第百六十四話 思わぬ遭遇
ラミナント城を囲む平原で激戦が続く中、城内へと密かに足を踏み入れた者がいた。
数二十人程の男達である。革の軽鎧を身に纏っており、上からはフードと一体型のマントを羽織っていた。腰には魔鉱剣と思わしき武器を下げており、時折、辺りを警戒する素振りを見せていた。
男達は大理石の美しい床が広がるその場所を、駆け足で進んでいく。
白を貴重とした中に入る亀裂のような黒い模様。自然界で生まれたが故に、人の手は一切そこには加えられていない。神秘的な印象を人々に与える、大理石の床。それが何処までも続いているだ。
さらには巨大な石柱がそびえ立ち、等間隔で二列に並び建っている。それが奥へと遥か先まで続いているのだ。
そして石柱の上部に取り付けられた鉱石灯によって、辺りは煌々と照らし出されていた。
ここは王宮区画の唯一の入り口であり、来賓館に繋がっている。
派手やかな装飾がなされている交流会の場とは違い、厳かで落ち着いた雰囲気が漂っていた。
それはこの先に住まう王族が、世界の創造主たる神に等しい存在であると、無言の内に語りかけるような造りになっているからなのだ。
クレムナント王国の人々は、多くがラミナント王家の始祖であるラミナント・ドゥークを崇拝している。
建国王と呼ばれた実在の男は、五百年経った今は神格化され、人々から崇められる存在となっていた。
それが言わば、王神道と呼ばれるものである。
王家に使える騎士と高位なる階級の貴族達を中心とした宗派であり、その信徒の多くは富裕区に住まう人々である。
王宮区画の全ては、彼らの信仰心を高める造りが存分に施されているのだ。それはまるで崇拝対象を祭る神殿の役割に似ていた。
そんな場所を、駆け足で進んでいく者達がいた。
「ん?な、何者だっ!止まれぇぇっ!」
王宮警備隊の兵士が声を上げた。
平原では尚も王国軍と帝国軍の戦いが繰り広げられている。そんな中でも、王宮区画には王族である二人の妃とその娘達がおり、厳重な警備体制が敷かれていたのである。
警備兵は鎖帷子を着込んでおり、手には既に鞘から抜き去られた剣が握られていた。声を聞きつけたのか、何処からともなく、次々と兵士達が現れた。
気づけば二十人程を取り囲んでいるのは、五十人を超える警備兵である。
「武器を捨て大人しく投降しろ!賊共めがっ!帝国の犬かっ!?」
警備兵の一人が声を上げた。
すると黒フードを被る者の一人、ゆっくりと前へと歩を進めたのである。そしてマントを取り去り、自身の正体を曝け出した。
「我が名はレンデス・エデン・ラミナント。この国の第一王子であるぞ!無礼者めがっ!武器を捨てるのはお前達の方だっ!」
ダークグリーンの髪に、紫の瞳。鋭い目つきは他を威圧する眼差しでいて、どこか気品さえも伺える。貴族と王族の血を継ぐ物だけあってか、その気迫は王宮警備兵を一瞬で圧倒した。
「なっ!?レ、レンデス様っ!?」
目の前にいる男が、ラミナント城から数週間前に姿を消した男であると、すぐに気づいたのだ。警備兵達は予想外の人物に、驚きを隠せなかったのである。
「ど、どうすればっ!?た、隊長っ!」
若い警備隊の男が、年配の兵へと問いかけた。
突如として王宮区画に現れた王子。その対応に、判断し兼ねていたのだ。
「武器を捨てるなっ!この城の所有権は現在シュバイク・ハイデン・ラミナント王子だっ!我等王宮警備兵は、シュバイク王子の命令に従うまで!この場へと無断で足を踏み入れた以上、その相手がレンデス様であろうとも我々の対応は変わらない!」
年配の兵がそう言うと、警備兵達の動揺は微かに薄れた。しかしそれをレンデスは、再び揺さぶったのである。
