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第百六十一話 失われし国の民

 大気を震わす重低音が、ラミナント城の北西の森から放たれた。

 クレムナント王国の南に広がる愚者の森と繋がっており、本来なら他国から山越えをしてきた旅人達が通る場所。目が行き届いた安全な地帯であるはず。今は王国へと侵入してきた帝国側によって、抑えられている。だがしかしそこから姿を現した者達は、明らかに帝国の兵ではなかった。


「何だあれはっ!?敵の援軍かっ!?歩兵隊を側面に集めろ!魔道隊は合図があるまで待機!騎馬隊は王国軍へと向かって突撃をかけろ!メアーズ!歩兵部隊を率いて、敵援軍を迎え撃て!」


 前進していた帝国軍第二部隊の歩兵は、大隊長からの指示ですぐに脚を止めた。第二部隊を仕切るのは、ロックガード将軍の娘婿であるメアーズ・ヴァン・ロックガード大隊長である。


「はっ……!槍隊は前へ出ろ!魔道隊は魔力を高めて合図を待てっ!」


 メアーズは魔獣の背から指示を繰り出すと、歩兵部隊八千を西の森へと向けて停止させた。その間も尚も響き渡る角笛の音が、不気味に鼓膜を振動させていた。

 赤の鉄の鉄鎧を着ており、腰からは魔鉱剣を下げていた。切りそろえられた短めのブラウンの髪、軍人である一般的な髪型を表している。

 そんな男が歩兵隊の後方から声を上げて、隊を指揮した。そして森を凝視し、敵の姿を探ったのだ。そしてその瞳に、やがて驚くべきものが映ったのである。


「なっ!?や、奴等はまさかっ!?」


 木々の隙間から静かに姿を現したのは、数千頭の馬に跨る兵士達である。その誰しもが凛々しい顔つきであり、すらっと伸びた身体には革の鎧を纏い、剣と弓を装備していた。明らかに帝国の兵ではないのだ。掲げられた旗には、世界樹の紋章が描かれていたからである。


 そしてその馬の隊列に混じるように、黒き猛牛の姿があった。その背に跨る者達は、毛皮を巻きつけた革の鎧を身に纏っていたのだ。

 手には斧を握り締めており、肌は濃い褐色である。顔には戦化粧せんかしょうと言われるものをあしらっており、黄色の塗料で目の辺りを囲む線を引いている。

 異様な井出達が、すぐに何者かを相手に悟らせたのだ。それは山間部に潜む部族達である。ナセテム率いる王国軍へと加わっていた四千程の兵は、それらのほんの一部でしかなかったのだ。


 森から姿を現した集団は、八百メートル程の距離横一列に並んだのである。そしてゆっくりと前へと脚を進めると、後方から二列目、三列目と続々と後方の部隊が出てきた。その数はざっと見ただけでも二万近くはいるであろう。

 失われた精霊国と山間部の部族達の混合部隊である。


ヴォォォォォオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……!


 咆哮と共に森の木々の中から現れ出でたのは、緑の巨人グリーンジャイアント。縦横十メートル以上もの巨躯は、世界樹と呼ばれる数万年とこの地で生きる木の一部である。巨大な木が人の形を模して、大地を揺らしながら一歩一歩踏みしめるかのように、前へと進んできたのだ。


 巨人の肩には、森の民と呼ばれるシェルフ族達が弓を構えて佇んでいた。その数は優に百名近く。さらに上へと視線を向けると、巨人の頭に一人の少女が立っていた。

 その少女は身体に白い布を巻きつけており、透き通るような薄白い肌をしていた。金色の長い髪を靡かせ、両手を左右へと広げた。そして言ったのである。


「精霊王の名の許に集まりしシェルフ族の民よ。私を信じてついてきてください!必ず、この戦いの先に……祖国再生への道があるのです!失われし精霊国を取り戻すために!」


ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……!


