第百六十二話 英雄の証明
駆け出した先頭集団の五十騎は、後方部隊を置き去りにするか如く、全速力で平原を突き進んだ。後ろを見る者は誰一人としてない。前だけを見ているのだ。前方を駆けるたった二人の人物の背中のみが、後を追う者達の意識の的なのである。
「裂氷の剣ッ!」
平原を駆ける白狼の背から、ザイナムは呪文を唱えた。すると右手に握る十字の大剣が、光に包まれて形状を変えたのである。それは柄頭から刃の先端までをも覆いこみ、美しい氷の剣となった。
「火燐の剣ッ!」
白狼のすぐ隣で駆けるのは、鉄の重鎧を纏う戦馬である。その背に跨るのは、鋼鉄の鎧に身を包む赤髪の女。ザイナムとほぼ同時に呪文を唱えると、左手に持つ魔鉱剣へと魔力を込めた。すると剣は光と炎を発しながら熱を帯びた。柄と刀身が真っ赤に変色し、刃からは炎が燃え滾る。
二人は互いの剣を横へと突き出す。そして交差させたのである。
氷と火。相反する二つの属性が合わさった時、ザイナムとメイアは更なる呪文を唱えた。
「死した魔天狼の魂よ。白狼王の呼び声に応えよ。牙狼転生!」
全速力で駆ける狼と戦馬。その背から横に突き出した二つの剣が重なり合い、凄まじい水蒸気を生み出した。蒸気は風に運ばれて、周囲へと瞬くまに広がっていく。白煙のようなそれは大地へと流れ込み、術者によって呼び起こされた魂が次々と宿っていく。
「な、何だあれはっ!?」
メアーズは八千の兵の後方で、森から迫る大軍を視界に収めていた。その瞳に映ったのは、白い狼の大群である。先頭集団の足元に広がる水蒸気が、無数の狼へと姿形を変えたのだ。
鋭い牙を剥き出すに白狼の群れが、五十騎の戦馬と共に迫りくる。
「魔道隊っ!奴等を近づけるなっ!撃てぇ!撃てえぇぇぇいっ!」
黒のローブを纏う集団は、前列の槍部隊の背後から次々に呪文を唱えた。すると前方に炎の矢が放たれ、勢いよく敵へと目掛けて飛んでいく。
「ザイナムッ!回避仕切れないわよっ!」
メイアが声を上げた。
「恐れるな!我等には精霊王と王都魔術指南役が付いているっ!」
ザイナムは仲間を鼓舞するように、声を張り上げた。帝国軍第二部隊から放たれた無数の炎の矢が、行く手を全て埋め尽くしていた。隙間なく押し寄せるそれは、まるで炎の壁である。
ものの僅か数秒足らずで到達する。オルフェリアン軍と山間部の部族連合軍へ、多大なる被害を出すのは目に見えている。
それでも尚、ザイナムは白狼の脚を止める事など無かった。それは、前方の障害をシェルフ族の少女と、王都魔術指南役と言われた偉大なる魔術師が、全て取り除いてくれると信じて疑わなかったからだ。
「アルモダスさんっ!前方の部隊を何としても、無傷で敵へと接触させます!私の魔力に合わせて呪文を唱えてくださいっ!」
先頭集団の後方二百メートル程から、大地を一歩一歩ゆっくりと踏みしめて進むのは緑の巨人である。十メートル以上もの巨体故に、その進みは遥かに遅い。この星でもっとも緩やかな成長を遂げる植物であるのだ。それが歩き進むだけでも、大きな力を消費する。
少女は巨人の頭上から、一人の男へと声をかけた。それは肩に乗る、アルモダス・バイバラ・フェルゴーレである。
この男は精霊国がまだ存在していた頃、魔術指南役として多くの兵士の育成に携わっていた。狩人としての腕も一流だが、それ以上に土魔法の扱いに秀でていた。
前王バルノッサ・ジェス・アーゼム曰く、『武に秀でるはザイナム。魔に秀でるはアルモダス。両雄が力を合わせれば、我がオルフェリアンの国は三百年は安泰である』とまで言わしめた者である。
