第百五十二話 暗黒の狂気
鬱蒼とした森の中。
月明かりは地表まで届かない。重なり合う葉が光を遮り、人の視界を奪い取る。馬車が一台辛うじて通れるほどの道幅は、舗装もされていない地面がむき出しになっていた。
そこを猛然と駆け抜けていくのは、十頭の馬である。その背に跨るのは十人の男達。黒いマントを羽織っており、その下には革の軽鎧を身に纏っている。腰からは剣を下げている。
唯の旅人の集団等ではない事は一目瞭然であった。それは魔法によって創出され光の玉が、空中に浮かび上がっていたからである。全速力で駆ける馬の前方を、常に照らし出していた。
「ハァッ!イェァアァァッ!ハァァッ!」
蹄が大地を叩く。気魄の篭った声が、その蹄の音に負けじと響き渡る。
先頭の馬に跨る男は、第二王子のナセテムであった。顔つきは酷く険しく、目つきは鋭い。前を睨み付けながら、力強く手綱を握っている。
つい一週間ほど前に、クレムナント王国を脱出したばかりなのである。しかし今は、その王国へと帰るために馬を駆けさせているのだ。
「兄上っ!幾らなんでも急ぎすぎではっ?スウィフランドを発ってからすでに丸六日以上ですっ。少しはまともな休息を取らせては貰えないでしょうかっ!?」
後方から近づいて来たのは、第三王子のデュオであった。先頭を駆ける黒馬に並ぶと、馬上から声を掛けたのである。
水中都市国家スウィフランドを出立してからと言うもの、ほぼ昼夜問わずに馬を駆けさせていたのだ。流石にデュオの顔には疲労が見て取れた。しかしナセテムは、そんな弟の甘えを一蹴する。
「貴様は何も解ってはいないから、そのような事が言えるのだ!城にはすでに敵が迫っている!城を包囲される前に着かなければ、我等の目的は果たせぬのだぞ!」
ナセテムは横目でデュオを見やると、吐き捨てるように言った。
「そ、それはもしかしてレンデス兄さんや、サイリス兄さんの事ですかっ?二人が貴族連合を率いて王国に攻めてくるとっ!?」
鋭い眼差しを向けれながらも、デュオは再び問いかけた。
「その通りだ。愚鈍なりに頭を働かせたようだな。私の推測ではそこに帝国軍も加わってくると見ているっ」
ナセテムの言葉にデュオは驚いていた。
「て、帝国がですかっ!?帝国と王国の貴族達は決して相容れぬ仲なのではっ!?」
珍しくデュオは思慮を働かせていた。普段はあまり物事を深く捉えない性質であるのだ。しかし今は命が懸かっている故か。それとも追い込まれた獣のようなのか。全身神経を尖らせていたのである。
「貴族連合と言えども、城を落とすにはそれなりの兵力と、強力な攻城兵器が無くては不可能だからだ!とすれば奴等が援軍を求めるのは、帝国の犬共しかいないっ!」
赤茶色の瞳が鈍い輝きを放つ。普段から何を考えているのか、全くと言っていいほどに解らないのである。それがこの時は、一層にデュオへそう感じさせたのだ。
「で、ですがっ。馬も流石に弱ってきていますっ!このままではっ!」
デュオは心悲しげであった。しかしそれを聞いたナセテムは、声を荒げた。
「弱っているのならば、力を与えればいいだけの事だっ!セルシディオン・オーリュターブッ!馬へと力を注げぇぇっ!」
「はっ!」
一馬身程後ろから馬を駆けさせるのは、暗黒騎士を纏める男である。白い長めの髪を靡かせており、その後方には七人の部下である者達が続く。
オーリュターブが右手を高らかに頭上へと上げると、後ろから馬に乗り駆けてくる男達も同じ動作をした。そして全員が呪文を唱えたのである。
「脆弱なる魂よ。我が許へと集え!吸魂・拡散っ!」
掲げられた右手から、黒くおぞましい何かが放たれたのである。一見すると黒雲のようであった。だが次の瞬間には飛散し、生い茂る草木の中へと消えていったのだ。
だがそれで終わりではなかった。森の奥へと消えていった黒き瘴気の塊は、次々と動植物の生命力を吸い取り、魔法を放った主の許へと戻って来たのだ。
頭上に浮かぶ黒き物体を確かめると、暗黒騎士達はそれを各自の馬へと向かって飛ばしたのである。
ヒィィィィィィィィ!
体内へと吸い込まれるように入っていくそれは、吸い取った生命力を他者へと与える暗黒物質なのである。肉体に取り込めば一時的に全感覚が麻痺し、得も言えぬ高揚感に包まれる。だがその反面、己の中に別の命を吸収する事で体は拒否反応を起こす。
拒否反応を抑え込むために、再び新たな命を集め、吸収させる。この繰り返しによって、通常では考えられない程の力を発揮する事が出来るのだ。
しかし最終的には徐々に効果が薄まり、やがて禁断症状とも言える激痛に苛まれながら死んでいく。暗黒騎士と言われる者達は、この禁断症状を己の力で抑え込む事で命を永らえているのである。
だが力を蓄えれば蓄える程、肉体にかかる負荷は増加していく。そしてそれは通常では考えられない身体的老化現象を招くのであった。
だからこそ、セルシディオン・オーリュターブの外見は、年齢にそぐわない程に老いているのであった。そしてこの男は知っていたのだ。
自分の体がすでに、限界を超え始めていると言う事を。その命はもう、長くはないのである。
暗黒物質を体内へと取り込みきった馬は、眼を血走らせながら速力を上げた。
地面を抉りとり、風を裂いて森を駆け抜ける。鼻息が荒く、大量の涎を垂らしている。それでも無我夢中で駆け続ける姿は、明らかに異様である。
やがて森を抜けた集団は、山々が立ち並ぶ広大な亜高地帯へと出た。森林限界を超え、背の高い樹木が育たない標高まで登ったのだ。
すると月夜に照らし出された周囲の風景が、暗闇の中にじわりと浮かび上がっていく。壮大な山の頂が眼前に広がっている。
空気は薄く、冷えている。本来ならば馬が駆けれる場所ではない。しかし暗黒物質を取り込んだ故に、すでに体の各器官が崩壊し始めているのだ。苦しくてもそれは快楽へと変換され、命尽きるまで脚を動かし続ける。
十頭の馬が進むその先には、水中都市国家の暗黒騎士と竜が破壊と虐殺の限りを尽くしたアンタルトンの町がある。その町をさらに越えた先に、ラミナン城へと続く平原があるのだった。




