第百三十二話 涙の誓い
「はい、そうです。私はそのように聞いております。ザーチェア侯爵がどのような思いで、ダゼス伯爵を手にかけたのかまでは解りません。しかしこれは紛れもない事実です。一時間ほど前に、ウィリシス・ウェイカーから直接聞きましたので間違いありません」
丁寧な言葉で貴族たちに話す姿は、堂々としていた。レリアンの顔つきは表面上は穏やかに見える。
「ザーチェア侯爵がダゼス公爵を殺して、グレフォード家を乗っ取ろうとしたという事か?」
「いや、そんなに簡単な話ではないだろう。殺したからといって、収まる問題ではないぞ」
「じゃあ一体何があったと言うのだ。訳がわからん」
貴族たちは互いに会話を交わしながら、事の真相を推測し合っていた。そんな中で一人の貴族の男が立ち上がると、レリアンへと向かって直接問いかけた。
「レリアン・ハイデン・ラミナント王妃様。グレフォード邸での事件の詳細を聞いた上で、我々は一つ確認しておかなければならない事があります。やはりそれはダゼス公爵が王家の転覆を図っていたという、明確な証拠があるのか、という事です。いくら王家の者と言えども、証拠もなしに人を手にかけるなど...決して許される事ではない。前政権化で悪逆の限りを尽くしたザイザナック王の時代へと戻るのだけは、絶対に避けたいのです」
若い青年貴族だった。己の保身しか考えていない者達の中で、唯一、倫理を問う言葉だったのである。
「確かに...そうですね。宜しければ、貴方様のお名前をお聞かせ願えませんか?」
「わ、私の名前で御座いますか?私はハインラッツ家の長男。ディーン・オルフ・ハインラッツと申します。爵位は男爵で御座います」
ブラウンの髪に、ブラウンの眉。整った顔立ちの青年である。しかし爵位を口にした途端、周囲の貴族達から鼻で笑う密かな声が聞こえてきた。
「ハインラッツ卿。よく勇気ある言葉を口にして下さいました。そのお言葉に私は、誠意ある態度でお答えさせて頂きたいと思います」
レリアンはそう言うと、大広間の隅で待機していた王国騎士の方へと視線をやった。すると騎士の一人が、赤い紐で縛られた文書と思わしきものを持ってきたのである。
それを受け取ると、レリアンは貴族達の前で広げた。
「この文書は私の元で十年以上も保管していた、ある契約事項を記すものです。この文書の存在を知るのは、私と将軍であったガウル・アヴァン・ハルムートのみ。今からこれを皆様の前でハインラッツ卿にお読みして貰いたいと思うのですが、宜しいですか?」
レリアンの青い瞳は、ハインラッツという青年貴族を見ていた。
「私がですか?構いませんが......」
困惑した顔つきで、ハインラッツは前へと歩み出た。そしてレリアンから受け取った羊皮紙で出来た文書を、読み上げたのである。
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秘密保持契約に関する魔道契約書 分類・血の契約
ガウル・アヴァン・ハルムート(以下、甲)と、レリアン・ハイデン・ラミナント(以下、乙)は、クレムナント王国第五王子シュバイク・ハイデン・ラミナントに関する秘密について、次の通り契約する。
第一条 シュバイク・ハイデン・ラミナントの実親である、父ギルバート・ラミナント、母ミリアン・ハイデンの存在を乙は一切口外しない事とする。
第二条 シュバイク・ハイデン・ラミナントの実親である、父ギルバート・ラミナントと母ミリアン・ハイデンの死の真相を乙は一切口外しない事とする。
内容文、詳細。
ギルバート・ラミナントを殺害した犯人と思われるダゼス・エデン・グレフォードに関して、一切口外しない事。
ミリアン・ハイデンが原因不明の死体として、クレムナント王国内で見つかった事に関して、一切口外しない事。
第三条 乙の近親者である父ラザロ・ハイデン及び、実子ウィリシス・ウェイカーに関して、一切口外しない事。
第四条 ラザロ・ハイデン及び、ウィリシス・ウェイカーに、乙は近親者である事を明かさぬ事。
第五条 上記第一条から第四条を乙は承諾した上でラミナント王家へと入り、アバイト王の第三妃として、シュバイク・ハイデン・ラミナントを乙の実子として育てる事。
第六条 第一条から第五条までの契約内容全ては、甲と乙の間で交わされる事とする。またこの契約は甲もしくは乙の一方が死ぬまで続くものとする。
第七条 契約の放棄目的で甲又は乙に危害を加えようとした場合、血の契約の発動により、甲はアバイト・ラミナントと共に死を迎え、乙はシュバイク・ハイデン及び、ウィリシス・ウェイカーの両者と共に死を迎えるものとする。
第八条 第六条と第七条に関しての例外的な措置。甲であるガウル・アヴァン・ハルムートの死に関して、例外を認める。シュバイク・ハイデン又はウィリシス・ウェイカーの手によって死んだ場合のみ、本契約は即時に解除され、血の契約の効力は全ての者から消え去るものとする。
第九条 本契約が持続している限り、甲は、乙とシュバイク・ハイデン及び、ウィリシス・ウェイカーを庇護する義務が発生する。
第十条 乙とシュバイク・ハイデン及び、ウィリシス・ウェイカーに何者かからの危害が加えられ、一人でも死亡した場合。血の契約に基づき、甲及びアバイト・ラミナントは命を失うものとする。
