第十三話 出生の秘密
グレフォード家の馬車が、人々で賑わう大通りを抜け、上流階級の者が住む富裕区《パルティフランツァ》へと入った。
一般階級の者では、絶対に立ち入る事の出来ない区域である。
アウルスは、様々な人種と大量の物資が行き交う大通りとは、がらっと雰囲気が変わったのに気がついた。高級な服に身を包み、気品を漂わせながら歩く人々が目に入ったからである。
この区域には富裕層向けの商店がいくつも建ち並ぶが、そのどれもが最高級品ばかりを扱うものであり、庶民の一年分の稼ぎをはたいてもパンの一切れでさえ買えるかどうか怪しい。
ここには飢えもなければ、貧しさもない。同じ王国内であっても、路上孤児や犯罪が溢れ場所もあるのだ。
そんな光景とは無縁の人々が住まうこの区域を訪れると、いつもアウルスは別の世界にでも来たかのような感覚に陥るのであった。
先代からの叶わぬ夢を実現してみせると心に誓いながら、マルセッシティオ|(プリンの様なお菓子)の最後の一口を頬張った。
(いつしか必ず、ベクトゥム家は貴族に成ってみせる。曽祖父からの夢を私の代で叶えるのだ!そして、富裕区に一番の邸宅を持ってやる!)
立ち並ぶ家々を通り過ぎていくと、突然道の真ん中に大きな鉄の門が現れた。馬車が急に停車したため、アウルスはグレフォード家の邸宅に着いたのかと思ったのだ。しかしそれはすぐに、勘違いだと分かった。
「ここから先は私有地なのですよ。最近雇った者が、門を開けるのに手間取っているのでしょう」
「そ、そうで御座いましたか...いやはや、聞きしに勝る大邸宅のようですな。素晴らしい」
城内の庭園ほどではないにしろ、その広さは明らかに、富裕区に建ち並ぶものとは一線を画すものがあった。
城下町といえどもその敷地には限られたものがあるのだ。その中で、この広大な土地を持つ事が果して何を意味するのであろうか。
アウルスは、グレフォード家の持つ富に近づく事が出来るのを、今ほど商人として誇りに思ったことはなかったのである。
門を抜けると、石畳の舗装された道を挟み込むように緑が一面に広がっていた。両脇に立ち並ぶ木々の間を抜けるように進むと、美しい彫刻の女神像が中心に立つ噴水が見え始める。
その噴水の向こうには、ここに来るまでに見たどの建築物よりも壮麗な建物が悠然と居を構えていた。噴水を馬車で半周すると、やっと邸宅の入り口へと辿りついた。
ザーチェアの帰りを待っていたかのように、数十人の召使と使用人が入り口の前へと並んでいる。そして主人と客人を出迎えたのだ。
アウルスは馬車から降りると、使用人の一人に案内された。長方形の長いテーブルが置いてある部屋へと通されたのである。そのテーブルを取り囲むように置いてある椅子の一つに、丸まるとしたお尻を埋ずめる。
視線を一周、また一周と部屋を見渡す度に、豪華に装飾を施された壁や柱、そして天井に至るまでの全てがアウルスを魅了した。
商人の一族としても成功を収めたベクゥム家に、自信と誇りを持っていたのだ。しかし今日見せ付けられた物を考えると、大貴族との格の違いを感じずにはいられなかったのである。
だがその反面、舞込んで来た絶好の機会に胸が躍る思いでもあったのだ。
(この品を、高く売付けてやるわ。ハルムートだろうが、グレフォードだろうが、私の手の平で踊らせてやる!)
アウルスが一人、にやついた笑みを浮かべていると、部屋の扉が開きザーチェアが入って来た。
「お待たせてすまない。今、義父上も来るので、もう暫し待っていただけますかな?」
「そ…それは滅相もございません。私ごときの話を聞くのに、ダゼス公爵様までいらっしゃいますとはっ」
広大な土地を持つアウルスの額からは、汗が噴き出すように流れ落ちた。押しつぶされた鼻からは、荒い息が出入りをし、乱された心を隠すのに精一杯である。
「アウルス殿の事をお話したら、ぜひ直接会って話を聞きたいと言い出しまして」
アウルスには予定外の出来事であった。ザーチェアに気に入られる事により、いつかは会えるだろうと思っていた人物。その者が間もなく姿を現すと言うのである。
この男一人ならまだしも、ダゼスとザーチェアを二人も相手に、自分の持つ品を高く売り込まなければいけないのだ。心地よかった高鳴る気持ちは、気づけば息苦しさへと変わっていた。
ザーチェア・ノーテッドは、元々中流貴族の出身である。グレフォード家の当主であるダゼス公爵には、子供が女子しか居なかったのだ。そのため婿養子となる形で、この家へと入っのである。
温和なザーチェアに比べ、ダゼスは階級意識が強い。身分の低い者を見下し、気にいらない相手に対しては容赦がない男であると知られていた。
アウルスは、自分の欲しい物のためには手段を選ばない非情な男であると、ダゼスの事を又聞きしていたのだ。まだ顔も見たこともない相手だが、噂話で耳にするものには、どれも心象を良くするものがない。
そんな男との接触を前に、不安を感じずにはいられなかったのである。