しかしこのアルモダスもまたザイナム同様に、ハイドラの策略によって戦いの時には精霊国から離れていた。気づけば唯一の都マーディントは陥落寸前で、すでに手のつけようが無かったのである。
だからこそ辺境の村々から人を集めて、国を脱出したのだ。彼は人格者であり、人を纏めるだけの資質を十二分に備えていた。だが、共に逃げ出した多くの者達は、戦闘力等無きに等しい一般人である。
いかに狩猟民族であろうとも、人と人との戦いにはそれ相応の技術と弛まぬ訓練が必要である。それを知っていたからこそ、いつか来るであろう戦いの日に向けて、仲間達を鍛えていたのだ。
「畏まりましたっ。お前達!私の呪文に魔法を重ねろ!いくぞっ!」
「「「はっ!」」」
アルモダスの六人の息子達と、巨人の肩に乗る多くのシェルフの民が短い返事の一つで答えた。そして呪文を一斉に唱えたのである。
「「「土流・防壁陣!」」」
両手の平を前へと向けながら、呪文を唱えて魔法を放った。その数約百名のシェルフ族の兵である。すると、先頭を駆けるザイナム達の前に異変が起こった。大地が揺れたかと思うと、波を打ちながら地面が盛り上がったのだ。
「なんだあれはっー!?」
「大地がっ!?どういう事だっ!?」
その土の波は無数の矢を飲み込み、帝国軍の前で固まった。そしてその波の天辺から、太陽に重なり、白狼が飛び上がったのである。
「上だぁぁぁぁぁっ!来るぞぉぉぉぉぉっ!迎え撃てぇぇぇぇぇぇっ!」
メアーズは、兵の動揺を一気に吹き飛ばすべく、威勢のよい声を張り上げた。目の前に現れた土の壁が、大きな影を作って帝国軍第二部隊を覆いこんでいた。
「ウアァァァァァァァァァァッ!」
ザイナムは白狼の背に跨りながら、一気に空中へと向かって飛び出した。そして帝国軍第二部隊の隊列へと向かって、勢いのままに突っ込んだのである。
「セイヤァァァァァァァッ!ハァァッッ!ウォリャァァァッ!」
ガルルルアァァァァァッ!グワァァァァァアッ!
白狼は、鋭い牙で次々と帝国兵をかみ殺していく。その背からザイナムは氷の大剣を振り抜いていく。死を恐れぬその気迫と勢いは、敵を圧倒した。
「ハァァァァァァッッ!」
そしてメイアを筆頭に、白狼団の団員達も次々と土の壁の天辺から降り立っていく。鎧を纏う戦馬は敵兵をいとも容易くなぎ倒し、突き倒していく。そして馬上から剣を振るい、敵を切り殺していったのである。
「引くなぁぁぁっ!敵を倒せっ!殺すのだぁぁぁっ!」
メアーズはたった五十騎に押されつつある味方兵士達へと、激を飛ばしていく。しかしあまりも鬼気迫るオルフェリアン軍の迫力に、帝国軍兵士は後ずさりした。
「情けない姿を見せるなぁぁっ!それでも帝国の兵士かっ!お前達は軍人だろうっ!命を懸ける戦場こそが死に場所と思えっ!剣を振り、敵を仕留めるのだっ!魔道隊も武器召喚で接近戦へと入れっ!」
八千の帝国兵へと襲い掛かった五十騎が、見事に敵の虚を付いていた。
ザイナムを始め、メイア、そして白狼団の団員達と、水蒸気から現れ出でた狼の群れ。それが敵を次々と仕留め、大地へと転がしていったのだ。
しかしメアーズ率いる帝国軍第二部隊もやられてばかりでは居なかった。隊列は崩れたものの、すぐに交戦状態へと入り、武器を振るって反撃に出たのだ。
一人、また一人と大地へと倒れていく。それは白狼団の団員である。最初は機先を静止、先手を打ったものの、圧倒的な数の差に次第に帝国兵の剣にかかっていく。
