第百三十六話 王子と皇子
今回の話は長めです。
大通りを挟み込むようにして建っている家々。窓を開け放ち、住民達が王子へと手を振っている。三階建ての住居のさらに上には、オレンジ色のレンガ屋根が乗っかっていた。
零はそこから、シュバイクを見ていた。
「あれが…シュバイク・ハイデン・ラミナント王子か」
白いターバンからはみ出ている黒髪。褐色の肌に、整った顔立ちの青年。瞳は蒼く、大海を思わせる。
「まだ子供でないですか。十六…いや、十七くらいか」
やはりこの男も褐色の肌である。二メートル近い長身と、筋肉質の身体。顔つきは歴戦の猛者そのもである。
ベグートは胸の前で腕を組み、眉間にしわを寄せていた。
「えっ!?あの人がこの国の王子様何ですかっ!?女の人に見えましたよ」
大きな黒い瞳。黒髪の短髪。整った顔立ちで、美人と言えるだろう。
ユーファは驚いていた。眼下を進む隊列の中に、スカイブルーの髪の少年を見たからだ。しかしそれが少年ではなく、少女に見えたのだ。
「ユーファ、シュバイク王子の波動はどう見える?」
零はユーファへと問いかけた。
「うーん…どこまでも広がる大空。でもその中に僅かな淀みがあるような……零様の放つ波動に色合いが似ていますね。サファイアのような濃い青色が零様だとすれば、シュバイク王子は透明感のあるアクアマリンと言った所でしょうか」
ユーファの黒き瞳の中で、何かが輝いていた。
「そうか。ならば俺とも気が合うかもしれないな。そこに懸けてみる価値はあるか……」
零が意味深な言葉を口にした。それを横で聞いていたベグートは、顔をしかめた。
「よからぬ事を、お考えになっている訳ではありませんな?」
ベグートの問いかけに、零は答えなかった。
「ちょ、ちょっと待って下さい。一人、物凄い波動を放つ人がいますっ」
「ん?誰のことだ?」
ユーファの言葉に、ベグートが興味を示した。
「黄色?の髪の人です。輝くような美しい光。あんな波動、見たことありませんよっ!その人の波動が、シュバイク王子を照らしているように思えます。その輝きがあるからこそ、あの透明感を維持できているのかも知れませんっ」
次第に熱がこもっていく。ユーファは興奮気味に言った。
島国アンリカリウスで生まれ育ったこのユーファ・リネルには、特異な力があった。それは人が放つ波動、要は魔力を目で見ることが出来るというものだった。
「どういう事だ?」
零はフーファへと視線を向けた。
「波動は、その人間の性格や人格等を表しています。本質的なもので偽る事はできません。そして波動は周囲の人々へも大きな影響を与えるんです。そうやって互いに放つ波動が影響し合って、人間は生きているんです…」
一呼吸置くと、ユーファはまた話し始めた。それを二人は静かに聞いていた。
「シュバイク王子の放つ波動は、黄色の髪の人の波動によって支えられている…そんな印象を受けるんです。大空がシュバイク王子だとすれば、そこに浮かぶ太陽が黄色の髪の人…とでも言えばいいのでしょうか」
呟くように言葉を発する。零は、考え込んでいるようだった。
「なるほど。その二人の間には、強い絆があるという訳か。とすればシュバイク王子を説得するには、黄色の髪の男の存在も無視は出来ないな……」
「貴方の悪い癖ですぞ、零様。思案に耽るのは良いですが、我らにも相談くらいはして下され」
ベグートの言葉が、零の意識を引き戻した。
「あ、ああ。すまない。そうだな、分かった。俺は今、とんでもない事を考えている。下手をすれば捕えられ、一生牢獄かも知れない。それでも付いてきてくれるか?」
「ふ、何を今更。元より何処までも、お供をすると決めております。水臭い事は言わずに、さっさと説明して下され」
「うんうん!そうですよっ!」
零の言葉に、ベグートとユーファは迷いを見せなかった。だからこそ今から何をしようとしているのかを、全て話したのである。
「強引な方法ですな。一か八かの賭けと言うものか。ふっ、面白い」
ベグートは笑った。零の話を聞いて覚悟を決めたのだ。
「やりましょう!ここまで来たのなら、引く訳にはいきませんもんねっ!」
ユーファは、力強い言葉で答えた。
「ありがとう。二人共。よし、行くかっ!」
「応っ!」
「はいっ!」
零は屋根の上を駆け出した。それに続くかのように、ベグート、ユーファも走り出す。家々の上を飛び越えて、次の屋根へと着地する。全身に漲る魔力を躍動させ、肉体を強化しているのだ。
そして零は次の屋根へと目掛けて跳躍した時、空で呪文を唱えた。首にかかる魔鉱石の飾りが、強い光を発する。
「異でよ、水流の王!召喚・ミルドガルド!」
グォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッ!
