第百六十五話 闇を振り払う者
レンデスを中心にして陣を組む男達の眼光は鋭く、全身には魔力が漲っていた。
右手に持つ魔鉱剣の刀身が、使用者の力を受けて七色に美しく輝いているのはそのためである。
「何処だっ。何処にいるっ」
男の一人が言った。そして丁度その時である。姿も見えぬオーリュターブの不気味な声が、突如として静まり返った空間へと響いてきた。
「暗黒の瘴気よ…死した者達の魂を繋縛せよ……」
不気味な声は、明らかに呪文であった。それによってレンデス達はすぐに気づいたのだ。
オーリュターブが何らかの魔法によって、攻撃を仕掛けようとしてきているのを。
「何だあれはっ!」
紫の瞳を見開きながら、レンデスは声を上げた。
白と黒の美しい大理石の床から、おぞましい黒き瘴気が湧き上がってきたのである。湯気のようにゆっくりと姿を現し、やがてそれは十メートル近い天井を覆いつくした。
「敵を喰らい、そして屠れ。死人狂化!」
響く声。明らかな呪文である。天井を覆う暗黒の瘴気は、床に転がる無数の死体へと吸い込まれるように消えていく。そしてレンデス達の目に、信じられない光景を作り出した。
ウグゥァァァァァァァァァァァァ……
暗黒騎士の手によって絶命したはずの兵士達が、うなり声を上げながらゆっくりと立ち上がり始めたのだ。ある者は切り裂かれたわき腹から内臓をはみ出し、ある者はおびただしい血を吐き出しながら起き上がった。
地獄というものが本当に存在するのならば、レンデス達の前に広がる光景は正にそれそのものである。
「なっ!?何だというのだっこれはっ!奴等は死んでいたのではないのかっ!」
レンデスは顔を青ざめながら恐怖のあまりに言葉を吐いて捨てた。
「レンデス様っ!こ、これはまさか…死霊術なのではっ」
軽鎧をまとう男の一人が、レンデスの言葉に答えるように言った。
ディキッシュ家配下の者である。城内への潜入作戦の立案に伴い、貴族達の意向によって王子に同行していた。
幾度と無く戦場を生き抜いてきたが故に、肌には大小様々な切り傷が刻み込まれている。レンデスよりも一回りは年上であろう。眼光は鋭く顔つきは歴戦の猛者そのものである。
「ダウルード!どういう事だ?し、死霊術だと…?」
他男達よりも遥かに年配である。顔のしわと堀の深い目。蓄えられた白髪まじりの顎鬚が目を引く者だ。
レンデスの言葉に、男は答えた。
「死者の魂を捕縛し、意のままに操ると言われている魔法。それが死霊術と言われておりますが……」
男は言葉を濁した。
「何だっ!?それが何だというのだっ!」
含みさえも持たせるその言い方に、レンデスは苛立ちを見せた。
「わ、私もこの目で見たのは初めてなのですっ!死霊術は数百年前に最後の継承者が死に、呪文そのものが途絶え、そして失われたとされる力!しかし何故それを、暗黒騎士であるオーリュターブと言う男が扱えるのか解りませぬっ!」
「数百年も前に失われた力だとっ!?一体あの男は何者なのだっ」
男の言葉に、レンデスは更なる疑問を抱かずにはいられなかった。しかしその問いに答えられる者は、誰一人としていないのである。
ウグァァァァァァァァァァァァッ!
その時。死人となった兵士が、獣のような声を張り上げた。そしてレンデスを守るように陣を組む二十人の男達へと向って走り出したのである。
「おいっ、くるぞっ!!」
別の男が言った。仲間へと注意を促しながら、剣を構え、敵の一挙手一投足を見逃さずに捉える。
グアアァァァァァアッ!
王族守備隊の兵は、すでに人ではない。オーリュターブとの戦闘によって傷つけられた体。顔は青ざめているが、瞳は充血し真っ赤に染まっている。口からは涎と血が混ざり合った飛沫を吐き散らし、常軌を逸した顔つきをしていたからである。
「セェィヤッ!」
歯を剥き出しにしながら飛び掛ってきた兵士へと向けて、男は魔鉱剣を振りぬいた。
七色の輝きを放つ美しい刀身は、鉄の鎧でさえも意とも容易く切断する。魔鉱剣の斬撃を受け止められる物はこの世に数少ない。同じ魔鉱石で出来た鎧や剣、もしくは高等防御魔法のみである。
鎖帷子をまとう兵士など、肉を切ると同程度のもの。しかし、それが出来なかったのだ。
「なっ!素手で止めただっ!?」
兵士の左肩へと食い込んだ剣は、押しても引いてもびくともしない。それをさらに左腕で刃を掴んでいたからである。本来ならその手が切断されていてもおかしくは無いはずなのだ。しかし現実はそれとまるで違った。
「くそっ!ウラァァッァァ!」
刀身に魔力を込め、力の限りに押し込む。しかしそれでも微動だにしない。見かねた仲間の一人が剣を振りかざし、兵士の首を狙って横から斬りかかった。
グアァァァァァァァァァァァァッッ!!