「シュバイクがこの城の所有権を抑えているだと?この場にいない奴が何故、如何してこの城の現在の主だと言えるのだ!私はクレムナント王国の第一王子だぞっ!それを分かっているのか!?王宮警備兵は、ラミナント王家に仕える身のはず!たかだが一人の王子に傾くとは……恥を知れえぃっ!」
レンデスは怒りを露にした。右手を大きく振りかざし、相手を払いのけるような動作を見せながら言ったのである。
警備兵には、レンデスの短気で利己的な性格が爆発したように移っただろう。だからこそ、身を構えて武器を握り締めたのだ。だが実の所、当の本人は至って冷静であった。
自身の欠点を見つめ直し、受け入れる事で大きく一歩飛躍したのだ。王の器たる人物へと、急速に成長を遂げようとしていた。
「ぐっ……し、しかしっ!一度この城を去った貴方を、『部外者として対処せよ』と命令を受けているのです!我等はその命令に従うしかありません!どうか、無駄な抵抗をせずに大人しく投降してくださいませ!決して手荒に扱いは致しませぬ!それはお約束致します!」
警備兵の男がそう言うと、周りの兵士達は剣を構えた。そして敵意を持った目つきで、レンデス達を見たのである。
「ちっ……殺らねばならぬのか……無駄な血を流したくはなかったが……仕方ないようだな」
レンデスは呟くように言った。どこか悲しげな表情であった。しかし、右手を魔鉱剣の柄へと手をかけると、勢いよく引き抜いた。
王子の覚悟を前に、二十名の黒マントの男達も次々と剣を抜き去った。
「もの共!レンデス王子を捕らえよ!決して殺さず、生かしたまま捕まえるのだっ――――――んっ!?」
警備兵を指揮する年配の男が声を上げた時であった。駆け出そうと足を前に進めた兵士の一人が、突然血飛沫を上げながら悲鳴と共に倒れたのだ。
「ぐあぁぁっ!」
「なっ、何だ!?どうしたっ!?」
兵士達に動揺が走る。そして次から次へと、血と悲鳴を上げて大理石の床へと倒れていった。一人、また一人と減っていく。訳分からずにいたのは、レンデスを含む黒マントの男達も同じであった。
「ぎゃぁぁっ!」
「ぐはぁっ!」
瞬く間に警備兵の死体の山が築かれる。
レンデスは周囲へと視線を流し、そこに居るであろう敵の正体を探る。しかし瞳に映るのは、突如として胸から血を噴出す兵士達の姿のみ。気づけば最後に残るのは、警備兵隊長と思わしき年配の男だけとなっていた。
「くっ!何だというのだっ!?どうしたっ!?何があったのだっ!?ぐっ――――――!?」
ついに最後に残っていた男にも、敵の魔の手が到達した。吐き出したのは痛みからくる声と、内臓を傷けられ食道から這い上がってきた血である。
ブラウンの瞳を見開きながら、男は自分の鎖帷子を見た。視線を落として胸の辺りを見ると、背後から貫いたであろう剣の刀身が目の前へと伸びていたのである。それを目に収めた時、自らが死ぬ事を悟ったのだ。
「がはぁっ……!」
男はゆっくりと前のめりに倒れた。金属の鎧が、大理石の床へと衝突した。手から零れ落ちた剣は、音を立てて転がっていった。
そして倒れた警備兵の背後から、見慣れぬ容姿の男が姿を現した。手には魔鉱剣らしき物を持っており、刀身には血がべったりと付いていた。しかしその刃は黒色で、王国では見たこともないような剣であったのだ。
「何者だっ……!?」
レンデスは敵意を剥き出しにしながら、男へと問いかけた。どんな者にせよ、敵であるのは間違いがない。そう本能的に感じ取らせたのだ。
周りに倒れている五十名以上の警備兵。彼らをいとも容易く斬り殺したという事実。目にも留まらぬ早業。明らかに魔力に精通している者であるのは間違いがない。だがその業が何なのか。それすらも分からない以上、剣を構えて臨戦態勢を取る他なかった。
「命を救って差し上げたと言うのに……あまりにもな言い方ですな。この国の王子と言うのは、礼儀を知らない。まったく……」
男はそう言いながら、剣に付いていた血を振り払った。