響き渡る咆哮。零の手から放たれた魔力は、水柱となって天へと舞い上がる。水煙に包まれた中から、姿を現したのは鱗を持った美しい水龍である。
とぐろを巻いて、城下町の上を飛翔している。翼がある訳ではない。一本の長い身体をくねらせて、空を泳いでいるかのようであった。
「なっ!?何だあれはっ!」
バウザナックスが声を上げる。
「シュバイク王子を囲め!王子を守るんだっ!」
ウィリシスは、素早い反応を見せた。騎士達へと迅速に指示を出すと、シュバイクの隣へと馬を進める。
沿道に立ち並ぶ人々は、騎士達とはまったく違う反応を見せていた。一際大きな喝采を上げたのだ。魔道議会の導師達による、催し物だと思ったのだろう。だがこれは良い方向へと、物事が運んだ事の証拠である。
群衆が恐怖を感じ、我先にと逃げ出していれば大惨事は免れなかったからである。そして恐らく零はそうならない様に、民を魅了するような派手な召喚魔法を唱えたのだ。
「シュバイク様っ!私の後ろにっ!」
ウィリシスは主を守る守護騎士の顔になっていた。言葉つきからも、それは簡単に伺える。魔鉱剣を抜き去ると、刀身へと魔力をこめた。すると七色の輝きを放ちながら、刃は光に包まれる。
「あれは……蛇?いや、違う。何なんだ……」
シュバイクは通りの中央で馬を止めると、空を舞う不思議な生物に目を奪われた。顔は竜のようにも見えるが、体はまるで違う。クレムナント王国では知られてはいない生き物であるのだ。
「んっ!?貴方たちはっ!?」
ウィリシスはシュバイクの前で馬を止めると、剣を構えていた。すると石畳から次々と姿を現したのは、魔道議会の導師達である。彼らは皆、黒のローブを身に纏っていた。
シュバイクを囲む騎士。そしてその騎士を囲むように、十人程の導師が並んだ。
「ウィリシス・ウェイカー殿。我等もシュバイク王子をお守り致します」
目深に被るフードの下から、男は言った。そして呪文を唱えたのである。
「魔防壁!展開!」
両手を大きく左右へ広げると、魔力で創りだした防壁を展開した。それでシュバイク達を覆いこんだのである。
「零様、やはりこれはやり過ぎたのではっ!?」
水龍の背びれへとしがみ付くベグートは、前にいる零へと問いかけた。眼下では大勢の人々が、熱い視線を注いでいる。
「まぁ仕方ないさ。俺達が只者では無いことを知らせるには、この方法しか思いつかなかったんだからなっ」
風が吹きすさぶ。身体がもっていかれないように、零は龍のたてがみを強く握っている。上空は地上と比べると、遥かに風圧があるのだ。そして水龍は絶え間なく全身をくねらせて、シュバイク達の上を旋回していた。
「零様っ!これからどうするんですかっ?」
ユーファが問いかけた。ベグートの横で、同じように背びれへとしがみ付いていた。
「王子達の前へと降りよう!そして後は運に任せるっ!ミルドガルドッ!降下だっ!」
グォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッ!