右肩に食い込む剣を気にする気配はない。痛覚さえも失い、生ける屍と化した兵士。充血した眼で眼前の男へと目掛けて、大きく開いた口で噛みつこうとした。
「しまった!」
耳を塞ぎたくなるような硬音が響く。
「ゼェイヤァァッ!」
助けに入った男。首元を狙って振りぬいた剣の軌道を僅かに変え、死人の口へと目掛けて振り切ったのである。それによって敵の攻撃を受けずに済んだものの、二人の男がたった一人の死人によって身動きが取れなくなってしまった。
「なんだとっ!?ぐっ!くそうっ!」
敵は魔鉱剣の刃を歯で受けた止めている。肩と口に剣を受けながらも、さらに前の男へと向って力付くで前進しようとしているほどだ。
「ウォラッ!!」
見るに見かねた三人目が加勢へと加わり、死人のわき腹へと目掛けて強烈な蹴りを放つ。
魔力によって強化されていたが故に、死人の身体は三メートル後方まで吹き飛んだ。だがまったく意に関せず、むくっと起き上がると更なる声を張り上げながら男達へと向って走り出したのである。
精鋭中の精鋭である男達が、たった一人の王宮守備兵に苦戦すると言う事実。それが二十人全員の心に動揺と不安を呼び込んだ。しかし、五十人もの死人が次々と起き上がる中で、男達は覚悟を決めるしかなかったのである。
「何としてでもレンデス様をお守りするぞっ!」
「「「おおうっ!」」」
男達は気迫の篭った声を上げる。
グウゥァァァァァァァァァァァァァァァァアッ!
神聖な空間であったはずの王宮区画入り口は、戦場と化した。静けさは闇の彼方へと消え去り、死人のけたたましい叫び声と、男達の覇気の篭る声が響き渡った。
「くっ!やはりこいつ等、魔鉱剣では歯が立たんっ!どうすればっ」
繰り広げられる戦い。魔鉱剣で応戦する男達は、斬撃によって敵へと致命傷を負わせられない事に焦っていた。
剣によって仕留める事ができない以上、打撃によって敵を一時的に退けるしかないのである。しかし何度となく振り払い、押し倒し、吹き飛ばそうともすぐに立ち上がって襲い掛かってくるのだ。その数は二十人に対して、倍以上の五十である。
死人と化した兵士は息の一つも切らす事はない。だが生身の人間であるレンデス達は違った。戦いが長引けば魔力を消費し体力を消耗する。やがては不利になるのが目に見えている以上、活路を見出すしかなかった。
「暗黒騎士の魔法ならば弱点は恐らく……光!光魔法だ!光魔法で打ち払うのだっ!」
声を上げたのはレンデスであった。周囲で戦う男達に守られながら、レンデスだけは冷静に敵の弱点を模索するための思考を働かす事が出来たのだ。
「光魔法っ!?我等は王国騎士ではありませぬっ。そのため光魔法を扱う事ができぬのですっ。レンデス様っ、どうか我等に光の加護を!」
死人と戦いを繰り広げる男の一人が言った。襲い掛かってきた敵に殴打を浴びせ、応戦をしている最中である。
「なんだとっ!?俺は光の特性が苦手なのだ…。こんな時に限ってなぜ!くそっ!お前達でどうにかならないのかっ!」
レンデスは顔を歪めていた。薄き緑色の長髪をかき乱す。
第一王子であるレンデスの持つ魔法特性は闇。光とは相反する特性である。そのため五人の王子の中で光魔法の習得には一番時間を要したのだ。それがレンデスの中に苦手意識を生み出していた。
「このままでは全滅も時間の問題っ!貴方は過去の醜い自分を振り払った!そして、弟君であるサイリス様のために自身を犠牲にするとエデンの名の下に誓ったはず!ならば、今の貴方に恐るべきものなどありませぬっ!」
襲い掛かる死人の頭を殴りつけながら男は言った。
その男の言葉は何処か、レンデスにとってある男の存在を思い出させるものだった。
