第十七話 交差する思惑
暗夜を、一台の馬車が建物の隙間を縫うように進んでいく。
馬車からは時折、御者が鞭を叩く音と、歯切れの悪い車輪音が聞こえてくる。座席部分の扉窓からは僅かな灯りが漏れ出し、それに乗る者の存在を示していた。
《風船ねずみ》のあだ名を持つ鉱石商は、王の忠臣である男との約束を取り付けていた。その者はクレムナント王国でも王の次に強い権力を持つと言われる、ガウル・アヴァン・ハルムートである。
しかし彼の使いとして寄越された馬車は、お世辞にもマシな物とは言えず、座席に座る鉱石商人のアウルス・ベクトゥムは若干の不満を感じていた。
何故ならば、王国内でも圧倒的と言えるほどの力を持つハルムートであれば、もっと派手で豪華な馬車を用意出来たはずである。
それなのに、アウルスの自宅へと迎えに来た馬車は、グレフォード家の馬車とは比較にもならない貧相な物であったからだ。
外装は木目調の上に、何とか体裁を繕うために塗られた紺の塗料。しかしそれは所々で剥がれ落ち、人が乗る座席に関してはボロ布が張り付け合わされた、見るに耐えない物である。
おそらくハルムートにとって、一鉱石商であるアウルスの価値は、このおんぼろな馬車程度のものなのだろう。
(今はこの扱いでも良い。どんなに蔑まされ侮辱されようとも、金と力を持つ者は私にとっては絶好の獲物だ。利用していると思わせといて、絞り取れるだけ金を搾り取ってやるわ)
野心を胸に抱き、アウルス・ベクトゥムの乗った馬車はラミナント城へ入っていった。
城内の入り口に馬車が止まると、そこへハルムートの使いが出迎えに来ていた。
黒い上着を着込み、手には柔らかな紅色の光りを放つ鉱石ランプを持っている。その灯りに照らされた顔は、まだ十代前半のように見える。
「私はクリオンと申します。主、ガウル・アヴァン・ハルムート様の使いの者です。ご主人様の待つ場所まで案内致しますので、着いて来てください」
クリオンと名乗る少年はアウルスに丁寧な口調で言うと、ゆっくりと歩き始めた。
これまでも何度かラミナント城へと来た事があったが、夜間に入るのは初めてだったのだ。城内は薄暗く不気味でいて、息の詰まる静けさがある。時折城内を見回る衛兵とすれ違うのだが、無言で視線さえ交わす事なく過ぎ去って行くだけであった。
「衛兵が私達の存在を認識することは出来ません。この鉱石ランプから放たれる光には、人の目を欺く事の出来る魔法がかかっているからです。なので、私から離れすぎないように注意して下さい」
クレムナント王国の初代国王ドゥーク・ラミナントの銅像が建つ城の入り口から、半球状のトンネルを抜けると、そこには月夜に照らされた美しい庭園が広がっていた。
「こ...これは...なんと美しい...」
アウルスは庭内に入ると、思わず息を呑んだ。それは庭園の入り口から来賓館へ続く通路が、夜空に浮かび上がる雲状の光の帯のようだったからである。
風船ねずみと言われる鉱石商人も、この時ばかりは自分の目的を忘れ、思わず声を出し見惚れてしまっていた。前で歩いていた少年は後ろを振り返り、アウルスへ笑みを向けた。
「アウルス様、こちらです」
そう言うと少年は淡い薄紫色の輝きを全身からほのかに放ち、その光は周囲へと飛散したかと思うと、一箇所へ集約された。
そしてアウルスを導くかのように、庭園の片隅へと残光を標して消え去っていった。
目の前で起きた光景に思考と行動が着いて行かないアウルスは、暫く呆然と立ち尽くしていた。辺りをきょろきょろと見回したのは、それから暫くたってからの事である。
人の気配がない。
ただその場には少年が持っていた鉱石ランプが、地面へと置かれていた。
仕方なくアウルスは、少年が残した鉱石ランプを手に歩き出す。闇夜に浮かぶ残光だけを頼りに、庭内を一歩ずつ踏みしめながら進んだ。
すると背の高い木々が植えられている一角から、微かな光が漏れ出しているのを発見したのである。
その木の隙間に身を捩じらせ、なんとかすり抜けて入り込む。
「やっと来おったか。そこへ座れ」
確かに庭内の一角である。
