第百五十五話 王子の戦い
堅く閉ざされた南門の裏に、魔獣ガルディオンがいた。
馬のような躯体。全身を白い鱗で覆われている。幾重にも押し重なるように生える牙は鋭く尖っており、獰猛な肉食獣のようなぎらついた眼は他の動物を寄せ付けない迫力がある。
その背に跨るのは一人の少年。スカイブルーの長い髪を後ろで束ねており、ブラウンの目は気迫が篭っている。王家の鎧と言われる物を身に纏っており、金色の輝きを全身から放っている。胸の部分に刻まれるのは無数の翼を持つ、霊獣サザンティウス。
「シュバイク王子っ!これをっ!」
そこへ一人の兵士がやって来た。塔の屋上で巡視に当たっていた者である。手には一枚の紙を握り締めていた。
王子は無言で受け取ると、両手で開いて読み始めた。横で静かにそれを見守っているのは、ライトイエローの髪の青年である。
力強い輝きを放つ銀褐色の瞳。それを後押しするのはつり上がった眉である。口元は引き締まっており、これから起こりうる戦いを前に覚悟を決めている顔であった。
「シュバイク。何と書いてあったんだ?」
青年は王子へと問いかけた。
「城を大人しく明け渡せば、寛大な処置で迎え入れる……だそうです」
そう言いながらシュバイクは、持っていた手紙を己の守護騎士へと渡した。
それを受け取った青年は、紙に書かれた文に一通り目を通していったのである。
「敵を丸め込むための常套句ばかりか。レンデス様の事だ。帝国を味方に付けて、気が大きくなっているのかもな。恐らくすでに我等に勝った気でいるのかも知れない」
ウィリシスは紙を破り捨てると、顔色一つ変えずに言った。
戦力の差はこの二週間で埋まる事はなかったのだ。結局援軍として現れたのは、バゥレンシア北和国からやってきた三千五百程の兵のみである。
精霊国の最後の王ミレーナ・アイ・リューネは結局、ハドゥン族の集落で最後に別れてから姿を見せてはいなかったのだ。
「かも知れませんね。ならばその思い上がりを、叩き潰してやりましょう」
シュバイクは不適な笑みを浮かべると、ウィリシスの方を見た。
するとそれに応えるかのように、にやりと笑いながら頷いたのである。そして次の瞬間である。シュバイクは声を張り上げた。
「守備兵長っ!門を開け放てっ!」
王子の呼びかけに、門を守備する兵士達がすぐさま動き出した。
開閉の際には両脇に立てられた塔の内部で、巨大な歯車を回す必要がある。両開きの門の前には鉄柵が下りており、まずはこれを上げる必要があるからだ。塔内には数頭の牛が繋がれている。その牛を歩かせる事で歯車へと動力を与えるのだ。
金属の擦れあう音が響きわたる。そしてゆっくりと鉄柵は上がり始めた。
鉄柵が全て上がり終えると、最後には人力で門を押し出すのである。これには十人程の兵の手が必要になる。男達が力一杯門を押し出すと、やっと南門は開け放たれた。
「行くぞっー!僕に続けぇぇぇぇっ!」
シュバイクは声を張り上げた。すると城下の中心地へと伸びる大通りから、巨大な猛り声が上がった。
オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……!
