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第百五十九話 死する者と生きる者

「おらぁぁぁっ!オラオラオラァァァァァァッ!」


 容赦なく振り下ろされる刃が、デュオを追い詰める。


 忘却の剣アシィバレルは、ソードブレイカーと言われる形状をしている。剣の刃に凹凸が付いており、敵の刃を絡め取っ手から折る事が出来る。本来なら右手の剣とは別に、空いた左手にソードブレイカーを装備して盾の役割を担うのが一般的なのだ。


 しかしドゥケスはそれを見越してすぐに刃を振り下ろして下げる。絡め取られないよう、細心の注意を払いながら攻撃を次々と加えていく。


「ぐっ!くぉっ!」


 防戦に回らざる負えない状況。それは明らかに二人の間に存在する大きな力の差を意味していた。

 何とか足を動かし、熱風を纏う双斧をかわす。

 忘却の剣で斧を受け止めようものなら、途端に弾かれ隙を作り出してしまう。敵味方の兵士が入り乱れる中で、徐々に逃げ場を失っていく。一度身を引き、デュオは相手と距離を取った。


「ちっ!やはりその剣には何か秘密がありそうじゃなぁ!頭の中が霞がかっていくような、得体の知れない妙な感覚。それが何かもわからぬが、てめぇを殺せばすっきりするじゃろうっ!燃え滾る炎を纏いて敵を滅する!炎虎王撃斬えんこおうげきざんっ!」


 ドゥケスはデュオへと目掛けて、双斧を振り下ろした。熱を帯びた刃から炎が噴出し、虎の顔を形作る。その虎が斬撃と共に相手へと飛び掛ったのだ。


グァァァァァァァァァアァァァァァァァッ!


 駆け出す炎虎。一直線にデュオへと向かう二頭の虎は、緑の絨毯を焼き焦がしていく。


忘却の彼方にミディバル・ミィ・イェルマ全てを置き去れイガナス・ルドゥ・メオバ廃忘はいもうせよ!」


 横に一閃した忘却の剣が、炎虎を切り裂いた。同時に炎は剣の刃に吸い込まれるように消えていく。熱風だけがデュオの体を摩り、数メートル後方に居るナセテムまで流れていった。


「デュオッ!上だぁぁっ!」


 ナセテムが背後から叫ぶ。

 その声に、デュオはふと空を見上げた。瞳に映りこんだのは、二メートルを超える巨体である。斧を構えて、ドゥケスが飛び掛って来たのだ。


「おせぇぇぇぇぇぇぇぇえいっ!ドゥアアアアアアアッ!」


 一瞬の煌き。振り下ろされた双斧を回避すべく、デュオは後方へと飛んだ。忘却の剣で受けきるには、あまりにも強力な一撃。それを瞬時に判断したのだ。


「デュオッ!大丈夫かっ!?」


 ナセテムは目の前へとやってきた弟の背中へ問いかけた。するとゆっくりと振り向きながら言ったのである。


「ごめんなさい……対した時間稼ぎも……出来ませんでした……しかし、奴はもう力を使えはっ……ぐふっ!」


 デュオは口から血を吐き出しながら、大地へと膝を落とした。金色の鎧は胸の所が見事に切断されており、そこから血が流れ出ていたのである。


「お前まさかっ!?」


 ナセテムはすぐに理解した。敵の攻撃を回避したのではない。あえてその攻撃を全身で受けきる事で、敵の力そのものを封じたのである。


「ぐぅぉぉぉっ!何だこれはっ!?最後の悪あがきかっ」


 ドゥケスのわき腹には、忘却の剣が刺さっていた。急所は避けたのだろう。血は流れ出ているが、対した傷ではない。それを引き抜くと、剣を投げ捨てた。


「デュオッ!馬鹿がっ!何故そこまでする必要があるっ!だからお前は愚か者なのだっ!私にとってはお前は……たった一人の弟なのだぞっ!」


 デュオの瞳からは生気が失われつつあった。大量に流れ出る血は、すでに処置不可能なほどの痛手となっているのだ。


「僕は……兄さんに……認めてもらいたかったんです……あとは……頼みます……うっ!ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 デュオは最後の言葉を残して、傷口から燃え上がる炎に飲み込まれた。生きながらにして炎に焼かれたのだ。絶叫が響き渡り、ナセテムの前で跡形もなく塵と化した。


「がっはっはっはっはっ!帝国軍戦士団団長ドゥケス・ガルドット・ディ・ジャッカスが、クレムナント王国王子デュオ・ハイドラ・ラミナントを討ち取ったぞ!者共!勝どきを上げよっ!敵将の討ち死にを知らしめてやるのだっ!」


 ドゥケスは灰となって風に流されていく王子を前に、高らかと声を張り上げた。それが周囲の帝国兵へと伝わり、士気は一気に上昇した。


オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……!


