第百七十六話 不可避の速攻
クレムナント城の北西では王国軍と帝国軍が。そして南東方面では王国軍と貴族連合軍が熾烈な戦いを繰り広げている最中である。突如として起こった巨大な地響きと共に大地が割れ、亀裂の中に多くの兵士達が飲み込まれていった。
聞こえてくる悲鳴は止み終わらず、地獄と化した戦場。大地の孤島に取り残される者達は敵と睨み合いを効かせながらも、下手に動く事が出来ずにいた。地面へ突き立てる剣を命綱に変え、何とか耐えている者が殆どである。尚も大地は唸り声を上げ、予測不能な事態が続いていた。
そんな中、割れた大地の一つに、二人の男が向かい合っていた。
「何が起こっているのかわからねぇが。ここで終われる戦いじゃねぇよな」
巨大な戦斧を担ぐ男。筋骨隆々とした肉体に鎧を纏っている。腕回りを革製の肩当にする事で稼動域を大幅に改善させているのは、武器を最大限生かす為の工夫だろう。
「当然だ。シュバイク様に渾名す者は誰であろうと倒す。それが最強の辺境伯と呼ばれる、ベリン・エデン・ディキッシュ辺境伯。貴方であろうと。」
銀褐色の瞳。鋭い眼つきで相手を睨む。右手には七色に輝く刃の剣を持っている。
「主に忠実だな。噂通りの男だ。クレムナント建国以来の天才騎士と言われるお前の力、見せてもらうぜぇぇっ!」
ベリンは大斧を構えると、ウィリスシへ向かって駆け出した。
「望む所っ!黄金の鎧!」
呪文を唱えたウィリシスの全身は金色の輝きに包まれた。
クレムナント王国の騎士にのみ許される魔法、光の鎧。その更に上位に位置するのが黄金の鎧なのだ。光属性を極めたウィリシスのみが扱う事の出来る魔法である。肉体を強化し、光速で移動する事が可能になる上、致命傷でさえも即座に治癒してしまう。攻守に優れた魔法と言っても良い。
しかし致命的な問題はどんな魔法にも常に存在する。それはこの黄金の鎧も例外ではないのだ。
「うおおおおおおおおっ!」
張り上げた声と同時に、ベリンは渾身の力を持って大斧を振り下ろした。刃の先端が大地へとめり込み、土を抉り取る。粉塵が舞い散り、石つぶてが周囲へと飛んでいく。
「ちっ!手応えがねぇっ。んっ!?ぐふっ!」
ベリンの顔が歪む。次の瞬間には口から紅血が漏れ出した。
「貴方との戦いに時間をかけてはいられない。悪いが手早く終わらせて貰った。」
胸から突き出た刃。血が滴り落ちていく。
ウィリシスはベリンの背後に居た。相手の攻撃が自分へと到達するよりも速く動き、そして背面から心臓を狙って剣を一突きしたのである。
ゆっくりと剣を抜き去ると、ベリンの左胸から大量の血飛沫が上がった。
「これが輝きの騎士の力…か…。」
ベリンの体が重力によって引っ張られ、そのまま地面へと突っ伏した。呆気ない程の幕切れ。最強の辺境伯と呼ばれた男は、ウィリシスから受けた致命的一撃によって死を迎えようとしている。
「圧倒的なパワーだ。しかし私の速さの方が上でしたね。さて、シュバイクに追い付かなければっ!―――――――――え!?」
黄金の鎧によって強化されているであろう体。しかし気がつけば、金色の輝きが消え去っていた。
「な、何故だっ!?どうしてだっ!魔力が放出できない!それにこの鎖は一体何なんだっ!?」
戸惑いから恐怖へと変わる顔つき。ウィリシスの左手首には、いつの間にか鉄の鎖が巻き付いていたのである。
そして背後から不意に声は聞こえてきた。
「ディキィッシュ家当主に伝わる秘伝魔法フィフニワールの加護は、たった一度のみだが受けた攻撃を無効にするぜ。そしてテメエの腕に絡み付いた鎖は俺の反撃型魔法!体に触れた者と俺を繋ぎ、互いの魔力は封じ込められる……どちらかが死ぬまで決して切れねぇ一対一専用の特殊な鎖だ!」
心臓を一突きされたはずのベリンはゆっくりと立ち上がる。そして左腕に巻きつく自分の鎖を一気に引き寄せた。
