイト王の第三妃であるレリアン・ハイデン・ラミナントである。
シュバイクの実母であるだけあってか、よく顔立ちが似ている。その髪色といい、目鼻といい、そっくりであった。
「シュバイク、腕の怪我はどう?もう平気なの?」
息子を案じる母の目は、透き通るようなグレーの瞳である。それがシュバイクの左腕へと向けられていた。
「はい。もうこのように、実生活でも問題なく動かせるほどに良くなりました」
そう言いながら、シュバイクは自分の左手を前に突き出し、拳を握る動作を何度か繰り返した。それを見たレリアンは、安心したかのようだ。どこかさっきよりも、表情が柔らかい。
王族の中でも一際輝くような美貌を持つこの王妃は、今だに城下町へと散策に出れば多くの男たちの目と心を奪う。シュバイク同様に民衆からの評判がよく、人気が高い。しかしその根本にあるのは、誰にでも分け隔てなく接する心根の優しさがあったからこそである。
「ところで、今日はどうされたのですか?後で母上の所には足を運ぼうかと思っていたのですが」
どうもいつもと様子が違う母の態度に、不思議な違和感を覚えたのだろう。
「ああ、実はね。ウィリシスがハギャンさんに頼み込んで、今日の訓練をお休みにして下さったのよ。それでね、最近シュバイクは色々あったでしょ?だから、ウィリシスと一緒に城下町へ出かけて、気晴らしに散策でもして来たらどうかと思ってね」
レリアンはにこやかな顔つきで言った。歳はまだ三十代の後半で、年齢を感じさせない若々しさがある。そのためだろうか、シュバイクとはよく会話し、友達のような関係を築いていた。
「シュバイク様、私が言うのも変なことなのですが。たまには王子という立場から離れて、少し気持ちを楽にしてみてはいかがでしょうか?」
ウィリシスは銀褐色の瞳でシュバイクを見ると、爽やかな顔つきで言った。それはハギャンとの一件以降、どこか心に影を落としているように見える相手を気遣ってのことだった。
「ね!行ってきなさい!たまにはパァーーっと遊んでくるの!きっと楽しいわよ!」
レリアンは身振り手振りを交えて、大げさにその言葉を表現した。真面目で物事に熱心に取り組む息子だが、その反面、心に負荷を掛けやすい事を知っていたからである。
「そ、そこまで言うなら...でもウィリシスと二人って事は、お忍びでって言うことですよね?幾らなんでも普段の格好のまま行けば、城下町の人々に気づかれて大騒ぎになるだろうし...」
シュバイクは困り果てていた。数ヶ月前に一度、思い切って城下町へと一人散策にでたのだ。しかしその時は周りの人々にすぐに気づかれ、大した事もできずにすぐに帰ってきたのである。
「それなら大丈夫よ!取って置きの変装道具を用意したんだから!」
レリアンが嬉しそうにシュバイクの前に差し出したのは、薄紅色のドレスだった。その横で、ウィリシスは必死に笑いを堪えている。
「ド、ドレス!?ちょ、ちょっと待ってください!何でドレスなんですか、母上!」
シュバイクは当然慌てていた。目の前に出されたのは、自分の母親が昔着ていたであろう服である。派手な装飾を好まない、レリアンらしいシンプルなドレスだった。
「それに、そんな服を着て城内を歩いたら、またよからぬ噂や陰口の元となってしまいます!」
余程、この親子二人の会話が面白いのだろう。ウィリシスは目に大量の涙を浮かべ、ただその成り行きを見守っている。
「なんで?いいじゃないねー。きっと似合うわよ?それに王子とは、いや、男性とはまた違った一面で、城下町の人々と触れ合えるなんて素敵な事じゃない!」
こうなったレリアンは、もう自分の意見を曲げずに突き通すのみである。それを知っているシュバイクは、横目でウィリシスの方を見て助けを求めるつもりだったのだ。しかし、当の本人はと言うと。
「さぁシュバイク様、早く着替えていきましょうっ!」
二対一では勝ち目がなかった。そもそも二人は最初から、このつもりで話を合わせてシュバイクの部屋へとやって来ていたのだ。
「はぁ......分かりましたよ.......」
レリアンから、渋々、ドレスを受け取る。すると二人は一度室内から出た。そして、着替え終わったシュバイクの姿を見るために、再び中へと足を踏み入れたのだ。するとそこには、本物の女性と見まがう程の美しい少年が立っていたのである。
最後の仕上げにと、レリアンはシュバイクの髪をピンで纏め上げた。そして、最後にドレスと同じ色のツバの広い丸帽子を頭の上へと乗せる。
