第百三十三話 王子の帰還
平原を駆け抜ける白馬。馬上からは、気魄のこもった声が放たれる。
「ハッ!イェアッ!テェアッ!」
後を追うように二頭の茶馬が続く。守護騎士のウィリシ・ウェイカーと、魔道議会の導師セリッタが乗っていた。セリッタの跨る馬には、もう一人少女が乗っている。それは新米魔道師のラミルであった。
そしてさらにその後を追うのは、黒々とした躯体の猛牛達である。額から伸びる太い角と、血走った眼。それに跨るのは、仲間となったハドゥン族の者たちなのだ。
ラミナント城へと向かう一本道。蛇行しながら、小山を越えていく。緑の絨毯が地平線の彼方まで、延々と広がっている。
シュバイクを先頭に、馬は全速力で駆けていく。すれ違うのは、城下町から脱出し、国外へと向かう人々の群れ。
やがて見えてきたのは、城壁に囲まれたラミナント城の外観である。天へと向かって聳え立つ王宮区画が、雄大な姿を誇っていた。
「何だ...?おい!何かが向かってくるぞっ!」
南門を警備する王国兵が声を上げた。遥か彼方から、凄まじい速度で近づいてくる物体を捉えたからである。先頭は馬であるが、その後方から駆けてくるのは明らかに馬ではないのだ。
「警戒態勢!警戒態勢を取れぇぇっ!一番隊から五番隊は槍を持って入り口をふさげ!六番隊、七番隊は城壁の上から弓をつがえて待機!命令があるまで攻撃は加えるな!いいなっ!?」
王国警備隊の大隊長と思わしき男は、声を張り上げた。すると兵士達はすぐさま自分の持ち場へと駆け出し、武器を携えて位置へとついたのである。
「シュバイクッ!警備隊が警戒態勢へと入っているぞ!このまま突っ込めば、攻撃されかねないっ!」
ウィリシスが馬上から問いかけた。
「大丈夫です!僕に任せてください!」
シュバイクは魔鉱剣の柄へと右手を当てると、勢いよく引き抜いた。そして空へと向かって、突き上げたのである。
「シュバイク・ハイデン・ラミナント!我ここに紋章を掲げる!サザンティウス!」
剣の切っ先が輝きを放ち、純白の光が紋章を形作る。
「あ、あれはっ!?サザンティウスの紋章かっ!?」
城壁の上から平原の彼方を凝視していた男の瞳に、空へと浮かび上がる巨大な白い紋章が映ったのである。
「警戒態勢をとけぇいっ!攻撃をするな!攻撃をするな!」
男は叫んだ。
「大隊長、あれは?」
隣にいた若い兵士の男が問いかける。
「ラミナント王家の人間のみに掲げられる事が許された、霊獣サザンティウスの紋章だ!すぐに入り口付近の道を空け避けろ!王子の帰還だっ!」
高らかと掲げられたサザンティウスの紋章は、無数の翼を背に携えた白馬の様相である。その姿は神々しく、王国の民には霊獣として崇められていた。クレムナント王国の紋章はペガサスであるのだが、そのペガサスの王を人々はサザンティウスと言った。
男の言葉に、沸き立つ兵士達。命令は迅速に隅々まで行き渡り、南門を埋め尽くす人ごみはすぐに取り除かれた。
「良かった。まだ城は無事のようですね!兵士が警戒を解いてますっ」
ウィリシスは嬉しそうな顔である。数日ほどこの地を離れていため、心の何処かでは責任を感じていたのだ。もし自分達が留守の間に敵に城が盗られていてたら、己の行動のを深く悔やまざる負えなかっただろう。
「ああ、きっと母上が上手くやってくれたんだっ!」
シュバイクもまた、清々しい顔つきだった。不可能と思われていたハドゥン族を味方につけ、無事に帰ってこれたのだ。これ以上の吉報はありはしない。そう確信していたのだ。
「あれ?零様、南門のほうが騒がしいきがしますけど...何かあったんでしょうかね」
アルベリオンに立ち並ぶ露店。店先に並ぶ商品を見ていた女は、人々のどよめきに気づいた。
