第百五十八話 激突!激烈!苛烈な戦い!
クレムアンント王国軍を先頭で牽引するのは、燃えるような緋色の髪の王子である。頭上から当たる陽光が、金色の鎧を眩いばかりに輝かせる。
「ウォォォォォォォォォォォォォッ!ハァッ!イエァッ!ヤァッ!」
ナセテムは声を張り上げながら、魔獣ガルディオンを疾走させた。鞘から引き抜いた魔鉱剣を握る手に力が入る。
それを僅かな差で追いかけるのは、長い金髪を風に靡かせる男。白金の鎧を纏いて、黒馬へと跨っている。腰には二本の剣を下げており、背には魔鉱弓と呼ばれる弓を装備していた。
普段は翡翠ようなの透き通るような色合いである。しかし魔力を扱う者が手にとれば、それは強い七色の輝きを放つのだ。使用者の魔力を吸収し、引き絞られた弦から射る矢に強力な力を与える。
金髪の男は魔鉱弓を左手で手に取る。その下に隠れていた矢筒から鉄の矢を、右手で一本抜き取った。息をゆっくりと吐き出しながら、揺れ動く馬上から狙いを定める。
その先に居るのは、猛然と駆けてくる巨大な猪型の魔獣バイロキオスである。次の瞬間、引き絞られた弦が空気を叩く。魔力の篭められた鉄の矢が敵目掛けて飛翔した。
煌く何かを瞳で捉えたのは、帝国軍第一部隊を率いる戦士団長であった。前方で動く物体に微かに反応出来たのは、魔力によって身体の各機能を強化しているからこそ成せる技であった。
「んっ!?」
猛将が声を上げた瞬間。魔獣バイロキオスは耳を劈くような奇声を発した。
ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!
全速力で駆ける勢いのままに、地面へと倒れ込む。巨体が大地を抉り取ると、鎖で繋がる左右の魔獣が引っ張られたのだ。
「何だっ!?」
「ぐぅわぁぁぁぁぁっ!」
互いに駆け出した先頭集団。大軍同士の戦いでは、最前列に騎馬隊を置くのは常に定石である。凄まじい勢いで突撃するだけで、敵軍へ大きな被害を生み出せるからなのだ。そしてそれを理解しているからこそ、帝国軍の第一部隊には突進力が最も高い魔獣が配置されたのである。
バイロキオス同士は鎖で繋がれていた。緩みもなく張り詰め、点と点を結ぶように最前列が一本の線と成っていたのだ。
しかしそれらの基点となる魔獣が倒れた事で、前列は均衡を崩したのだ。次々と地面へと倒れ込んでいく。
帝国軍の最前列は、たった一人の男の手によって崩壊しようとしていた。弓の名手と名高いフラガナン・エンリュ・ケイオスは、その類稀なる業により見事に魔獣の眼を射抜いていったのである。
そしてすぐさま次の矢を番えると、次の魔獣の眼へと向けて放っていく。
「前列は崩れたぞっ!敵を蹂躙せよっ!黒炎剣・朧!」
ナセテムは声を張り上げながら、呪文を唱えた。
すると右手で構えて魔鉱剣の刀身が、黒い瘴気に包まれたのだ。その瘴気が黒き炎と化すと、轟々と燃える焔の中に刃は消え去った。
決して他人に見せる事のなかった魔法特性。それは深い闇に心を浸す者が手にできる、激しい憎悪と怒りから生まれる力であった。
黒炎は実体の存在しない刃となり、敵を焼斬る。
ケイオスの放った矢により、帝国軍最前列は綻びを見せたかに思えた。しかし猛将ドゥケスは尻込み等しなかったのである。すぐに魔獣の背から飛び降りると、全神経を高ぶらせ一気に魔力を解放した。そして王国軍目掛けて走り出したのだ。
他の魔獣の背に跨がっていた戦士団員達も、次々と鞍から降りていく。そして魔力を高めると、ドヶケスの後を追いかけた。そのすぐ後方からは一万を超える騎馬隊が駆けてくる。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!覇陣突風!猛虎双炎撃!」
二メートル近い巨体。ドゥケスは二本の斧を背中から抜き去ると、筋肉の塊とも言える体を回転させた。そしてつむじ風を纏いながら、王国軍の先頭集団目掛けて突撃したのだ。
「四ノ太刀!蝙蝠!」
眼前に迫る敵を前に、ナセテムは黒炎剣を振り抜いた。
実体のない刃は術者の意のままに姿形を変える。剣から放たれた黒き火の粉は、翼をはためかせる無数の蝙蝠となった。それがドゥケスの纏うつむじ風へを包み込んだのである。
ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!
