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第百六十九話 血に染まる剣

 オーリュターブの魔力から現出した暗黒の女神は、耳をつんざくような奇声を放ちながら数千本もの剣を放ち続けた。それに対抗するようにグラホォーゼンが召喚した聖龍オーガルナイルも、飛んでくる剣の全てを灼熱の炎で焼き払う。


ギィィィィィィアアアアアアアアアアアアアッ!


グゥォォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!


 両者一歩も引かず、互いが互いを消し去る為に最大級の呪文を撃ち続けている。だがそれに巻き込まれたのは、レンデスである。

 体力を消耗しすぎたため、立って歩く事もままならずにいたのだ。そのため無残にも二人の発する攻撃の境で、その姿を消していた。


「う、うあぁぁぁぁっ!や、やめろぉぉぉっ!」


 数千もの剣と灼熱の業火の中。レンデスは叫ぶ事しかできなかった。今まで感じた事も無い恐ろしいほどの魔力の衝突が、本人の平常心を奪い取っている。


『安心しないさい、レンデス王子。貴方の身は私が守っているわ。』


 不意に聞こえてきた声。それは心へと直接語りかけてきたものである。


「はっ!?な、なんだっ!?」


 レンデスは僅かに平静を取り戻した。瞑っていた目を見開いて周囲を世話しなく見回すと、全身を包み込むように光の壁が張られている事に気がついたのである。


「こ、これは魔防壁ハーリング・ゼノアかっ…?」


 血の気の引いた顔。搾り出した声に、心へと語りかけてきた声が答えた。


『ええ、そうよ。今は二人の戦いが終わるまでじっとしていなさい。』


 レンデスにとって聞き覚えのある老婆の声だった。


「そ、その声はまさか…アルンドゥー導師か?いや、ベルンドゥー導師かっ?」


 しかしその問いかけに、声は返ってこなかった。

 アルンドゥーとベルンドゥーは、魔道議会の最高導師である双子の老婆である。クレムナント王国の王子であるレンデスにとっては、顔馴染みと言っていい存在なのだ。

 レンデスが己の心へと語りかけてくる声との会話に気を取られていた時。聖龍オーガルナイルが放つ灼熱の火炎が、たった一本の剣によって突き破られた。


「ぐっ!」


 吐き出した声と共に、鈍い音と衝撃がグラホォーゼンを襲う。業火の中から飛び出た剣が、胸と突き刺さった。


「うぐはぁっ!がっはっ!」


 グラホォーゼンはゆっくりと床へ方膝をついた。

 胸からじわりと染み出る血が、ローブをゆっくりと染めていく。と同時に聖龍オーガルナイルはうなり声を上げ、青白き炎を体から放って飛散した。


 グォオオオオオオオオオオオオオオ・・・・・・・・・。


「馬鹿なっ…何故だっ。聖龍の放つ火炎は、全ての敵の剣を焼き払っていた…はず…ぐっ!」


 グラホォーゼンの顔は、苦痛と困惑によって歪んでいた。突き刺さった剣の刃が肺を傷つけているのだろうか。口から血が流れ出ている。


「お前は暗黒神から放たれる無数の剣に気を取られすぎていたようだな。今、その胸を貫いているのは、私が魔力を込めて投げ放った魔鉱剣だ。」


 抑揚のない言葉でオーリュターブは言った。ゆっくりと歩を進めながら、グラホォーゼンの元へと向っていく。


「魔鉱剣を直接投げ放った…だと…?暗黒神を現出させたまま、さらに己の剣へと魔力を込めて放つとは…。ぐっ…。なんて…奴だ…。」


 グラホォーゼンは驚きと共に、敵であるオーリュターブの強さに賞賛さえ覚えていた。

 最大呪文を唱えた際の微妙な魔力操作と力の注入には、心血を注いで全神経を集中さえなければいけない。そうしなければ魔法自体が消滅してしまう恐れさえあるからだ。

 しかしオーリュターブは、さらに暗黒の女神に最大級の攻撃魔法を発動させたまま、グラホォーゼンへと向って魔鉱剣を投げ放ったのだ。

 これはクレムナント王国の最高導師と言われる男でさえも、想像しえない防ぎようのない攻撃だった。


「魔道議会の最高導師…だからこそ、己の魔法に自信を持っていたのだな。それ故に、私がお前と魔法の勝負に出るよう誘導したのだろう?暗黒騎士である私になら、互いに最大級の魔法を発動させてぶつけ合ったとしても…消耗戦の果てに必ず私に勝てると…そう踏んだのだろう。だが、お前の敗因はそこにある。」