全長約三百メートル。すらっと伸びた長い口から、尻尾の先端までを一本の長い線で描く事ができる。
鱗は蒼く、その一枚一枚に陽光が反射し煌いていた。額から二本の角が伸びており、後方へと向かって流れている。
「来るぞっ!油断をするなっ!光の鎧ッ!」
ウィリシスを筆頭に、次々と騎士達は呪文を唱えた。するとその身体は光によって包まれた。しかし当の本人シュバイクだけは、魔鉱剣も抜かずに、唯じっと眺めていた。
水龍はとぐろを巻きながら、地上へと接近してきた。そして三メートルほど上まで来ると、その動きを止めたのである。
「はっ!」
「とぅっ!」
「おりゃっ!」
ミルドガルドの背から、三人は飛び降りた。そして足へと魔力を集約させると、着地の際の衝撃を一気に吸収したのである。
「何者だっ!」
魔防壁の前に降り立った者へ、ウィリシスは声を張り上げた。青白い光を放つ壁を隔てて、零は答えた。
「無礼を承知で申し上げる!シュバイク・ハイデン・ラミナント王子と話をさせて頂きたい!」
王国民の着ている一般的な布服を身に纏っている。しかし肌は褐色で、瞳は蒼い。ウィリシスの目には、すぐに異国の者である事が分かったのだ。
「何者だと聞いているのだっ!質問に答えろっ!」
張り詰めた空気が満ちる。ウィリシスは、明らかな敵意を相手に向けていた。
「島国アンリカリウスの皇帝の息子。ロッソ・零・リューと申す!こっちの大柄の男はベグート・ロンダイム!こっちの小柄の女はユーファ・リネル!共に俺の仲間だ!敵意は無い!頼む、シュバイク王子と話をさせて貰いたい!」
零は己の名を名乗った。そんな様子を沿道から見ていた人々は、これが魔道師の出した催し物ではない事に気がつき始めたのだ。
ざわつく人々。尚も上空を旋回している見慣れぬ生物。
「アンリカリウス?そんな国の名は聞いた事がないっ!詳しい話は牢で聞く!そこを動くな!」
ウィリシスが声を荒げた。
「ま、待ってくれ!俺達の国の命運は、シュバイク王子に懸かっているだ!多くの民が今も苦しんでいる!頼む!話だけでもさせてくれっ!」
その想いの全てをぶつけるかのように、零は力一杯の声で叫んだ。
「黙れっ!己の軽率な行動を牢の中で悔いるがいいっ!守備兵っ!三人を捕えろっ!」
「くっ!頼む、待ってくれ!敵意は無いんだっ!話だけでも聞いてくれぇぇぇっ!」
零達へ、周囲の兵士が迫る。槍の先端を向けて、ゆっくりと近づいていく。
「ウィリシス殿、待ってくれっ。彼らを知っているっ!」
「ん?バウザナックス殿。本当か?」
ウィリシスの背後から、黒馬に跨る男が言った。それはアルディン・バウザナックスである。零の必死の呼びかけに、この男が気づいたのだ。
「はい。後ほど詳しい報告はしますが、あの者達は我等をアンタルトンの町で助けてくれたのです。敵ではありません。私の命を懸けてでも、それは保証致します」
白銀の鎧に包まれた筋肉質の身体。ブラウンの髪にブラウンの髭。ウィリシスよりも遥かに年上だが、守護騎士の方が位は上に当たる。今は部下と上官の関係と言ったほうが、いいだろう。
「しかし……」
バウザナックスの言葉に、ウィリシスは迷いを見せた。眼前では兵士達に取り囲まれながらも、必死に想いを訴えかけてくる蒼い目がこちらを見ていた。
「ウィリシス様。お願いします。私も彼らが悪い人間では無いことを、知っております」
バウザナックスの裏から馬を進めてきたのは、ニールズ・バインズである。追撃部隊の副隊長を勤めた男である。
「ニールズ…?君まで……」
ウィリシスは困惑していた。王子の進む隊列を止める等と言う愚考は、クレムナント王国民であるならば決してしない行為である。本来ならば直にでも捕えて、然るべき処罰を加えるのが正しいのだ。
だが信頼を置く部下の二人にそれを止められては、己の判断を熟考せざる負えなかった。そしてその時、後ろから新たな声がかけられた。
「ウィリシス。彼らの話を聞こう。それからどうするかを決めたって、遅くはないはずだ」
周りをふさぐ騎士たちを退けると、シュバイクはウィリシスへと近づいてきた。白馬をゆっくりと進めながら、前へと出てきたのだ。