「ん?南門?」
手に取った品物を店主へと返すと、視線を緩やかに続く坂の下へと向けた。
「おい!平原にサザンティウスの紋章が上がったらしいっ!」
通りを行き交う人々の中から、上がる声。皆が足を止めると、どっと沸く。あちらこちらから聞こえてくるのは、希望に満ちた歓声である。
「王子が帰ってきたのかっ!」
「俺達はまだ見捨てられてなかったんだっ!」
「やった!やったぞー!」
異国からやって来た青年の顔は、何が何だか訳が分らないといったものであった。
「おい、親父さん。教えてくれ!サザンティウスとは何なんだっ!?」
頭に巻く白いターバン。零と呼ばれた青年の服は布製で、一般的な王国民の服である、しかしその肌は珍しい褐色で、瞳は蒼の輝きを放っていた。
問いかけられた露店の店主は、興奮した様子で答える。
「サザンティウスは霊獣よ!王家の人間のみに掲げられる事が許された、紋章なんだっ!きっと城から居なくなった王子の誰かが戻って来たんだっ!こんなことはしてらんねぇ、悪いが今日は店じまいだっ!」
店主の親父はそう言うと、店先の商品を次々と麻袋へと詰め込んでいった。
「どけぇいっ!どけどけぇいっ!道の中央を空けろぉっ!」
人々でごった返す通りを切り分けるかのように、馬に跨る男達がやってきた。それは王家に仕える騎士達であったのだ。彼らは王子の帰還を知ると、すぐさま馬をかけさせて城から出てきたのである。
その数は約五十名。白銀の鎧に身を包み、陽光に晒された表面が煌いていた。さらにその後ろには一般兵が続き、群衆を誘導していく。
「あ、あれはっ!」
騎士達を先頭で率いる男を瞳に映すと、零は声を張り上げた。人波をかき分けながら、何とか前へと進んでいく。そして馬の横までたどり着くと、男へと向かって声をかけた。
「バウザナックス殿!」
人ごみの中から問いかけられた言葉は、明らかにその男の名を呼ぶものだった。馬上から周囲を見渡した時、すぐ側に見たことのある青年が立っているのに気づいたようだ。
「ん?おおっ!零殿ではないかっ!奇遇ですな!いやぁ、アンタルトンの町では世話になり申した!」
「いえ、とんでもない!それよりも、王子が帰還したと聞きましたが?」
「ああ、そうなのだ。どうやら第五王子のシュバイク様が帰ってきたようだ」
「え!?じゃあ近い内にどうにか会えるように、手はずを整えては貰えないですかね?」
「シュバイク王子にか?零殿に受けた恩は返したのだが...今は状況が少し良くなくてな。申し訳ないが保証はできない。出来る限りの事はしてみよう...だが、期待はしないでくれ。すまない。では急ぐので失礼するっ!」
バウザナックスはそう言うと、南門へと向けて馬を進めていってしまった。
アンタルトンの町で鉱石商のアウルスを救った零達は、他にも幾人かの生存者を救出した。そして生き残りの王国騎士達と共に怪我人を運び、ラミナント城の城下町へと何とか辿り着いたのである。
この時零はアウルスだけではなく、王国騎士のバウザナックスともパイプを築く事が出来たのだ。
しかし目的の覇空石がシュバイクの元にあると知ったのは、城下町へと戻って来てからの事である。アウルスへの邸宅へと招かれた。その際に曽祖父から受け継がれたという鉱石搬入記録書から、所有者を知る事が出来たのだ。
そして再び会うことの出来たバウザナックスへと、シュバイクとの謁見を申し入れたのである。しかし七日前に起こった悲劇が、脳裏を掠めたのだ。それが零の言葉を素直に快諾出来なかった、理由の一つである。
「ベグート、ユーファ。南門へ見に行こう。俺達の命運を握る王子の顔を拝んでおきたい」
こうして三人は南門へと向かっていった。