背の高い木々に囲まれたその場所には、彫刻家によって造られたであろう、白い大理石のテーブルが置かれていた。その上には、ティーカップが二つとポットが一つ準備されていた。そして中央には、鉱石ランプが紅色の光を放っていたのである。
テーブルに合わせるかのように、二脚のそれはまた美しい曲線を描く椅子が、配置されていた。椅子の一方には老年の男が座り、ミントの香りが漂うカップを手に取り、紅茶に舌鼓をうっていた。
空いた左手を軽く上げると、先ほどの少年であったであろう薄紫色の光の玉は、中指に填まっている指輪へと吸い込まれていったのであった。
「何をしているか、二度も言わすな。さっさと座れ」
ハルムートの目がアウルスを睨み付けていた。
「も、申し訳ございませんっ!いやはや、直に召喚魔法を見るのは初めてでございまして...まさか先ほどの従者の少年が、ハルムート様の使い魔であったとは......」
そう言いながら、アウルスは丸みを帯びた大きな尻をゆっくりと椅子に乗せた。
「ワシは従順な者が好きでな。自分の使い魔ならば、決して主を裏切りはしない。それに人間の従者と違って使い勝手もいいしな。そうは思わぬか?」
アウルスは思わず身が縮む思いであった。
貴族であるダゼスとは違う、威圧感。
それは対面する者を圧倒するだけの、確かな迫力がある。
「ま、まさか。ハルムート様を裏切るだなんて。その様な不届きな輩が、この国にいるとは思えませんがね...それに私は貴方様...いや、アバイト国王のためでしたら、どんな事でもする覚悟で御座います」
「ふん。お世辞や胡麻すりなどしない事だ。はっきり言っておくが、ワシは貴様みたいな男が一番嫌いなのだ。金に目が眩んだ下衆共がな」
激しい憎悪が込められたその言葉に、アウルスは身の毛もよだつような恐怖を感じた。
「わ、わわわわ、私は決してそのような意味で言った訳ではっ!」
「言い訳などどうでもよい。貴様の人間性等、高が知れているのだ。それよりも分かっておるだろうな?わざわざ貴重な時間を割いて、こうして会ってやっているのだぞ」
幾多の戦場を駆け巡ってきたであろう男の放つ覇気は、アウルスを圧倒する。
「も、もちろんでございます。ハルムート様のお時間を決して無駄には致しません」
しかし、アウルスは思っていた以上に落ち着き始めていた。
それは自分が持ってきた土産話の価値に、自信を持っていたからである。
そしてさらには、大貴族であるグレフォード家と契約の誓いを交わした今なら、何かあれば保護を受けられるという安心もあったからなのだ。
(自分よりも身分が低い者や、力を持たぬ者に対して価値を認めない高慢な者達め。だが、逆に奴らにとって必要不可欠な存在になれれば、その価値を認めざるをえないと言う事なのだ。それには相手が望む物を提供すれば言いだけの事。そして商人として自分の才覚を信じて生きてきた私には、相手が何を望み、何を欲するのかが手に取るように分かる!)
すでに一杯目の紅茶を半分ほど減っていた。ハルムートは、対面する丸顔の男に視線を合わせるともう一度念を押した。
「ワシを後悔させるなよ。では、話を聞こうではないか」
「は、はい。実は、ハルムート様に依頼された魔鉱石を仕入れに、とある国へと行った時の事で御座います」
アウルスは身振り手振りを交えながら、グレフォード家で話したシュバイク・ハイデンの出生に関しての秘密を語り始めた。
しかしそれは勿論、ダゼスとの契約を結んだという部分を見事に省いてのものである。
「なるほどな...態々、噂の出所であろう男が目の前に現れてくれるは...どうしてくれようか。なぁ、ウィード守備隊長よ」
「えっ!?」
不意に投げかけられた名前。
それはクレムナント王国の守備隊隊長アーク・ウィードの名であった。
「この場で今、すぐに始末すべきかと。如何致しますか?」
アウルスは絶句した。ハルムートしかその場に居なかったはずである。
しかし、気がつけば喉元には魔鉱剣の鋭い切っ先が突きつけられていたのである。そして横には、ライトグリーンの長髪の男が立っていたのだ。