「ハアァァッ!氷華乱舞!」
ザイナムは、白狼の背から剣を横に薙ぎ払う。裂氷の剣が光り輝き、無数の雹が飛び散った。周囲の敵を貫き、死体の山を一瞬にして築き上げる。
「武神炎舞!その力、我が身に纏いて敵を焼殺せよ!」
戦馬の上から呪文を唱えながら、火燐の剣を振り抜くのはメイアである。赤髪を乱しながら、熱と炎を纏う刀身の長い紅き剣を華麗に扱う。体から放たれた熱気は、周囲の人間を触れずとも焼き殺す。
魔力を帯びた熱の皮膜が、メイアの全身を覆いこんでいるのだ。それが敵へと注がれると、口や鼻、耳等から体内へと入り込む。そして内部から燃やす。燃焼の速度は魔力の強さに影響する。
燃えるような熱い情熱は、ザイナムへの愛から生まれたものである。それが報われた今、その力は消える所か、熱く熱く燃え滾っているのだ。
「数が多いっ。ザイナムっ!このままでは仲間が全滅するわっ!」
メイアは、ザイナムへと向かって声を張り上げた。五十騎いた白狼団の男達も、その半数はすでに地面へと伏していた。
「もう少し!もう少しだっ!」
ザイナムは何かを待っていた。敵を絶え間なく斬り倒しながら、視線を左右へと走らせる。そしてついに来たのだ。
「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」」」
後方部隊約二万が、ついに帝国軍第二部隊へと攻め込んだ。土の壁を左右から回り込み、挟撃したのである。隊列の内部へと飛び込んだ白狼団を倒すのに必死で、その存在に気づかなかったのだ。
「し、しまったっ!左右陣形を整えろっ!来るぞおぉぉぉぉっ!」
メアーズは向かい来る敵の大軍を前に、すでに顔が青ざめていた。オルフェリアン軍と山間部の部族連合軍が、二手に分かれて右側面と左側面から襲い掛かってきたのだ。
如何に第二部隊八千の歩兵と言えども、圧倒的な迄に不利な状況である。たった五十騎にかき乱された陣形はすぐには戻らない。それが分かっているからこそ、死を覚悟して迎え撃つ他無かったのである。
「ちっ!馬鹿者がっ。目の前の小兵に気を取られすぎなのだっ!」
第三部隊前列から飛び出したのは、一角獣バイロキオスに跨る将軍ロックガードである。その後ろからは二十頭の魔獣が猛追する。
「しょ、将軍っ!何処へ行くおつもりでっ!?我等の任務は第一部隊の中で猛威を奮う、竜人の捕縛のはずではっ!」
進行方向は第三部隊が進む遥か前方であるはずなのだ。しかし、先頭を駆ける魔獣が向かう先は、明らかに第二部隊の歩兵が戦う南東方向の森であった。
「分かっておるわ!しかしその前にやらねばならぬ事があるっ!すぐに済ませる!お前達も付いて来いっ!」
ロックガードは、巨大な剣を背負っている。長方形の刃は、斬馬刀と呼ばれる部類の武器。その名の通りに馬をも切る事のできる大剣である。
しかしアルミラルド・ヴァン・ロックガードは、この剣に覇山剣と言う名をつけていた。それはこの剣で、山を斬り裂いたと言う信じられない逸話があるからなのだ。
将軍という役職にしておくには、あまりにも勿体無い実力。竜を殺し、山を切り裂き、数千の大軍相手に一人で奮戦した。そんな話ばかりが残る男の生涯に花を添えたのは、たった一人の孫娘である。
その孫娘の顔が脳裏へと過り、魔獣バイロキオスの方向を変えさせたのだ。そしてそんな男が、娘婿であるメアーズ・ヴァン・ロックガードを救うべく、魔力を高めて静かに剣を抜いた。