両軍は激しく激突した。互いが互いの隊列深くまで潜りこみ、武器を振るう。帝国軍旋風隊は両の手に握る斧を振り回しながら、確実に馬の脚を止めていく。
しかし王国軍も負けてはいなかった。前列から勢いよく飛び掛った集団は、敵兵を次々になぎ倒しながら進んでいく。そして一万を超える軍同士が、ついには乱戦となったのである。
「ハァァァァァァァッ!ラァァッ!」
黒馬の背から二本の魔鉱剣を振り抜くのは、バゥレンシア最強と謳われる騎士である。目にも留まらぬ剣捌きで、次々と馬上の敵を斬り落としていく。すれ違い様の僅かな刹那に確実に相手へと、致命的な一撃を加えていくのだ。
そしてその後ろに続くのは、ケイオス配下の三千の騎士達である。銀の鎧に身を包み、右手には魔鉱剣を握っている。左手には光魔法にて創造した、眩い輝きを放つ盾が握られている。魔力で実体化した盾故に、どんな攻撃も魔法もを受け止めるのだ。
「白鯨槍っ!ぜぇぇいやぁぁぁっ!どぅりゃぁぁぁっ!うらっしゃぁぁ!零様っ!私から離れないでくだされっ!どぅわぁぁぁぁぁぁっ!」」
襲いくる敵を一本の白い槍で、次々と倒していくのは褐色の肌の大男である。顔に刻まれたいくつもの傷は、歴戦の猛者である事を嘘偽りなく物語っている。馬上から降りた男は、振りぬいた槍で、瞬く間に四人の敵を大地へと叩き付けた。
「「「「ぐはっ!」」」」
眼は鋭く、顔つきは渋い。一瞬の隙も敵には与えない。微塵も見せる事のない慈悲。敵の喉元へと槍の先端を突き立てていく。
ベグートの側には二人の若い男女が居た。一人はぼさぼさの黒髪に、褐色の肌。蒼く透き通る瞳は、延々と広がる大海原のように美しい。島国アンリカリスの皇子、ロッソ・零・リューは慣れない革の鎧を身に纏っている。
「俺の事は心配するなっ!それよりもユーファをしっかり守ってやってくれ!はぁぁっ!我命じる!奏でる音色は黄泉への誘い!数多の船乗りを惑わしきは、麗しいの海人!異でよ、イセレネス・召喚っ!」
零は右手を天へと向かって呪文を唱えた。すると手の平から光の玉が浮き上がり、頭上で破裂したのである。そして周囲に突然響いてきたのは、心地よいハーブの音色。耳障りの良い声で歌う女性の歌であった。
『波打ち際で歌う恋~♪どうして貴方は私を置いていくの~♪この悲しみを分り合えたなら~♪どれだけ気持ちが救われるのからしら~♪あぁこの想いを届けたい~♪刻み込まれた痛みと共にィィィィィィィッ!ギィィィィィィアァァァァァァァァァッ!殺してやるワアアアアアアアアアッ!』
巨大な水のハーブを奏でるのは、女の姿をした怪人である。上半身は人間であるが、下半身は魚であった。背中からは鳥の翼が生えており、顔つきは綻んでいた。だがそれも最初の内だけである。
美しい音色の中に紛れ込む歌声は、敵の意識をまどろみに誘う。そして互いが互いに攻撃し合い、死体の山が築かれる。
イセレネスは、海に散った儚い命に女性の怨念が篭った醜悪な化け物である。愛する男に背を向けられ、悲痛な想いを抱いて海へと身を投げた。そんな女性の恋心から生まれた憎悪は、怒りとなって船乗りを嵐の中へと誘い込む。
多くの命を奪ってきた怪人を、零は己の支配下に置いているのだ。海の一族と呼ばれるリュー家は、召喚術に長けた珍しい才を稀に発揮する者がいる。それがこの青年なのである。
イセレネスと零にはきっても切れない深い因縁があった。それは零が幼き頃に設計した猟船が、安全海域内で謎の沈没事故を起こした事に起因する。
この件は島国アンリカリウスで今だに、零の設計した図案に失敗があったと認識されている。だが実の所は、このイセレネスが猟船の船員達を惑わして、互いに船上で殺し合わせたからなのだ。そして荒れ狂う波へと誘いこみ、木っ端微塵にした。
そんな事実を知っているのは、零含めて僅かな人数のみである。己の失敗の原因を探り続けた青年は、ついに事故の元凶となった怪人を見つけ出したのである。そしてイセレネスへと単身戦いを挑み、見事に勝利したのである。そして召喚獣としての契約を交わし、今は零にとっての大きな戦力となった。
