第百六十八話 その男の名は…
声と共に闇の中から姿を現したのは、薄茶色のローブを身にまとう男だった。
「お、お前は、魔導師グラフォーゼンっ!」
レンデスは苦しそうに言った。
その男はクレムナント王国の魔道議会の最高導師の内一人。王国騎士時代に異例の抜擢を受け、魔道士となった者であった。
「そう。この国は我等が信仰するハル・エルドワール様が創りあげたもの。その土台の上で何も知らずに踊らされていた唯の傀儡はラミナントの者達。しかしその事実を知る者はこの国の者でさえ極僅か…。」
そう言いながら二人の前へと歩きでて来たのは、魔道士と言うにはあまりにも屈強な肉体をもつ者である。
「セルシディオン・オーリュターブ。ナセテム王子とデュオ王子と共に水中都市国家からやって来た男…。貴様は一体何者だ…?」
グラフォーゼンは鋭い目つきで、灰色の髪の男を見た。
「死んだはずの男…とでも言っておこう。」
オーリュターブはそう言いながら、腰に掛かる魔鉱剣の柄に手を置いた。そして次の瞬間には目にも留まらぬ速さで剣を引き抜いたのである。
「死んだはずの男…か。なるほど。やはりハルムートの言っていた事が現実となったのだな。」
将軍ガウル・アヴァン・ハルムートの名をグラフォーゼンが口にした時、オーリュターブの瞳には明らかな殺意が見て取れた。
「その眼に宿るは憎しみか?怒りか?はたまた苦しみか?全てを奪われ、全てを捨て去った男…リディオ・ウェイカー。」
グラフォーゼンはついにその名を口にした。その名こそ、セルシディオン・オーリュターブが捨てたもの全てであった。
「リディオ…ウェイカー…だと…?な、なんの事だ?こいつの名はセルシディオン・オーリュターブではないのかっ!?」
まだ立つ事もままならぬレンデスだが、グラフォーゼンの言葉に反応せずにはいられなかった。
「レンデス王子、お教えしましょう。その男の秘密を。戦乱の最中に運命によって弄ばれ、故ガウル・アバン・ハルムートによって殺され損ねた男。その男こそ、シュバイク王子の守護騎士ウィリシス・ウェイカーの実の父!リディオ・ウェイカーと言う名の男なのですっ!」
「知った口を……利くな!」
魔鉱剣の切っ先をグラフォーゼンへと向けて、オーリュターブが動いた。
「魔法剣召喚!聖剣ティルガナッス!幻影剣ジャロウッド!」
グラフォーゼンは即座に呪文を唱えると、右手に光輝く剣を、左手に黒き影の剣を召喚した。そして襲い来るオーリュターブの黒剣を受け止めたのである。
甲高い金属音と共に眩い光が周囲を照らす。斬撃と斬撃がぶつかり合い、空気が揺れる。
「ウォォォォォォォォォォォッ!」
オーリュターブは激情に駆られているように思えるほど、絶え間なく激しい攻撃を繰り出し続けた。しかしその攻撃をグラフォーゼンは両手の剣で難なくいなす。
「水中都市国家スウィフランドの暗黒騎士とは…この程度かっ!聖剣ティルガナッスよ、眼前の敵を打ち破る力を我に!光炎斬!」
相手の動きの隙を突き、グラフォーゼンは聖剣を横になぎ払った。すると光輝く刀身から青白い炎が噴出し、オーリュターブを切り裂いた。
「ぐぅぅぅぅあああああああああああ!」
一瞬にして身体が青白い炎に包まれた。オーリュターブは悲痛なる叫びを上げながら、遥か後方まで一気に吹き飛ばされた。
「聖なる炎に焼かれた者は、地獄の苦しみを味わいながらもがき死ぬのだ。己の悪しき心が消え去るまでな。」
「くくくくく…はははははっ!これだ!この痛みだ!この苦しみだ!この怒り!この憎しみ!この全てが私の力となるのだ!」
燃え盛る青き炎の中で、オーリュターブは笑っていた。
「な、何だと!?聖なる炎に焼かれても尚、立ち上がるというのかっ!」
勝利を確信していたグラフォーゼンは、己の瞳に写る有り得ないはずの光景に目を疑っていた。
「私の持つ特性は無!故に光も闇も炎も土も水も風も効かぬ!私を殺すにはこの首を胴体から切り離す他になし!お前の与えてくれた痛みが、私の中で新たなる力を生み出す!異でよ、暗黒の女神。闇の力を怨敵に示せ!」
キィィィィィィアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……!
オーリュターブが勢いよく呪文を唱えると、頭上に裸体の女神像が現れた。その身体には数千本もの剣が突き刺さっている。その剣が女神像の叫びと共に体から離れると、グラフォーゼンへと向って放たれたのである。
「暗黒神をその肉体に宿すとは!貴様、人知を超え、人ならざる者へとなったのだな!だから私の光炎さえも効かなかったわけか!ならばよい、暗黒神を討ち果たし、望みどおり貴様の首を胴体から切り落としてやるわ!異でよ、我が僕!聖龍オーガルナイル!」
グラフォーゼンは両手の剣の刃を重ねると頭上に掲げた。すると刀身から黒き影と青き炎が舞い上がり、巨大な龍の形へと変化したのである。
グゥォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……!
女神の体から放たれた数千本の剣と、巨大な龍の口内から吐き出された青黒い炎がぶつかり合った。