「うん。いいわね!出来上がり!」
その姿はどこからどう見ても、女性である。シンプルで機能性重視のドレスは、それほど高価な物ではなく、一般階級の女性がちょっとした集まりで、おめかしをする時に着る程度のものだ。
「はぁ...ウィリシス兄さん。母上と共謀して、僕をはめましたね...」
恨めしそうな顔でウィリシスの方を見たが、当の本人は笑って誤魔化した。
こうして二人は城内を抜け出すと、露店が立ち並ぶ大通りへと向かって歩いていった。
すれ違うたびに、自分の顔を覗き込んでくるような仕草を見せる男達には、シュバイクはほとほと呆れ果てていた。どうしてこうなったのか、後悔しか頭にないまま、やがて様々な人々が行き交う路上市へたどり着いた。
「らっしゃい、らっしゃい!暗雲石に、好天石!灯りに使うなら、陽光石もいかがだい!各石二十個限り!一個30ドゥークでどうだい!?安いよ、安いよー!」
「さぁ、出来立てほかほかの丸芋は、今、ふかし上がったばかりだ!一個3ドゥーク!香ばしい匂いを放つピエリッタの七草巻きは4ドゥーク!力をつけて、鉱石ざっくざっく掘っちゃいな!」
「山で獲れた猪の肉焼き!一切れから2ドゥーク!五切れ以上のお客様には、二切れサービス!大盤振る舞いだっ!」
「さぁさぁ、よってらっしゃい!見てらっしゃい!どんなに硬い岩石でも、簡単に砕くことの出来る破嶽石のピッケル!ここでしか手に入らない上物だよぉ!これを担いで鉱山で一山当てた者は数知らず~~~!さぁ、今だけお買い得の23ドゥーク!安い!買うっきゃないねぇこりゃあ!」
露店から客を呼び込む店主達の威勢のいい声が、至る所から聞こえてくる。人々でごった返す路上市には、多くの品物と食料、そして様々な武器や道具まで、ここに来れば必要な物は全て揃ってしまうのだ。
シュバイクとウィリシスは、露店の一つ一つを興味ぶかげに見やりながら、ゆっくりと歩いていく。そんな中で食欲をそそる香ばしい匂いが、鼻腔を刺激してきたのである。
「ほっかぁほっかのぉ~みんなぁ~大好き~肉巻きパンはいかがだーい!一個6ドゥークから売っているよー!」
鉄製の鍋に油をはり、そこへ肉でぐるぐる巻きにした固めのパンを放りこむ。油が飛び散る音とともに、綺麗な茶色に揚がったパンを、あっという間に店主は取り出した。それを店先にどんどんと並べていく。
「おいしそう!ウィリシス、一個買ってもいいかい!?」
シュバイクは自分が女性の格好をしているのを忘れているようだった。それでも、久しぶりに見た主の笑顔に、ウィリシスは満足だった。
ポケットから取り出した硬貨をシュバイクへと手渡すと、二人は肉パンを二個かって、それを頬張りながら歩き出した。
「うまい!」
「うまい!」
二人して同じ言葉を発したのが、よっぽど面白かったのだろか。二人はケラケラと笑い合いながら、あっという間にそれを平らげてしまった。
「うっ!」
前方へとほんの少しだけ、目を離した瞬間である。シュバイクは前から歩いてきた男とぶつかってしまった。なれない靴を履いていため、そのまま尻餅をつくようにして後方へ倒れてしまった。
「あ、申し訳ない!大丈夫ですか?」
男は咄嗟にシュバイクへと手を差し出した。その手を握ると、何とか起き上がり、お礼を述べた。
「す、すみません...ありがとう御座います...」
そう言うと、恥ずかしかったのか、そそくさと相手の顔も見ずに歩き去った。
「どうしました?零様」
頭に白いターバンを巻いた女が、男へと問いかける。自分の手の感触を確かめるように、その女に答えた。
「いや、今の女性...手を握った時に剣ダコが出来ていたような....。それも相当訓練を積み重ねている手だ...」
男はまじまじと自分の手を見ながら、暫し考え込んだ。だがそんな男へ、女は言った。
「今の女性?ですかね。なんか身体から溢れ出ている魔力っていうんですかね。尋常じゃないものを感じました。なんていうのか...青い大空のような透き通った色っていうのか......」
「見間違いだろう。この国の女は剣など握らんだろうしな」
群衆の中にあっても、頭一つ飛び抜けるほどの長身である。その男が、女のへと向けて言った。ごつごつとした筋肉質の身体は、布の服がはちきれんばかりである。
「まぁ、いいか。とりあえず今夜の宿を確保しておこう。それから覇空石の情報を集めるぞ」
若い男がそう言うと、三人は宿屋建ち並ぶ《ウィザンドリード》へと向かっていった。