麗しの歌が響き渡ると、帝国兵は次々と味方同士で殺し合いを始めた。そんな隙だらけの敵を、ベグートの振り抜く槍が簡単に捉えていく。だが次から次へと押し寄せてくる帝国兵は、屈強な兵士ばかりである。中には魔法に精通している者もおり、歌の効力が効かない者さえもいる。
零はそんな敵に対抗するために、腰に巻きつけていた白い布を取り去り、手へと握る。そして魔力を込めて、叫んだのだ。
「白鯨槍・海神の三叉!」
白い布に魔力が込められると、瞬く間に形を変えた。一本の槍へと変化したのである。先端が三つに別れており、鋭く尖っている。水の塊によってできたかのような、その槍は透明で透き通っていた。
「ウラァァッッ!ハアァァァァァァァァァツ!」
零は襲いかかってくる敵へと目掛けて、槍を突き立てる。頭上で華麗に回転させたかと思うと、次の瞬間には振り抜き様に突き刺すのだ。その頭上では海人イセレネスが、敵を同士討ちさせるまどろみの歌を口ずさんでいる。
血が飛び散り、もがき苦しみながら倒れていく者達。すでに王国軍側にも帝国軍側にも、多くの死傷者が出ている。大地に立つ人々は、最後の最後まで敵を只管に殺し続けるしかないのだ。それが生き残るための唯一の道だからである。
先頭集団として互いの力をぶつけ合った二人の男は、戦いの真っ只中で向かい合っていた。
「ほほぅ。ワシの覇陣突風猛虎双炎撃によって生み出した力を抑え込むとは……クレムナント王国の王子とは中々にやるようだの」
帝国軍第一部隊を率いる戦士団長ドゥケスは、獣のような荒々しい目つきで対面する王子を睨みつけていた。
「どうだっていい。さっさと来い。貴様を殺せば少しは帝国の勢いを緩められるはず。ならこの場で私自らの手で殺してやる。光栄に思うがよい」
ナセテムは魔獣ガルディオンの背に跨っている。赤茶色の瞳には、二本の斧を手にする猛将の姿があった。
「がっはっはっ!餓鬼がよぉ言うわいっ!気に入った!お前の首……その胴体から斬り落として家にでも飾るかなぁっ――――――ん?」
「ウォォォォォォォォォォッ!」
ナセテムの背後から、突如として二頭の魔獣が駆け出した。その背には、魔鉱剣を構える王国騎士が乗っていたのだ。そしてドゥケスへと迫ると、剣を一気に振り抜いた。
「しゃらくせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぃいっ!」
一瞬の出来事である。振り上げた二本の斧が魔獣の胴体を切断し、そのまま騎士の体ごと引裂いたのだ。そしてあっという間に炎が全身を覆いこんだかと思うと、灰に変えてしまった。
「成程な。炎の特性か。これは面白い。私の黒炎と貴様の灼熱の炎。どちらがより強い力を秘めているのか……試そうではないかっ!」
ナセテムはそう言いながら、魔獣の胴を力強く蹴り込んだ。
ガルディオンは大地を踏みしめると、一気に加速する。そして全速力でドゥケスへと向かって駆け出したのだ。
「ハァァァァァッ!六ノ太刀!蛇王ッ!」
前へと突き出された黒炎剣の刃は、鋭い牙を剥き出しにする蛇の形を模した。それが前方で立ちはだかるドゥケスへと向かって伸びたのである。
目にも留まらぬ速さであったはずなのだ。しかし肉体を魔力によって強化しているためか、紙一重で回避した。体を横へと倒して緑の上を転がった。そしてすぐさま身体の軸を整えると、独楽の如く回転したのである。
「猛虎回転撃ぃぃぃぃぃぃぃっ!」
ドゥケスが叫ぶと同時に、そこへ魔獣ガルディオンが突撃する。
八百キロ近い躯体である。人間と魔獣とではそもそもの体の大きさが違うのだ。
いくら二メートルを超えるドゥケスであろうとも、その勢いには劣る。そう思ったのは、ナセテムの誤算であった。衝突の余波で吹き飛ばされたのは、魔獣の方であった。
「ぐはっ!」
ヒィィィィィィィィィィィィン……!