魔獣のわき腹を蹴り込むと、シュバイクは勢いよく駆け出した。
風を切って、颯爽と平原へ抜け出る。
次に守護騎士のウィリシスが門を飛び出す。
その後ろからは守備隊長バウザナックス。副隊長ニールズ。
さらに王国騎士と王国兵を合わせた四千の兵と、貴族達が派遣した二千の兵が続く。
総勢六千人。大通りに犇く兵士達は、全員が魔獣や馬へと騎乗していた。蹄が路面を叩く音は共鳴し合って、怒涛のうねりとなる。
通りに隙間なく並ぶ馬が前列から、外へと向かって駆け出して行く。市門から全ての騎馬兵が吐き出されると、巨大な門は再び閉ざされた。
「ハァツ!イエェアッ!ハァッ!」
シュバイクは手綱を握る手に力を込める。
平原を大地を飛ぶように進む魔獣ガルディオン。その後方からは六千の騎馬隊が続く。土埃を巻き上げながら疾駆する。
前方を包む朝靄は消え去り、やがて現れたのは二万を超える大軍である。
五百メートル程駆け抜けると、やがて先頭の魔獣は徐々に速度を落とした。そしてシュバイクは腰元に掛かる魔鉱剣を抜き去ると、頭上へと向かって掲げた。そして声を張り上げる。
「止まれっーーーいっ!」
先頭集団が停止したことで、後続の集団も次々に馬の脚を止めた。そして陣形を組んで敵と向かい合ったのである。
クレムナント王国側の騎馬兵六千は。王国騎士と守備兵、さらに貴族達の派遣した戦闘兵からなる混合部隊。前列を占めるのはもっとも戦闘技術に長けた騎士達である。
次々と魔鉱剣を鞘から引き抜くと、鋭い眼光で前方に佇む敵を睨み付けていた。
「ウィリシスッ、付いてきてくれ!」
シュバイクは味方全体をその場で待機させると、守護騎士一人を引き連れて前へ駆け出したのである。そして互いの部隊の真ん中で魔獣を止めた。
「私はクレムナント王国、第五王子のシュバイク・ハイデン・ラミナントだっ!戦闘の前に敵大将と話しをしたいっ!」
シュバイクは二万の兵へと向かって声をかけた。すると正しく整った隊列が割れ、後方から巨大な獣に跨る男が駆け出してきたのである。
体長五メートルはあろうかと言う、黒々とした毛並みの物体。それはよくよく見れば熊のようである。背中には鞍が取り付けられており、口には装身具が取り付けられている。
鋭い牙を剥き出しにして、荒い鼻息で近づいてきた。それはダンヴァオンと呼ばれる魔獣である。
黒毛の熊は、シュバイクの数メートル手前で止まった。
只ならぬ気配に、ガルディオンはうなり声を上げる。
熊の上に跨る男は黒鉄の鎧を身に纏っていた。艶やかな漆黒が、陽光に照らされて輝いていた。肩からは毛皮のマントを羽織っており、背には巨大な斧を装備している。
「第一部隊を指揮するベリン・エデン・ディキッシュだ!話なら俺が聞こう!」
クレムナント王国の数百ある貴家の中で、最強の辺境伯との呼び声高い男である。その男が野太い声でシュバイクへと向かって言った。
「ベリン辺境伯!敵大将と話をさせてくれないかっ!」
シュバイクは必死に訴えかけるようであった。しかしその問いかけに、男は鼻で笑いながら答えたのだ。
「はっはっはっ!今から殺し合いをしようって時に、何を話すのだと言うのだっ。言葉では何も解決出来はしないっ!そこまできているのが解らないのかっ」
ベリンがそう言うと、シュバイクの表情が変わった。
ブラウンの瞳の奥に金色の光が宿ったのである。
「ならば……兄さん達に伝えてくれ!僕はもう今までの軟な王子ではない!この手で多くの者の命を奪い取ってきた。だからこそ、レンデス兄さんとサイリス兄さんを殺す事など躊躇はしないっ!しかし、ここで兵を引き、話し合いに応じてくれるならば……寛大な処置を持って王国へと向かいいれる!王位が空いた今、兄と弟が戦うべきではない!協力し合う事こそ、アバイト王が望んだ事だと!」
相手にとっては痛烈な言葉であっただろう。少年の顔には、純真無垢さの欠片もない。あるのは他者の命を刈り取った事実から来る苦悩と、それを乗り越えつつある鬼気迫る迫力であった。
最初は余裕の笑みを浮かべていたベリンも、すでに真剣な顔つきとなっていた。
「シュバイク王子!貴方の言葉、そのまま一言一句漏らさずに伝えよう!だがしかしっ、現実は何も変わらないぞ!すでに巨大な歯車は動き出した!王子であろうとも、止める事など出来はしないのだっ!」