全ての事項に従い、甲と乙は血の契約を結ぶものとする。この契約を証するために、本書を二つ作成し、甲と乙が一つづつ保有するものとする。
天世 五百二十九 年 火ノ月 二十五日
甲 ガウル・アヴァン・ハルムート 印
乙 レリアン・ハイデン・ラミナント 印
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ハインラッツが全て読み終えると、大広間に居る者達は唖然としていた。誰も口を開く者はいなかった。
グレフォード家へと押し入るための正当な理由。レリアンが提示した証拠は、それを遥かに上回るものだったのである。
「まず私から言える事は、ハインラッツ卿が読んで下さった契約文の内容は全て事実だという事です。シュバイクは私とアバイト王の子ではないのです。その実の両親はアバイト王の兄であるギルバート様と、私の姉であるミリアン・ハイデン。そして、ギルバート様を殺したのはダゼス・エデン・グレフォードなのは間違いありません。私が姉から直接聞いたので、それは保証できます。しかしその姉も何者かの手によって殺されてしまいました」
「ちょ、ちょっとお待ちください。レリアン王妃。これらの条文が全て事実だとするならば、シュバイク王子の行動には、全て正当な理由となるものがある。だけどそれはシュバイク王子が、自身の出生に関する秘密を知っていたという事になるのでは......?」
ハインラッツは、横で立つレリアンへと問いかけた。
「そういう事になるのでしょう。シュバイクが、どこでいつ真実を知ったのかは解りませんが......相当な苦悩の上で決断したのだと思います。人を殺めるという行為そのもに関しては、私は議論の余地はないと思っております。如何なる理由があろうとも、命とは何よりも尊きもの。それを奪い取ることで問題の解決を図ったシュバイクを...私は庇う事は出来ません。ただ...それでも......私は...私は息子であるシュバイクを...信じています......」
気丈な振る舞いを見せていたレリアンの瞳から、雫がこぼれ落ちた。それでも静かに言葉を続けた。
「先ほど...皆さんをお待たせしていたのは、魔道議会の五大老師の方々からお話を聞かせて貰っていたからなのです......それはシュバイクが、これから起こりうる戦いを前に、山間部の部族を味方につけるべく城を発ったとの内容でした......議会の導師の方々はシュバイクが部族たちを味方につける事が出来たのなら、これからの戦いで全面的に支援すると約束したそうです......」
「なっ!?ま、魔道議会がそんな約束をっ!?い、いやそれよりも...山間部の部族を味方につける等...到底不可能なっ......」
ハインラッツは、その場にいた貴族達の心をまさに代弁しているようだった。
「私は...信じています...シュバイクと......ウィリシスならきっと...きっと......」
そう言いながら、レリアンはドレスの袖から何かを取り出した。
「レ、レリアン王妃!何をっ!?」
ハインラッツが声を上げた。どよめく広間。シャンデリアから放たれる光に反射して、それは鋭い輝きをみせた。
「私はこの命を懸けて...シュバイクがきっと、山間部の部族を味方につけて戻ってくると...誓います。だからどうか皆さん、その時にはどうか!息子の力になって下さい!お願いしますっ...!」
レリアンは、手に取った小剣を胸の前へと突き出したのだ。そしてその刃を己の方へと向けた。
「レリアン様ぁぁぁっ!」
「誰かっ!誰か止めろぉぉっ!」
大広間の隅で待機していた王国騎士の二人が、一気に駆け出しながら叫んだ。
「うぅっ!」
右手に持った剣の柄に、左手を添えると、そのまま自分の心臓めがけて刃を突き立てた。鈍い音と共に吐き出した、僅かな声。ゆっくりと後ろへ向けて、レリアンは倒れていった。
二百人の貴族達は、何もする事が出来なかった。椅子に座ったまま、唯、その光景を瞳に映したいただけである。
だが、レリアンに手渡された契約文書を、隣で読んでいたハインラッツだけは違った。その身体が床へと接触する寸前のところで、何とか両手で受け止めたのである。
「レリアン王妃!しっかり!」
「うっ...うぅ...おねがい...シュバイクと...ウィリシスにつたえて......愛している....と...そして...リディオ...にも.......」
「どけぇぇっいっ!」
駆け寄ってきた王国騎士によって、ハインラッツはレリアンから引き剥がされた。その手には紅き血が、べっとりと付いていた。
水色のドレスは瞬く間に血に染まり、胸に刺さった小剣の刃を中心にして、止め処なく流れ出てきていた。
「王国兵っ!魔道師をよべぇえぇいっ!レリアン様、どうか意識を確かに!くっ!光よ!ありったけの光よ!我が主を癒す力をなれぇぇぇぇっ!」
広間な騒然とした。騎士達は光の魔法を唱えると、全ての魔力を注ぎ込みながらレリアンの傷を治療しはじめた。
「くぅっ...うっ......」
だが心臓を貫いているであろう刃を、無用意に引き抜く事もできなかったのだ。流れ出ていく血はとまる事無く、ドレスを真紅へと変えていった。