大地へと打ち付けられた身体。ナセテムは苦しそうな声を上げる。
魔獣は身体の前面がずたずたに引裂かれ、虫の息である。血が流れ出ており、見るに耐えない状態であった。
「もらったあぁぁぁぁぁぁぁ!炎撃斬っ!」
五メートル程後方へと弾き飛ばされたナセテムへと目掛けて、巨体が飛び上がった。凄まじい跳躍力である。脚へと込めた魔力が大地を蹴り飛ばす。
「やらせるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「なにっ!」
突然駆け込んで来た魔獣が、ドゥケスの前へと現れたのだ。空中で刃と刃が交差する。金属音が響き渡った後に、互いが着地した。
「兄上っ!立ち上がってくださいっ!一緒に戦いましょう!」
それは何時も愚鈍の弟と罵られてきた第四王子のデュオ・ハイドラ・ラミナントであった。引き締まった顔つきは、鋭い眼を後押ししている。金色の鎧に包まれる体はふっくらしているが、実の所は筋肉の塊であるのだ。
手に握るのは形状変化した魔鉱剣。その名を忘却の剣アィシバレル。刀身で受けた斬撃を遥か彼方へと置き去り、その攻撃を当の本人に忘れさせてしまう。言わば物忘れの剣である。
戦う事を好まぬ男が見出した特性は、相手を殺さずに勝利を収める事ができる能力であった。デュオの剣と刃を交えた相手は、次第に己の力の根本が何たるかを見失っていく。そして最終的には全ての力を失ってしまうのだ。
「なんだっ!?今のは!?何が起きたんだっ!?」
ドゥケスは驚いていた。己の左右の手に握る双斧に、視線をいったりきたりとさせている。すでにこの男は自分の業の一つでもある、双炎撃を失ってしまったのだ。
「ぐっ…、まさかこの私がお前に守られるとは……」
ナセテムは魔獣ガルディオンの下敷きになってしまった片足を、何とか引き抜くと立ち上がろうとした。しかし通常では考えられない方向に折れ曲がっており、まともに動ける状態ではないのは明白であったのである。
「僕が時間稼ぎをします!その間に足を治癒魔法で治しくださいっ!」
デュオはすでに、ナセテムのために命をかける覚悟をしていた。
「ちっ……。任せたぞっ……。光よ。我が肉体の傷を癒せ!」
ナセテムは悔しそうな表情を浮かべると、左手の平を足へと向けた。すると発せられた光が脚全体を包み込み、少しづつだが傷を治していったのである。
「ふんっ!雑魚が一匹増えた所で何になるかっ!二人共々、戦士達の楽園へと送ってやるワイ!うぉぉぉぉあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!連撃連炎斬!」
ドゥケスは猛牛の如くデュオへと駆け出すと、二本の斧を容赦なく振り下ろした。デュオは魔獣の背から飛び降りると、その攻撃を受け止めるべく剣を振り抜いたのである。