空を切る風の音だけが、レンデス達の耳には届いたのだ。血を飛ばすために振りぬいた剣は、あまりにも速く、瞳で捉えきる事さえも出来なかったからである。
「何者だと聞いているのだっ!答えろっ!」
レンデスは声を荒げた。
それは目の前に居る男に、途轍もない魔力を感じ取ったからである。肌にまとわり付き、鳥肌を誘うようなおぞましい感覚。その場から身を遠ざけたくなる気持ちを必死に抑え込みながら、自分を鼓舞するように言ったのだ。それが、荒れた言葉の中に込められていた。
「水中都市国家スウィフランド。十三騎士団総団長セルシディオン・オリュターブと申します。レンデス王子、貴方を御待ちしておりました。どうかお話を聞いて頂けませんかな?」
生気の感じられない灰色の瞳。狐のようなつり上がった目。痩せこけた頬。年齢には似つかわしくない程の白髪。群青色の革の鎧を身に纏い、手には黒色の剣を持っている。
「スウィフランドだとっ!?十三騎士団総団長と言えば、数千の暗黒騎士全てを束ねる者のはず!何故それほどの立場の者がこの城内にいるのだっ!?何が目的だっ!」
レンデスの顔色が変わった。
「では単刀直入に申し上げる。私はこの城の地下に囚われている《神の檻》の場所を知っている。しかし其処へ近づくには、王家の血を引く者の力が要るのです。我々は互いに欲しい物を持っている。場所と鍵。そう思いませんかな?」
オーリュターブは抑揚のない言葉で言った。底知れぬ闇が覗き込む眼は、冷たくレンデスを見ていた。
「鍵だと……?なんの事だ!?」
レンデスは困惑していた。オーリュターブの言葉全てを、理解し切れていなかったからである。
「何という事か。全てをご存知ではないと……。レンデス様、貴方はエデンの者達に利用されておりますぞ」
「利用されている?何の事なのだ!?」
「貴方がこの城へ潜入したのは、兵を扇動し、内部から敵を崩すためでしょう。だが実の所は、そうではない。なのだろう?」
含みを持たせる言い方であった。最後の問いの投げかけは、レンデスに付き従って城内へと潜入した二十名程の男達へと向けられていたのでる。
「どういう事だお前達!何か知っているのかっ!?」
レンデスは後ろへと振り向き、仲間であるはずの者達へと問いかけた。実の所、城へと潜入するに当たり、部隊として組み込まれた兵士は全て貴族側の者である。
それを何の疑いも無く仲間として、城へと引き連れてきたレンデスは知らなかったのだ。己の認知が行き届かない場所で、思わぬ策略が働いていたのを。
「レンデス様。敵の虚言を鵜呑みにしてはいけませぬ。我等を仲たがいさせ、好機とあらば其処をつけ込んでくる。水中都市国家の暗黒騎士ともなれば、人の抱える闇を知り尽くしているはず。奴の言葉等、聴いてはなりませんっ」
背後で剣を構える男が言った。元はベリン・エデン・ディキッシュ配下の、武に秀でた兵である。全身に漲る魔力は力強く、その言葉にも一切の淀みは無い。それがレンデスの不安を僅かに取り去った。
「人が抱え込む闇が何たるかを知り尽くしているのは、エデンよ、お前達も同じであろう。何時も小賢しい策ばかりを弄し、我々の邪魔をしてくれる。目的の為ならどんな手段も厭わずに使い、同じエデンである王子でさえも犠牲にするその覚悟だけは賞賛に値するがな。しかし、それもここまでだ。レンデス王子は私が頂く。これから死ぬお前達にはもう、必要のない物だからな」
オーリュターブの目つきが変わった。と同時に、頭上から照らし出す陽光石の灯によって出来た自分の影の中へと、吸い込まれるように消えていった。
「来るぞっ!お前達!レンデス様を何としてでも守り抜けっ!」
二十名の男達は、すぐさまレンデスを守るようにして囲んだ。そして円陣を組んでたった一人の男を迎え打ったのである。