獰猛な熊の背から、ベリンは腹の底から吐き出されるような声で言い放った。
それは幾戦もの死線を乗り越えてきた者だからこそ言える嘘偽りの無い言葉であったのだ。
「今ならまだ間に合う!兄上達と力を合わせれば、それが可能だと言っているのです!何故それが分からないんだっ!ディキッシュ家は帝国軍の侵入を防ぐため、多くの命を犠牲にしてきて戦ってきたはず!貴方方は誰よりも誇りある一族なのでは!?それが今となっては奴等と手を組んで、守ってきた王国の城へと攻め入ろうとしている!そんな行為をこれまでの戦いで死んだ者達へ、胸を張って報告出来るのですかっ!?」
シュバイクの言葉に熱が篭る。それを横でウィリシスは静かに見守っていた。
「うるさい、黙れ!我等には我等の立場というものがある!決して引けぬ道理と言うものがあるのだ!己の言い分が正しいと思うのならば、剣を振るいて証明してみるがいい!勝者こそが正義!正義は勝者によって語られるのだからなっ!これ以上の問答は無用!いざ戦場で相間見えん!」
ベリンは熊を反転させると、そのまま自軍へと向かって駆け出してしまった。
「シュバイク、どうした?何時に無く熱くなっていたな。すでにこの戦いが止められない事など、分かっていたはずだろう?」
ウィリシスはシュバイクへと問いかけた。当の本人は、唯真っ直ぐと敵の方を見ながら静かに言ったのである。
「僕には、もしかしたらゼナン殿は悩んでいるのでは無いかと思ったんです。ディキッシュ家はエデンの名を継ぐものだけど、王国を最前線で守ってきたと言う自負がある誇り高い一族。だから本心を探るために揺さぶりにかけてみたかったんだ」
シュバイクはそう言いながら、魔獣を反転させた。ウィリシスもそれに合わせるかのように、魔獣を手綱で操った。
「揺さぶり…か。それで何か分かったと言うのか?」
ウィリシスの問いかけに、シュバイクは動きを止めた。そして視線を合わせた。
「ええ。きっと彼らは一枚岩ではありません。そこに付け入る隙が……もしかしたら在るのかも知れない。それにどうにも気になる点が……」
シュバイクは視線を前方へと戻した。ウィリシスは疑問を投げ掛ける。
「気になる点?」
「ウィリシス兄さん、変だと思いませんか?気の強い兄上が、僕の呼びかけに対して何も反応を見せないなんて……」
シュバイクの言葉に、ウィリシスは何も答えられなかった。
すぐに思慮を働かせる程の余裕もなかったからである。
目の前には二万の大軍が座しているのだ。半分にも満たない兵で、この大軍に立ち向かわねばならない。今考えるべきは、シュバイクの呼びかけに姿を見せなかったレンデスへの些細な疑問等ではないのだ。大軍を相手にどう戦いながら、シュバイクを守るかという事だけである。
だがシュバイクはやはり、何か腑に落ちない様子であった。
我が強く、天よりも高い自尊心の持ち主レンデス。
そんな男が末弟に騙されて城を追われたのだ。呼びかければすぐにでも馬を飛ばし、前へと出て来る。シュバイクはそう踏んでいた。
だが実際は姿を現したのは王子ではない、第一部隊を率いる辺境伯であった。それが何を意味するのか、考えざる負えなかったのだ。
結局の所、真実は第一王子のレンデスがその場に居なかったからだという単純な理由である。
しかしその事実を隠すために、べリンが態々前へと出てきたのだ。サイリスが前へと出れば、レンデスがこの場に居ない事を気取られてしまう可能性があったからである。
そしてそれは大方上手くいったと言えるだろう。
シュバイクとウィリシスは、魔獣を駆けさせた。
そして後方で待機する味方の前で止まると、兵の士気を高める最後の言葉を口にした。
「皆聞いてくれっ!この戦いにはクレムナント王国の未来が懸かっている!しかし、僕はそのために戦えとは言わない!城下に居る多くの者達を守る事こそが、我等にとっての本当の戦いだからだっ!彼らを危険な目に晒す訳にはいかない!だからこそ何があってもここで敵を食い止めるんだ!決して城壁には近づけるな!命を懸けるに値する理由は我等の背後にある!大切な者を守るために!そのためだけに剣を振れぇぇっ!」
オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!