椅子に座っていたザーチェアが、ふと立ち上がる。思慮を駆け巡らせていたアウルスは、それに気づくのが僅かに遅れた。
扉が開き、金色に輝く長い髪を振り分け、一人の男が入ってきた。堀の深い顔から覗かせるパープルの瞳は、己以外の人間全てを見下しているかのような冷たい目である。
尖るあご先には白い髭が生えており、鋭い目と高い鼻が合わさって気品を感じさせるた。歳は恐らく、六十後半と言ったところである。しかし実際の所は、さらに上であった。
「義父上。お待ちしておりました」
異様な雰囲気を放つ男であった。アウルスも恭しく頭を下げ、挨拶の言葉を発しようとした時である。
「ザーチェ、いつから我が邸宅は豚舎へと成り果てたのだ。薄汚い家畜など見たくもないのだがな」
それは、たしかにそこに存在するはずであるアウルスを、まるで無視した言葉だった。先に機先を制された男は、何も言えずに無言を貫くしかなかった。
「義父上、この者が先ほどお話した鉱石商のアウルス・ベクゥム殿で御座います。我がグレフォード家に、きっと有益なお話をして下さるかと」
「我が?いつからグレフォード家は、貴様のモノになったのだ?ザーチェよ」
「い、いえ...そういった意味では...」
アウルスは、二人の会話が終わるのを待つしかない身である。
「まぁ良いか...だが、私の時間を無駄にするなよ。なんと申したか、そこの豚は」
そう言うと、ダゼスは奥の椅子に腰を下ろした。気品漂わせるその所作は、何人も寄せ付けない威圧と威厳に満ち溢れていた。
アウルスは膨れた腹の前に両手を合わせ、ダゼスに笑みを作って口を開いた。
「私は鉱石商のアウルス・ベクトゥムと申します。この度は昼食にお招き頂き有り難うございます。ダゼス公爵様にお会い出来て光栄で御座います」
一通りの形式を述べると、ザーチェアが席に着くのを見てアウルスも腰を下ろした。
当初、アウルスはザーチェアに昼食を誘われただけであった。もちろん、お互いの意図としては、来賓館での話を引き出したいザーチェアの思惑と、それをネタに見返りを求めるアウルスの企みが交差しての事である。
しかし、ダゼス公爵までもがアウルスの前に出て来た以上は、聞かれた問いに対して、答えないと言う選択肢すでに在りはしなかった。それは交渉相手との駆け引きを見越しての、アウルス一つの決断であった。
先に口を開いたのは、ザーチェアである。
「アウルス殿、先ほど来賓館にてハルムート様に重要なお話がおありだった様子ですな。いかがな話をしようとしているのか、ぜひ我々にも聞かせてもらいたいものです」
ダゼスとザーチェアの鋭い視線が、丸いキャンパスに描かれたブラウンの瞳を締め付けた。しかし、アウルスにとっては勝負所である今、ここで萎縮する訳にはいかなかったのだ。
「私も、大変な思いをして手にいれた情報でございます故、それなりの物を頂けれる保障があれば、喜んでお話させて頂きます」
「ふん、言うではないか。面白い。ザーチェよ、あれを出せ」
ダゼスが指示すると、ザーチェアは懐から布袋を取り出し、その中身を机の上へと一気に広げたのである。すると夥しい数の虹石の硬貨が音を立てて重なり合い、一瞬でアウルスの心を奪った。
「おおおおおおっ!す、すごいっ!な、なんという量だ...」
「どうだ。それで満足か」
ダゼスは虹石に見惚れるアウルスを、ゴミ屑を見るかのような目つきで見ていた。
「あ、有り難うございます!では、お話させて頂きます。これは私がハルムート将軍からの依頼により、魔鉱石を仕入れに行った国で、偶然聞いた話で御座います。その話によりますと、これは真に信じがたいものなのですが......」
そう言うと、アウルスは最後の言葉を言い終える前に、軽く一呼吸おいた。それはダゼスを一瞬だけ苛立たせた。
「第三妃であるレリアン様とアバイト国王の間に生まれた、第五王子のシュバイク様の出生に関する秘密で御座います。実は、そのシュバイク様は現国王の血を引いていないと言うのです......」
「何だと?貴様、私をからかっているのか?ふざけおって。そんな噂程度の与太話なら、ここ数日の間に嫌と言うほど耳にしておるわ!帰れっ!この私の時間を無駄にした事を後悔させてやるわっ!」
ダゼスは拳をテーブルへと激しく打ち付けると、席を立とうとした。
「お、お待ち下さい!これで終わりではないのです!」
アウルスの気取った喋り方が、話の内容を誤解させたのは言うまでもない。本題は、これからだったのだ。
「義父上。どうか席にお座り下さい。アウルス殿、申し訳ないがこれ以上の長話は無用です。結論を申してくだされ」
ザーチェアがアウルスへと言葉を促すと、ダゼスは辛うじてその場に留まった。
「で、では、結論から言わせて頂きます。シュバイク・ハイデン王子はアバイト王の実の兄、ギルバート様の子です。そして、その母君は当時、城で侍従をしていたレリアン様の姉、ミリアン・ハイデン様なのです」