「シュバイク様っ……分かりました。貴方がそこまで言うのなら。守備兵!そのまま合図があるまで待機せよっ!」
ウィリシスは、三人を取り囲む兵士達を止めた。そして自分が跨る茶馬を動かし、シュバイクの前方から退いたのである。
「僕がシュバイク・ハイデン・ラミナントだ。ゼロ…さんと言いましたか?民が苦しんでいるとは、どういう意味ですか?それに僕が関係あると?」
白馬の上から、零へと向かって言葉を投げかけた。青白い光を放つ防壁は、尚も二人の間に存在し続けている。
「そうなんです!我等の国アンリカリウスは、外界とは遮断された離島!荒波に囲まれているが故に、他国との貿易は愚か、行き来もまともに出来ないのです!そのため人々は少ない食料と土地を巡って争いだし、多くの者が命を落とし続けているのです!そしてその元凶となる荒波を超えるには、シュバイク王子の自室にあると聞く、蒼空石なる物が必要なのですっ!」
零の命がけの言葉であった。それがシュバイクの心に、響いたのだ。
「蒼空石が……。なるほど、零さん。話は解りました。僕は貴方の国の事に興味が沸いた。だから後日、ゆっくりと話を聞かせて下さい。二日後…の夜でもいいですかね?」
「も、勿論っ!」
「では二日後の夜に、零さんの宿泊する宿屋へと遣いをやります。それでよければ宿屋の名を教えてください」
「確か…空飛ぶ子豚亭……だったようなっ」
零はうろ覚えな記憶の中から、宿屋街の宿の名を思い出した。
「空飛ぶ子豚亭ですね。解りました。ではまたその時にお会いしましょう。貴方の勇気とその想い、確かに受け取らせて頂きました」
シュバイクは丁寧な対応で、零の想いに応えた。それを確認したベグートは、身体に漲らせる魔力を少し弱めていった。何かあればすぐに、武器を構えて敵を倒す覚悟だったのである。元からこの男は、大人しく捕まるつもりも無かったのだ。そしてそれはユーファも同じだった。
自らを犠牲にしてでも、零だけは逃がす。そう二人は、決めていたのだ。
「三人を解放してあげて下さい」
「いいのですか?せめてあの者の言葉が真実なのか、取り調べる必要があるかと」
シュバイクの言葉に、ウィリシスは納得していない様子だった。
「ウィリシス兄さんも、解ったはずです。自分の命よりも重いものを背負う彼の言葉に、嘘が無い事を」
シュバイクの瞳の中に、ウィリシスは黄金の光輝を見た。目の前の少年がいつの間にか、玉座へと続く階段を上がっていっている事に気づいたのだ。
「守備兵っ!彼らは敵ではないっ。武器を下ろし、各自位置へと戻れ!」
守備兵へと向かって声を放つと、三人の包囲は解かれた。それにやっと安堵の表情を浮かべたのは、零本人である。
「はぁ…よかったぁーっ」
ユーファは大きく息を吐き出した。過度の緊張が全身から抜け出ていくようである。
「ふぅ…」
それに対して、ベグートは落ち着いていた。まだ完全に気を緩ませてはいなかったが、難が過ぎ去った事は感じていたのだ。
「シュバイク王子、有難う御座います。深くお礼を申し上げます。この場を白けさせてしまった私から、せめてものお詫びとしてこれをお受け取り下さいっ!」
「え?」
零はシュバイクへと頭を下げると、次の瞬間には頭上へと右手を伸ばした。そして最後の呪文を唱えたのである。
「ミルドガルド、解放!」
グォォォォォォォォォォォォォォォォン……!
高らかな咆哮を上げる。水龍は上空で、大きな破裂音と共に爆発した。そして大量の水滴が周囲へと飛散したのである。極小な粒。まるで霧のようである。そしてその後に、驚くべき光景は広がった。
「おおおおおっ!」
「わぁぁぁっー!」
人々は歓声とともに、手を叩いた。拍手喝采の中で、民衆の瞳に映っていたのは美しい虹である。太陽の光が水滴に乱反射して、それは綺麗で大きな七色の虹を描いたのだ。
多くの者が空を見上げてから、また視線を地上へと戻したときには、異国からの来訪者達はすでに消えていた。こうしてさらなる熱を帯びた民衆の中を、シュバイク達は進んでいったのである。