 乱戦の最中に広がった喊声かんせいは、帝国軍第一部隊をさらに勢いづけた。と同時に、クレムナント王国軍の士気を瞬く間に低下させた。ケイオスや零等、多くの者が敵の張り上げる喊声によって、第四王子デュオ・ハイドラ・ラミナントの死を知ったのだ。


「「「クレムナント王国第四王子デュオ・ハイドラ・ラミナントは死んだ!勝利は我等の手に!帝国の手に!」」」


 至る場所から、次々と上がる帝国兵の高揚に包まれる声。味方を鼓舞し合い、王国軍を圧倒する。


「デュオ王子が殺られただと!?くっ!私が付いておくべきだったかっ!」


 金髪の男。フラガナン・エンリュ・ケイオスは、三千のバゥレンシア兵を率いて敵軍深くまで突き進んでいた。先頭集団をナセテムと共に牽引した後、ドゥケスを任せて更に前へと突撃をかけたのだ。それはこれから投入されるであろう敵の第二部隊の勢いを削ぐためには、必要な策だったのである。

 だからこそケイオスは王国騎士数人に王子の守りを頼み、その場を離れた。しかしそれが裏目となってしまった。


 敵軍の猛将は二本の斧を携えて、ナセテムへとゆっくりと近づいていく。すでに己の力の源を忘却の彼方へと置き去ってしまったためか、全身を漲らせる魔力が消えていた。


 だが足を完治させれずにいたナセテムは、剣を構えて立ち上がるのがやっとであった。だが気負いはないようである。赤茶色アガトの瞳から、何かが零れ落ちたように見えた。しかし俯いた顔故に、それが何だったかは解らない。


「はっはっはっ!次はナセテム王子!お前の番だっ!我が双斧そうふの前に塵と成るがいい!」


 獄炎石と爆炎石を加工されて作られたドゥケスの斧は、魔力を触媒にしてより強い炎を燃え上がらせる。しかしその力の源が何たるかを忘れてしまったためか、刃から放たれる熱風は収まっていた。


 炎の属性とは、心に抱える強い怒りや闘争心から生まれる力である。それが個人の特性をより顕在化し、強い力を生み出すのだ。水ならば澄み切った流れるような心。土なら何にも揺るがぬ強い意志と断固たる決意。そのような個人の強い性格特性から生まれるのが、魔法特性と呼ばれるものである。


 ドゥケスの斧は燃え滾る怒りを忘れた使用者の魔力が流れ込まないために、力を失いつつあったのだ。


 ナセテムは目の前の大地に積み重なる灰の山へと手を伸ばした。そしてそれを額へともってくると、祈るような所作を見せた。そして静かに言ったのである。


「お前を認めていなかった訳ではないのだ……王国の王子は王位を巡る者同士。敵となった時に情をかけずに殺せるようにと……そう思っての事だった……。我が弟よ……愚かな兄を許せ。お前の敵は必ず取る」


 決してその感情を口にしない男が言葉にしたのは、王国の王子としての苦しい立場故の想いだったのだ。祖父であるガルバゼン・ハイドラから、玉座へとつく事の出来なかった歴代の王子達の悲しき末路を聞いていたのだ。

 そのために心を隠し、鬼となった。それがナセテム・ハイドラ・ラミナントの真実である。実の弟でさえも殺さねばならぬ時が来る。それを知っていたからこそ、デュオを冷たくあしらって遠ざけたのだ。

 しかしそれでもデュオは兄を慕っていた。そんな態度が痛いほどに、ナセテムを苦しめているとも知らずに。悲しき運命の連鎖が、多くの者を悲運なる道へと導いていたのだ。


「戦場では死者を弔う暇などありはせんっ!そんな事をせずとも、お前もすぐに同じ場所へ逝ける!心配するなぁっ!」


 ドゥケスは声を荒げた。斧を構えるると走り出した。そしてそのままナセテムへと、襲いかかったのである。


「黙れぇぇぇぇぇぇっ!うぅあああぁぁぁガァァァァァァァァァァァッ!」


 放たれた咆哮。人のものとは思えない凄まじい轟きが、ドゥケスを圧倒した。そして体さえもその後方へと吹き飛ばしたのだ。突風のような圧。そこに含まれるのは明らかに魔力の類である。


「殺してヤルゾアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 天空へと舞い上がる雄叫びの中に、悲しみと怒りが交じり合っていた。闇を抱く心の奥底に生まれたのは、たった一人の弟への愛である。失いし命を前に、ナセテムはついについに、真の力に目覚めたのだ。


 初めて弟への純粋なる想いを口にした事が、究極の力を目覚めさせたのだ。愛する者を失って初めて開花する才。それは食物連鎖の頂点に立つ覇者のみが、唯一手に出来るドラゴンの圧倒的なまでの力である。


 反逆者の力と対になりしは、覇者の力。世界を変えるだけの巨大な魔力を秘めた二つの力は、常に戦場で花開いてきた。これこそがガルバゼン・ハイドラの狙いの一つでもあったのだ。


「グアァァァァァァァァァァァァァアァッァァァァァァアッァアッッ!」


 苦しそうな声を吐き出しながら、ナセテムは次第に竜人ドラゴニックへと姿を変えていった。

 日に焼けた肌はみるみる内に硬化していき、漆黒の艶やかな鱗へと変化する。歯は鋭く尖り、目の中の瞳は縦に裂けるように開いた。頭から二本の長い巻き角が伸び、雄雄しくそそり立ったのだ。

 背からは翼膜が生えて、黒き翼となった。尾てい骨から伸びたのは、鋭い棘を備えた尻尾である。敵を威嚇する時の毒蛇のように、まるで意志を持つ個体生物の動きを見せていた。


「なっ。何だお前はっ!?人間ではないのかっ!?」


 ドゥケスは驚いていた。幾多の戦場を生き抜いてきた男でさえも、決して理解できぬ現象と言うものがあるのだ。目の前で起こったのは正にそれである。


「ば、化け物だっ!」


「ひぃぃっ!何だあれはっ!」


周囲の帝国兵や味方である王国兵さえも、その男の異様なる姿にはたじろいでいた。


「ウグゥゥゥゥゥゥゥ!ミナゴロシニシテヤル……ナニモカモダァァァァッ!」


 黒き鱗の竜人と化したナセテムは、右手に携える己の剣と左手に携える弟の遺灰を飲み込んだ。そして口から黒炎を吐き出しながら、ドゥケスへと襲いかかったのである。

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