王子の言葉に兵の士気は瞬く間に高揚した。大きな哮りは空気を震わせ、相手へと波のように押し寄せる。しかし敵の第一部隊を率いるベリン・エデン・ディキッシュは、それに負けじと味方へと激高を飛ばす。
「大義は我等にある!城を卑劣な手段で奪い取った王子を叩きのめしてやるのだっ!いいかっ!」
オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!
攻城側の第一部隊は前列に七千、二列目に二千、三列目に千の計一万。その後方に第二部隊の四千五百が待機し、その指揮は弟のゼナン・エデン・ディキッシュが執っている。
第三部隊は本体となる約五千五百の部隊で、第三王子のサイリスがさらに後方で待機している。
付き従うのは守護騎士のレイノルフ・シュルイムと、戦闘力の無きに等しいエデンの名を継ぐ貴族達であった。
サイリスは前方から張りあがる声に、戦いの幕が上がった事を察知しただろう。高まる士気の余波は、次々と兵士達を呑み込んでいった。
クレムナント王国側に陣取るシュバイクの軍は、すでに誰もが剣を抜き去り構えを取っている。そこに呪文を唱える声が響く。
「光の鎧っ!天よ!我に力を!蒼空の大剣!」
シュバイクは魔鉱剣へと魔力を込めながら、魔法を発動させた。すると全身を光が包みこみ、剣は瞬く間にその形状を変化させたのである。
一メートルを超える巨大な大剣。両の刃は青く透き通っている。鍔には白い翼を思わせえる装飾がなされており、柄は黄金に輝いていた。
「黄金の鎧!神速の豪槍!」
ウィリシスもまた、魔鉱剣へと魔力を込めた。すると剣は、馬上からの突撃攻撃でもっとも威力を発揮する槍へと変化したのである。それは眩いばかりの金色の光を放っており、全身を包み込む黄金の鎧に共鳴していた。
「「「光の鎧っ!」」」
守備体長のアルディン・バウザナックスを筆頭に、王国騎士達も次々と呪文と唱えていった。
一人一人が放つ魔法の力はそれほど大きなものではない。だがしかし、二千人にも上る騎士の全てが同じ魔法を発動した時、互いの力が相乗効果となりより強力な効力へと転化するのである。
シュバイク・ハイデン・ラミナント率いる六千人の兵は、巨大な光の塊に包まれた。まるで水平線の彼方から差し込む朝日のように、平原の上に凛然と煌めいていたのである。
それを見ていたベリン・エデン・ディキッシュもついに呪文を唱えた。前列の五千人へと、範囲魔法をかけたのである。それはディキッシュ家の長男のみに伝わる、究極の保護魔法なのだ。
「フィフニワールよ!我等に貴女の加護を!孤独な少女の最後の想い!」
黒毛の熊の上でベリンは両手を広げながら、天を仰いだ。すると頭上に淡い薄紫色の光が放たれたかと思うと、十代半ばのであろうか。癖毛の長い髪を靡かせる少女の姿が、うっすらと映し出されたのである。彼女は兵士達を両の腕で抱き込むようにすると、全ての者達に光が転移していったのだ。
「行くぞォォォーーーーーーッ!僕につづけェェェェェェッ!」
「行くぞォォォォォォォォォッ!俺につづけェェェェェェッ!」
シュバイクとベリンが、まさに同時に叫んだのだ。そして敵へと目掛けて一気に駆け出したのである。
オォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!
互いの軍から喊声が放たれる。大地を蹄が叩きながら、数千頭の馬が駆け出していく。徐々に速度を上げながら、武器を構えて衝突に備えるのだ。
「第二部隊っ!弓を構えぇぇぇぇぇっ!」
弟のゼナン・エデン・ディキッシュは、先頭集団が動いたのに合わせて、後方の部隊に指示を出した。それに応えるかのように、千人程の弓隊が矢を番えた弦を引き絞る。
「射てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
馬上に跨るゼナンは、右手を勢いよく前へと向かって振りかざした。その声と動きによって、千本の矢は空へと向かって放たれたのである。
楕円を描きながら、矢はベリン隊の第一陣六千の上を滑空していく。そしてまさに衝突の間際。絶妙な瞬間にクレムナント王国軍へと大量の矢雨が降り注いだのである。