『いいですかな、レンデス様。苦手意識から生まれる恐怖心とは、己の心の弱さが生み出す幻影。言わば恐怖とはただの幻なのです。貴方様はこの私が、唯一、真なる忠誠を誓いしお方。クレムナント王国第一王子レンデス・エデン・ラミナントなのですぞ。恐れるものなど何も有りませぬ。貴方は誰よりも強く!気高く!尊く!そして高潔なのです!それをどんな時でも忘れてはなりませぬっ!』
古い記憶から呼び起こされた言葉。それはディキッシュ家の領地へとたどり着く間際、迫る追撃部隊の足止めのために自らが犠牲となった男のものである。
泣いてばかりの幼少期。実の母はサイリスが生まれると同時に、レンデスへの興味を無くした。周りからも消えていく人々。誰からも愛されてないと感じる寂しさは、レンデスの心の大きな闇を作る原因となった。
しかしそれでも王家の長男としての誇りを捨てなかったのは、己を支えてくれた男がいたからである。負けず嫌いで人一倍、影で努力を積み重ねていたのはシュバイクだけではないかったのだ。
そしてそれを支え続けた男の偉大さに、レンデスはやっと気がついたのである。そしてそれと同時に、その男の名を静かに呟いた。
「ハギャンに助けられたな……。お前の忠誠に恥じぬ男になってみせる!戦士達の楽園で見ていてくれ。この俺が放つ光輝をっ!クレムナント王家に伝わる最大級の光呪文。闇を乗り越え、俺は輝いてみせる!悪しき者を打ち払えっ!王家の威光っ!」
レンデスは呪文を唱えながら両手を大きく広げた。そして天を仰ぐような所作を見せると、次の瞬間、その身体は眩いばかりの輝きによって包まれたのだ。さらにその輝きは巨大な光の柱となり、天井へと向ってそそり立った。
「こ、これは……!」
「う、美しいっ…力が湧き上がってくるっ!」
レンデスから放たれる光の柱の輝きが周囲へと降り注いだ。その光を受けた男達の全身は、輝きによって包みこまれていく。
グギャアアアアアアアアアアアアアッッ!
力を漲らせる男達とは違い、光を全身へと浴びた死人達は悲痛な叫びを上げながら悶えていた。
「やはり死人となった奴等の弱点は光だったのだ!今だ!殲滅しろっ!」
レンデスは両の手を広げたまま声を張り上げた。その声を合図に男達は一斉に動き出す。
「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」」」
威勢の良い声を上げながら、魔鉱剣を振りぬいていく。すると僅かな傷しか付ける事の出来なかったはずの死人の肉体をいとも簡単に切り裂いたのである。
ギィアアァァァァァァァァァァァッ!
悲鳴を上げながら倒れる者達。その傷口は火傷を負ったかのようにただれている。
純粋な戦闘能力なら、遥かにこの男達のほうが上なのだ。敵の苦し紛れの一撃を難なく交わすと、見事な太刀筋で斬撃を加えていく。腕が飛び、足が飛び、胴体を切断する。そしてやがてはただの肉塊となるのだ。
戦いの中で次第に敵の弱点となる部位を見抜いたのか、幾人かの死人を倒す頃には首だけを綺麗に切り飛ばしていく者さえも現れた。
五十名の元王宮警備兵だった死人達は、数え切れないほどの肉片となって大理石の床に散らばっていた。男達は勝利を確信し、互いの顔を見合わせる。
「はぁ…はぁ…やったぞ。これが王家の威光。クレムナント王家の究極の光魔法か…」
振りぬいた剣に付着する血を自分のマントで拭い取りながら、ゆっくりと辺りを見渡した。
「気を抜くな!まだあの暗黒騎士、オーリュターブと言う男が残っているはずだ!最後までレンデス様を守り抜くのだっ!」
年配の男が言った。二十人の男達の中で一番歳を重ねているでろう者である。しわのある顔に顎鬚が印象的であった。そんな男が仲間へと警戒を促した時に気づいたのだ。
「レ、レンデス様は何処だ……?」
そこにいるであろう王子の姿は無かった。周囲を沈黙が満たしていく。聖なる光の加護を味方へと与え、邪悪な存在を打ち払う力を与えた男は、まるでそこに一切の痕跡を残す事無く姿を消してしまった。
あのセルシディオン・オーリュターブのように……。