 少女の最後の呼びかけに、兵士達は声を上げた。喊声を放って互いを自他を鼓舞したのだ。普段から感情を表に出さないのが森の民である。しかし今は違った。精霊王である少女が、彼らの心に、生きる意味、戦い理由という炎を放ったのだ。

 灯された火強く燃え上がり、彼らの冷め切った心を勢いづけた。


精霊達よアビリル・メーダ悪しき者を・ダイザルナ・バル・ウィダ打ち破る・パーグイ・メル神秘なる力を・アクラ・メッダス霊天樹アビィディルレキメノメーダ今こそアジル・メザ貴方の加護をクライメル・トフ・ナウト緑神ゴーベルオルフェリアンメーダ森の子であるローコ・ナナス・パイタ我等・ゴムラシェルフダズどうか勝利へとアーガビル・ナオ・メグお導き下さいカーダ・クーダ・ウーダっ!」


 少女は力強い言葉と共に、呪文を唱えた。すると背後の森がわざつきはじめたのである。葉と葉が擦れ合って、音を出し、やがてそれが森全体に伝わっていったのだ。そして一陣の風が木と木の間を走りぬけ、兵士達の後方から吹き抜けていった。


「おおおお!こ、これは!?森の力かっ!」


「力が湧き出てくるぞっ!」


「暖かい!この力は何だ!?」


 次々と兵士達の身体が緑色の淡い光に包まれていった。母なる森が、彼らシェルフに神秘なる抱擁を与えたのだ。


「全身から魔力が漲って来る。これが新たなる精霊王の力……」


 緑の巨人の肩に乗る男が、呟くように言った。

 顎にはエプロン状の髭が掛かっており、ブラウン色の長い髪を後ろで束ねている。背には魔鉱弓を携えており、腰には二本の小剣を下げていた。


 名も無き森で生きていた、アルモダス・バイバラ・フェルゴーレである。その横には六人の息子達の姿もあった。どの者も成人しており、戦いに父と共に加わったのだ。


「これは何なのですか?」


 長男のウダスが問いかけた。人間の年齢では六十歳を超えるが、長寿なシェルフではまだ青年と言った所である。


「森の意思に直接語りかけ、加護の力を受けたのだ。今の我等の魔力は、通常時の数十倍にまで跳ね上がっているはずだ。それがどういう意味かは分かるな?」


 アルモダスは息子の顔を見ながら言った。ややしわが目立つのは、百五十を超える年齢であるからなのだ。経験と歳を重ねた一流の狩人である。


「数十倍!?と言う事は、使える魔法も本来の倍以上ではありませぬか!何と凄い力!」


 次男のナダスが興奮気味に言った。しかしそれをアルモダスがすぐに制する。


「過信はするな!魔力が高まっていようが、それを扱う術者が未熟では意味が無いのだ!何時も通りに戦うのだぞ!味方同士で連携を取り合い、敵を仕留める!それが我等フェルゴーレ家の戦法と心せよ!」


「「「はっ!」」」 


 六男は声を揃えて、父の言葉に答えた。そして手に持つ魔鉱弓へと静かに魔力を込めたのである。

 緑の巨人の足元には、すでに数千頭もの軍馬と猛牛が待機していた。ずらっと並んび、帝国軍第二部隊へと標準を定めていた。


 そしてシェルフ族の最前列で剣を抜き去り構えるのは、白毛の狼に跨る男。背に跨るのは十字の大剣を手にし、白銀の鎧を纏う。その名をザイナム・ガイラ・オルディと言う。


「白狼団の者達よ、聞けぇいっ!我等五十騎は、精霊王リューネ様から全部隊の先陣となるべく、この位置を与えられた!ここまで多くの仲間達が死してきたのは言うまでもない!そのどれもが意味のある戦いであったとも言えはしない!だがしかし!この戦いは違う!今こそが、我等の真なる戦!手がもげ、脚が切り落とされようとも、地べたを這い蹲ってでも私についてこいっ!命等捨てよ!生等見るな!その先に我等の修羅の道がある!シェルフ族に白狼団ありと、帝国軍に思い知らせてやるのだ!」


「「「ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!」」」


 前列中心で待機する五十騎の馬上から、男達の勇ましい声が放たれた。白髪の男に全てを懸けてでも、付いてきたのは何よりもその心に信を置く人物だからである。


 精霊国が水中都市国家の侵略を受けた時、ザイナムは国が誇る騎士団の団長を務めていた。しかしガルバゼン・ハイドラの策略により、自国が攻められた時に遠征へと出てしまっていたのだ。

 まんまと騙された五百名の騎士を率いるザイナム達は、そのまま国が滅亡したと同時に放浪の旅に出た。精霊国が水中都市国家の支配下になった事で、国へと戻る事ができなくなってしまったのだ。