「くっ!」
体が前のめりになったかと思うと、次の瞬間にはウィリシスの足が地面から離れていた。ベリンへと向かって勢いよく飛んでいく。
「うぉぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁっ!」
ベリンは鎖を両手で掴み取り、背負い投げていた。そしてそのまま相手の体を地面へと叩きつける。
「ぐはっ!」
全身を駆け巡る衝撃。背骨を貫通する痛み。吐き出された唾液の中に混じる血が、内臓に与えた損傷の大きさを物語る。
「受身を取り損ねたな!無理に立ち上がろうとすれば傷が開くぜ!立ち上がれれば…の話だがなぁっ!うぉぉらぁぁぁぁっ!」
間髪入れずに、背負い込んだ鎖を再び投げ抜いた。ウィリシスの左腕はベリンへと向かって引っ張られて空を飛ぶ。だがこの時、事は既に起こっていた。
ベリンは違和感を感じたのだ。背負い込み投げ抜く寸前の感触があまりにも軽すぎるという事に。そしてその予感は的中する。
「うぐあっ!な、なんだっ」
突如として襲う痛み。胸から突き出た突起物の先端が眼前へと現れる。
「くっそっ。どういう事だっ一体っ。がはぁっ!」
ベリンは状況を理解出来ていない。何が起こったのか?を理解するよりも早く、大量の血を吐き出した。そして胸から流れ出る鮮血は胴体から足へと伝い、大地へと広がっていく。
「今度こそ終わりだ。」
耳へと届いた短い言葉。ベリンは首を動かして背後へと視線をやった。するとそこには金色の輝きを放つ男が、一本の槍をもって体当たりして来ていたのである。
「なんだ?どうしてだっ!なんでテメェがオレの後ろにいる!?うぐぉぉっ、オレの鎖は死ぬまできれねぇはずだぁっっ!」
吼えた。戸惑いは怒りへと変わるが、現実は変わらない。起こりうるはずのない事実が、ベリンの思考を止める。
「鎖は切れなかった。だから斬ったのさ。腕ごとなっ!」
「なっなんだとっ!?」
ベリンの視線が、ウィリシスの左肩からゆっくりと腕へと動く。すると、肘から先が綺麗に切断されていた。だが血は出ていない。黄金の鎧により、傷口が塞がれているからである。
地面へと叩きつけられた初撃の後、鎖の巻きつく左腕を魔鉱剣で斬り離したのだ。鎖が肉体の中に魔力を封じ込めているという性質を理解した上で、迷い無く決断したのである。
そして飛んでいった腕が地面へと叩きつけられるよりも速く、黄金の鎧と神速の豪槍を唱えて不可避の速攻をかけたのだ。
「ありえねぇ…思いついても普通やるか………トンでもねぇ奴だな………」
膝を落としゆっくりと倒れ、そのままベリン・エデン・ディキッシュは血の海の中で永遠の眠りへとついた。
ベリンの敗因は、相手の強さを光特性の魔法によるものだけだと誤認してしまった事にある。無論、光魔法もウィリシスの強さの一つではある。しかし力の根底ではないのだ。
光魔法を極めたウィリシスの強さの根底にあるのは、思考の瞬発力なのである。身体を超光速で動かすという事は、それを上回る速度で肉体を制御する思考が働いているという事実なのだ。
鎖を巻きつけ魔力を封じ込めた状態が、ベリンを精神的優位に立たせた。肉弾戦を得意とするが故、勝つ自信もあったはずである。だからこそ、ウィリシスの強さが何たるかを見落としたのであろう。
ウィリシスの思考は、状況判断から決断までが刹那を軽く凌駕する。腕を切り落として鎖を断ち切る、という答えを瞬時に導き出した時には実行していたのだ。そして実行する速さを活かすのが光魔法であっただけなのだ。ベリンはそこを勘違いしてしまったのである。
「ベリン・エデン・ディキッシュ辺境伯。戦士達の楽園にて安らかに眠れ…。」
屍となった男に名誉ある言葉を残すと、ウィリシスは金色の光を纏いて消え去った。主であるシュバイク・ハイデン・ラミナントを追って。