「敗因…だと?」


 オーリュターブはグラホォーゼンの前へ来ると、その胸へ突き刺さった魔鉱剣の柄を握った。


「ぐうぅっ!」


 剣の刃に僅かな振動が加わり、グラホォーゼンは痛みと共に微かな血を吐き出した。


「お前にとっての最大級とは、私にとっての六分程でしかない。残りの四分で相手を制す。これが暗黒騎士の…否、私の戦い方だ。ハァッ!」


「うぅぅあっっ!」


 最後の言葉を言い終えると同時に、オーリュターブは握っていた剣を勢いよく引き抜いた。すると同時に、グラホォーゼンの胸から大量の血が噴出ふきだした。

 そして相手の息の根を確実に止める為、血に染まった黒き刃を首元へと向って振りぬいた。胴体から首を跳ねようとしたのである。しかしそれは魔法の壁によって阻まれた。


「なにっ…!」


 二人の僅かな間に現れた光の壁が、魔鉱剣の刃を受け止めたのである。そしてグラホォーゼンの足元が光輝き、床に六芒星が浮かび上がった。


「これは!?召喚陣かっ。」


 オーリュターブの目の前で光に包まれたグラホォーゼンは、六芒星の輝きに吸い込まれるようにして一瞬で姿を消してしまった。


「ちっ…。だがまぁいい。さっさと出て来い。次はお前の番だ。姿を現せ。」

 

 空中へと浮かび上がる青白い文字の奥から、とぼとぼと歩きでて来た者がいた。


「グラホォーゼンでも打ち倒せなかったとは…恐れ入ったわよ、リディオ・ウェイカー。貴方の強さにではないわ。貴方が心の奥底で抱くその執念によ。」


 暗闇の中から姿を見せたのは、白髪の老婆である。薄茶色のローブを身に纏い、腰元あたりまである長髪をしてる。


「その名で呼ぶな…。魔道議会の蛆虫うじむしめが。態々、私に殺されに着たのか…?」


 灰色グレーの瞳に殺意を抱きながら、オーリュターブは老婆を睨み付けた。手に持つ魔鉱剣からは血が滴り落ちている。その姿が言葉と共に強い印象を相手に与えた。

 だが老婆は一歩も引かずに答えた。


「殺されにきたのではないわ。貴方を殺しにきたのよ。残念だけど、貴方を神の檻へと入れる訳にはいかないの。この王国を…この世界を守るためにね。」 


 老婆の言葉は敵意をもったものだったが、話し方はとても穏やかであった。それが逆にこの場では不気味であったのだが、それを感じていたのは魔防壁に包まれて事の次第を見守るしかできないレンデスであった。

 目の当たりにしたオーリュターブとグラホォーゼンの戦いは、レンデスにとって次元の違いすぎるものだったのだ。

 幼き頃から厳しい訓練を耐え抜き、剣妓を磨き、魔法を身につけた。それでも尚届くことのできない力の違い。それを今、思い知ったのである。


「お前から感じる魔力は先ほどのグラホォーゼンと言う男にさえ劣る。戦闘力など無きに等しいのだろう。そんな奴が私を殺すだと?笑わせるな。」


 オーリュターブは殺意を抱く瞳から一転して、相手を蔑むような目つきで見た。


「私が貴方を殺すのではないわ。貴方を殺せる者を私の召喚術で呼び寄せるのよ。それがこの場で私にできるたった一つの事…かしらね。」


 老婆はそう言うと、皺だらけの顔に笑みを作った。


「ふっ。ならば好きにするがいい。その召喚された者を殺して、お前を殺す。そして私は誰にも邪魔をされる事なく神の檻へと入り、この世界を変える扉を開く…!」


 オーリュターブは剣を振りぬき、刃へと付着する血を振り払った。

 目にも留まらぬ速さで振りぬかれた剣の後を、空を切る音が遅れて追いかける。


「やはりね。貴方の望みはそこにあったのね。ならば尚更、貴方を此処で殺さなければいけないわ。」


 老婆は左手の指に嵌まる魔法指輪ハール・リングの上に、もう一方の手の平を重ねた。そして静かに呪文を唱え始めたのである。


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