 他国で生きるには、あまりにも彼らは閉鎖的な社会で長くを生き過ぎた。受け入れてくれる国などありもせず、傭兵という身分に身をやつして生きたのだ。しかしそのせいで多くの仲間達は戦いの中で次々と命を落としていった。


 今残る五十人は、その数々の戦いの中で仲間の屍を越えてきた者達なのである。だからこそ、何よりもの強い絆で結ばれている。その絆の中心にいるのが、白狼団の団長ザイナムと副団長メイアと言う女なのだ。


「ザイナム」


 白狼の横には、重鎧を纏う戦馬が佇んでいた。その背に跨るのは、長い赤髪の女である。

 切れ長の目は鋭く、つり上がった眉は気の強さを表しているようだ。唇はやや厚めであるが、顔つきは整っており美人である。男勝りな性格の持ち主で、常にザイナムを傍らで支えてきた。


「どうした、メイア」


 ザイナムはメイアの問いかけに答えた。

 普段の気の強さを知っているが故か、儚く消え入りそうな表情を浮かべるメイアに何かを感じたのだ。


「死ぬ前に言わせて。貴方に付いてきてよかったわ。ありがとう……」


 メイアがそう言うと、ザイナムは眉を上げて目を見開いた。

 突然の事に驚きを隠せなかったようである。普段なら決して口にしないような事を言ったのだろう。それがザイナムを僅かに動揺させたのだ。


「何を言うか。私がここまで仲間を率いてこれたのも、メイア。お前が支えてくれたからこそだ……。白狼団の者達よ!聞いてくれ!私は今ここで宣告する!副隊長メイア・ナナイルを愛していると!メイア、私の妻になってくれるか?」


「は、はぁぁぁ!?な、何言ってんだよ!ザイナムッ!」


 メイアは急に顔を赤らめた。ザイナムが戦いの前に口にしたのは、婚儀の言葉であったからなのだ。普段の言葉遣いなど当に忘れて、素が出てしまったようである。


「うぉぉぉぉぉぉ!団長ついに決心したかぁぁっ!」


「メイア姐さん、よかったなぁぁぁ!長い恋心が報われたじゃねーかっ!」


「あっはっはっ!ついに団長が言いやがった!嬉しいことだ!祝福するぜ!」


 白狼団の男達は、揃いも揃って陽気なものであった。ザイナムが婚儀の言葉を口にしたのを、それぞれが喜び合っていたからだ。


「なっ、なんなんだよっ!いきなりっ!ザイナム、お前ふざけてるのかっ!?」


 メイアはすでに、団の副団長という立場を忘れてしまっているようだった。鉄の鎧を身に纏う戦場の女神は、一人の女の顔になっていたからである。


「ふざけてなどいないさ。お前を団の副団長として死なせたくはない。私の女として、否、愛する妻として戦場で共に死んで欲しいのだ。嫌か……?」


 ザイナムの灰色の瞳は、真っ直ぐにメイアを見ていた。互いの視線が交わされると、一呼吸置いてメイアは答えたのだ。


「い、嫌なんかじゃない……う、嬉しいだけさ……突然の事で驚いたけどな……」


 メイアがそう答えると、団員の男達は一斉に歓声を上げた。二人を祝福する言葉を次々に投げかけると、戦いの前とは思えない顔つきで笑い合っていたのだ。


「団長、副団長!俺達が二人の婚儀の証人だ!この祝いは戦士達の楽園ザイムカンドで待っている仲間達と、盛大に酒盛りでかわそうじゃなぇーか!なぁ、おまえら!」


「おおう!そうだそうだ!派手に戦って、派手に死んでやろうじゃねーか!」


 団員達は声を上げて、二人の婚儀を祝ったのだ。

 場違い化に見えるこの行いもまた、戦いの場で生きてきた者達の一つの流儀なのであった。

 そしてついに、精霊王ミレーナ・アイ・リューネの乗る緑の巨人から、戦いの合図となる角笛の音が放たれた。その合図にザイナム率いる白狼団が、一気に駆け出した。続くのはシェルフの兵士達と、山間部の部族兵である。


「行くぞオオォッッー!白狼団!突撃ーーーーっ!」


 大地を飛ぶように駆ける白狼。その後をメイア、さらには団員達が全力で追う。動き出した二万の大軍は今、帝国軍第二部隊を怒涛の勢いで飲み込もうとしていた。

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