第百七十八話 父と息子
死は美しい。
燦然と輝く生命は消え行く間際に一層の煌めきを放ち、やがて輪廻へと終着する。
終わりはない。あるのは始まりだけだ。
『目覚めよ。山上努。』
男は目映い光に包まれるその場所で、静かに目覚めた。まるで何者かに優しく肩を抱かれながら、耳元で囁かれる声に誘われて。そして感じたであろうは、母なる愛であった。
「だ、誰だ?私は一体何故ここに………」
鈍痛が襲う。頭を右手で押さえながら、ゆっくりと周囲を見渡した。しかし、そこには誰もいない。そもそもここが【そこ】と言う言葉で表現出来る場所なのか。男は疑問を抱かざる負えなかった。
何故ならば只空白とも言える真っ白な空間が、遥か彼方へと
続いているからだ。
『貴方が来るのを待っていました。ここに来た初めての人間。』
尚も聞こえてくる声は、やはり耳元で囁くようであった。
「誰何だっ?そしてここは一体何処何だっ?答えろっ」
怯えていた。大の大人がまるで雨に濡れて震える仔犬のように。
『私の名前はアザゼム。この世界の管理者。そしてここは私の中。』
小刻みな震えが急に止まった。中年の男は何かを必死に思い出そうとしている。視点を定めてあるはずもない【そこ】へ問いかけた。
「アザゼム…管理者…私は………一体…誰だ………?」
集約された疑問。その答えが出れば男は全てを理解するだろう。
『貴方の名は山上努。この空想と幻想の織り成す世界では、貴方はこう名乗っていた。ガウル・アヴァン・ハルムートと。』
稲妻が男の脳天へと落ちる。比喩的表現であるが、等の本人にとっては正にそれほどの衝撃であっただろう。
「山上努…ガウル・アヴァン・ハルムート…俺は私は儂は………」
中年の冴えない男だったはず。しかし気が付けば容姿は様変わりし、歴戦の猛者そのものとなった。
左頬の切り傷。堀の深い目元の奥から覗きこむ鋭い眼光。白髪を後方へと流し、皺のたまる額を存分に出している。そして極めつけは覇獣ガウディスの漆黒のコート。
『貴方は神の檻の入り口にて魂が昇華され、そのまま私の中へと引き込まれた。覚えている?』
ハルムートは頷いた。一転の曇りなき瞳でただ前を見ていた。
「全てを思いだした。理解もした。この世界が何なのかさえもな。だが一つだけ教えてほしい。悟は…私の息子の山上悟は何処だ?まだ生きているのか?それとも………」
神妙な面持ち。ガウル・アヴァン・ハルムートであり山上努である男は息子の所在を気にしていた。
VRSと呼ばれる新技術により、現実空間と仮想空間の垣根は消えた。RSといわれるマイクロチップ搭載の透明シール。これを両のこめかみに貼るだけで、脳波を読み取りいつでも何処でも仮想空間へとリンク出来る。
階段からの落下事故により記憶障害を引き起こした山上努は、RSを使用して短期記憶をクラウドに保存していた。そうすることで日常生活や仕事に支障をきたしていた記憶回路の代替えを行っといたのだ。
このVRSとRSを併用した技術は様々な分野に応用されていたが、開発を手掛けたのは日本大手ゲーム会社トライデント・フェニックスである。
そしてそのトライデント・フェニックス社が社運を賭けて発表したのが、二つの最新技術を利用した次世代VRSMMOのOmega9(オメガナイン)である。
Omega9の運用段階初期に日本全国のゲーマー25万人を対象としたクローズドベータテストが開始された。クローズドベータテストとは、抽選で選ばれた25万人が発売開始前にテストプレイと称して先行してゲームを遊べるのだ。
そしてそのクローズドベータテストに、山上努の息子である悟は選ばれた。
努は息子が部屋にこもりゲーム漬けの毎日を送っている事をしっていた。そして自身のクレジットカードから引き落とされるお金でプレイを続けていた悟が、Omega9のベータテストプレイヤーに選ばれたことも知っていたのだ。
クローズドベータテスト開始から一週間は何事もなく日々が過ぎ去った。RSの効果で本来の力を取り戻しつつあった山上努は、転職先で大いに活躍していたからだ。
しかし、ある日事件は起きた。Omega9のテストプレイヤーが仮想空間からログアウト(切断)することができずに、意識不明のまま昏睡状態にあるというニュースが流れたのである。
山上努は入社したばかりの会社で成果を出そうと躍起になり、自宅へは数日ほど帰宅していなかった。だが部屋に引きこもる息子のために食料は冷蔵庫に用意していたし、置き手紙も合ったのだ。
だからこそまさか自分の息子が、そんな大事件に巻き込まれているとは考えもしなかったのだ。会社の休憩室で流れるTVのニュースを見るまでは。
急いで帰宅した努は階段をかけあがり、息子の部屋の扉を勢いよく叩いた。
「悟❗悟❗いるなら返事だけでいい❗教えてくれ❗」
山上努の記憶はそこで途切れた。
『山上努。貴方の息子山上悟はまだ生きています。この世界ではウィリシス・ウェイカーとして。』
アザゼムの出した答えを前に、ガウル・アヴァン・ハルムートは、山上努は、放心状態で立っているのがやっとだった。




