第十九話 異国からの来訪者
ハルムートとアウルスがラミナント城で密談を交わしてから、二週間が経とうとしていた。
ハギャンとシュバイクの一件から広がった風説は、静かに収束を向かえつつある。
クレムナント王国の朝は早い。大通り(アルベリオン)で露店を開く者達が、まだ日が昇らぬうちから活動を始めるからである。競合相手よりも良い立地に店を出すため、皆が黙々と荷車を引いてくるのだ。
後ろに満載させた商品の数々は、これでもかと言うほどに上へ上へと高く積み重なっている。それが時折、均衡を失い、崩れ落ちる荷車があるほどだ。
城下町を南北に繋ぐ大通りは、道幅がとても広い。ぎっしりと路肩に軒を連ねる露店があっても直、馬車の二、三台が優に横切れるほどである。路面は石畳になっており、城下町の中心地にあるラミナント城へと向かって、緩やかな上り坂になっていた。
南門に到着した一台の馬車から、幾人かの男女が降りてきた。他国からの長い道のりを終えて、やっと今、ラミナント城の城下町へと入る事が出来たのである。その顔には疲労感が漂っているが、目には輝きを宿していた。
多くの者は出稼ぎ労働者として、鉱山で働こうという者達である。一山当てて、豪勢な暮らしをしようと夢見ているのだ。彼らは皆、筋肉質の身体に薄汚れた服を身に纏い、麻で出来た大きな袋を肩から下げていた。
恐らくその中には、数日分の食料と、幾つかの着替えとなる服が入っているだけなのである。
労働力として鉱山で働こうという者達の中に、一際異様な雰囲気を放つ者が三人いた。独特の民族衣装へと身を包み、クレムナント王国では珍しい褐色の肌をしていたからである。
「冷えますね。この国の朝が、こんなにも寒いものだとは...」
悴んだ手をすり合わせながら、若い女が言った。目はくりっとしていて大きく、瞳は黒い。口元はきゅっと締まっており、中々の美人である。
頭には白いターバンを巻きつけており、両端のあまった布を後ろでみつあみにしている。首元には何かの骨と鉱石を、交互に組み合わせた首飾りを掛けていた。
「我々の衣服では、この寒さに対してあまりに無力ですな。それにどうも先ほどから人の視線を感じるのは、この服のせいなのかも知れませぬぞ」
大柄の男が言った。百九十センチはあろう身体は、筋肉の鎧によってその迫力を増している。顔つきは渋く、堀が深い。眉は太くその瞳は黒であるのだが、眉間に寄るシワのせいで鋭い。
やはり頭には白いターバンを巻きつけているが、その布の両端は耳を覆い隠すように垂れ下がっていた。
「だな。まぁ人目を引くみたいだし、とりあえずこの国に溶け込める服でも買うか。んで、腹ごしらえでもして、情報収集開始だ」
二十代半ばであろうか。頭には白いターバンに、首から下がる鉱石と骨の首飾り。褐色の肌に、顔つきは逞しく、蒼海を思わせるような瞳は見る者を惹きこむような美しさがある。
その青年が言うと、二人は頷き、大通りに建ち並ぶ露店へと向かって歩いていった。
東の空から太陽が顔をだしはじめ、ゆっくりとクレムナント王国の城下町を照らし出そうとしている。城内の王宮からは、眼下に広がる町々を望める場所が幾つかある。
一つは王の居室と執務室にあたる最上階と、その一段下の王妃の寝室。そして、さらにそこから一段ほど低い階層に位置する王子達の寝室だ。
第五王子のシュバイク・ハイデン・ラミナントの部屋には、人影がない。まだベッドで寝入っている時間でもおかしくはないのだが、その理由は室内から続くテラスにあるようだ。
「ふぅー......」
シュバイクは、白い息をゆっくりと吐き出しながら、身体を柔軟に折り曲げた。シルクのズボンに、薄い肌着を身に纏っているだけである。外気の気温は零度近いのだが、それを気にする素振りは一切見せない。
床に手をつけたかと思うと、両足を空へと向かって上げた。上下逆さの状態になったシュバイクの世界は、地平線の彼方から太陽が舞い降りるように見えた。この光景を、毎日、自分の寝室のテラスから眺めるのが日課になっていたのである。
しかし、ハギャンとの戦いで負った左腕の傷のせいで、ここ数週間はそのような事が出来なかったのである。
太陽が完全にその姿を現すと、シュバイクは足を床へと戻した。そして、鈍る身体の感覚を取り戻すように、最初はゆっくりと、そして段々と激しく動きはじめた。
構えからはじめるその動作は、打撃、受身、流し、蹴り、を織り交ぜながら、仮想の敵相手に繰り出されている。
「テェヤァッ!ハァッ!セイッ!イェァッ......!」
次第に熱を帯び始め、打撃を放つ際の言葉にもシュバイクの魂がこもる。そして、一通りの型を終えるた時、室内の扉を叩く音に気がついた。
「シュバイク様、ウィリシスで御座います!入ってもよろしいでしょうか?」
額からは汗が流れ落ち、首元あたりまであるスカイブルーの美しい髪は肌に張り付いていた。
「どうぞっ!」
テラスからでも届くような、大きな声で言った。
「失礼いたします。シュバイク様、お体の加減はいかがですか?って、何ですかその汗は!まだ病み上がりなのですから、無理はしていけません!」
汗だくのシュバイクを見るなり、ウィリシスは語気を強めて言った。
「ははは...どうしても身体が動かしたくなっちゃって...」
ウィリシスに怒られるシュバイクの顔は、十七歳の少年そのものであった。テラスから室内へと入ると、テーブルの上に置いてある布を手にとり、その中に顔を埋めた。
「まったく、目を離すとすぐこれなのですから。まぁでも、治療の成果が出たようでよかった。毎日、治癒魔法をかけに魔道議会から足を運んでくれた、アルンドゥー様には感謝しなければ」
「うん。次会った時には、しっかりとお礼を述べるつもりです。あれ、ウィリシス兄さん、今日はどうしたのですか?服装が普段と違うようですが」
そんな会話をしている最中、シュバイクはウィリシスの服へと目をやった。普段ならば、鎖帷子の上に真紅の上着を羽織っているのだ。
だが今日は布製のシャツを着ており、下に履くズボンも一般庶民の普段着とさほど変わらない。
「ああ。これはですね......」
ウィリシスはシュバイクの問いに答えようとした時、扉を叩く音が聞こえた。




