第百三十話 大きな亀裂
レンデスの提案に、異を唱える物は誰一人としていなかった。
相手が王子であったからではない。納得出来るだけの策だったからである。
「よくそのような奇策を思いついたものですな。それなら確かに、敵の裏をかけるかもしれんっ!」
ベリンは興奮した様子で言った。
室内の重く張り詰めた空気も、幾分かは軽くなったように感じる。それは誰しもが、レンデスの口にした策に希望を見出したからであった。
「シュルイム殿。レンデス様の提案する策...どう思われますか?よければ騎士である貴方の意見を、お聞かせ願いたい」
高揚する貴族たち。
その中で唯一冷静さを保っていたゼナンは、末席に座る男の方を見て問いかけた。
視線の先に居たのは、第十四席へと腰を下ろしていたサイリスの守護騎士レイノルフ・シュルイムである。
今までの会話のやり取りを全て、黙って聞いていたのだ。それは自分の立場を弁えての事であった。
「このような言い方、レンデス様の気に障ってしまうかもしれませんが......」
シュルイムは己の考えを口にする前に、レンデスの方を見た。
「気にするな。言え、シュルイム」
「はっ...では正直に申し上げます。現状を考えた上での策としては、確かに敵の裏を突けるよい策であると思います。しかしそれを実際に詳細な作戦行動まで落とすとなると、二つほど大きな問題点が御座います」
「問題点だと?何だそれは?」
レンデスは冷静な口調で、シュルイムへと問いかけた。
「地下通路を進み、城へと侵入するには最大でも二十から三十の兵が限界でしょう。そしてその限られた数で城を制圧するには、城内の兵士達を扇動し掌握する事の出来る人物が必要となります。それは無論、レンデス様かサイリス様のどちらかでしかないのです。敵地へと潜入するもっとも危険な任務となるのは必定の事、失敗すれば命はないでしょう。そのご覚悟がお在りになるのかが問題で御座います」
厳しい口調から語られた言葉は、レンデスとサイリスの決意を確かめるものだった。
「愚問だ。その役目は俺が引き受ける。囮となる二万の兵は、サイリスが率いるのだ。もし失敗したとしても、即座に軍を引けば逃げる事は可能だろうしな。それにもし作戦が失敗して俺が死んだとしても...サイリスの持つ反逆者の力とやらが発動し、全ては無かった事になるのだ」
「そこまで考えておられましたか...レンデス様、非礼をお詫びいたします」
「ふっ、気にするな。もう怒りに駆られ、衝動的に暴れ狂ったりはせん。それよりも二つ目の問題は何だ?聞かせてくれ」
レンデスの表情は、どこか穏やかなものだった。しかし瞳に宿るその覚悟は、確かに揺ぎ無いもののように感じられた。
「はっ。二つ目は潜入部隊が城を速やかに制圧するために、敵の最大限の兵力をこちらの軍へと引き付けなければならないという事です。それを考えると、果たして二万の兵力で本当に足りるのでしょうか?敵は恐らく守りを固め、無用意には手を出してはこないはず。だからこそ、敵の全兵力を守備に動員させるほどの苛烈な攻めを行わなければならないのです。攻城兵器も数が揃わぬ中で、果たしてそこまで敵を追い詰める事が出来るのかどうか...そこが私の思う、二つ目の問題点で御座います」
シュルイムが全てを話し終えると、再び室内の空気は沈滞した。
誰もが重く口を閉ざし、与えられた難題に答えを出そうと思案を巡らせているのだ。
だがそこで、いの一番に解決策を導き出したのは以外な人物だった。
「僕に考えがあります」
そう言って、席からゆっくりと立ち上がったのはサイリスであった。
今まではどこか、自信の無いような顔つきでの発言だった。それは我の強く癖のあるのレンデスの弟として、その場に居たからなのだ。
だが今は、違った。二万の軍を率いる事になると知り、一人の王子として、新たな自覚に目覚めようとしていたのである。
「考え?何か打開策があるのか?」
レンデスは、普段と違う弟の顔つきに気づいていた。
「反論はありましょうが、皆さん落ち着いて聞いてください。東の大国、オルシアン帝国へと使者を送り出して援軍を請うのです。今から動けば、戦いの時には十分に間に合う可能性があります。自軍二万に帝国の兵力が加われば、敵も城の守りに全戦力を注がざる負えなくなるはずです!」
「てっ、帝国だと!?」
「サイリス様、気でも狂われたかっ!?」
「幾らなんでも、帝国はありえなんっ!」
男達の荒々しい声が、室内に飛び交った。罵声の一歩手前までいった言葉の数々からは、怒りと憎しみが簡単に汲み取れた。
そして一際大きな声を張り上げて、サイリスへと反論してたのはベリンであった。
「それだけはなりませぬぞっ!どんな事があろうとも、奴等に助けを請う等とは断じてなりませぬっ!奴等との戦いで、我等の同胞がどれだけ犠牲になってきたと思っているのですかっ!?奴等ほど狡猾で残忍な者たちはおりません!それは数百年とこの地で戦ってきた、我等ディキッシュ家がよく知っているのです!例え一時的に帝国の野ら犬共が味方となったとしても、必ず!必ず、奴等は裏切りますぞ!」
「ベリン、落ち着けっ」
「何を言うか、ゼナン!お前だって解っているはずだろ!我等がどれだけ奴等との戦いで、仲間を失ってきたと思っているのだ!親父だって...帝国の汚い策にかからなければ...命を落とす事は無かったんだ!それを忘れたのかっ!?」
「くっ...それは...そうだが...しかし...!」
「しかしも糞もない!サイリス様、申し訳ないが帝国と手を組むというのなら、我等ディキッシュ家はこの戦いから手を引かせて頂く!」
ベリンは勢いよく両手の拳を、テーブルへと叩きつけた。そして怒気を放ってサイリスを恐ろしい顔つきで睨み付けたのである。
「この戦いに勝ちたくはないのですか?僕だって帝国を信用している訳ではありませんよ。でも、勝つために取れるべき手段は全て取るべきなのです!それが戦いと言うものの本質なのではっ!?」
サイリスは、一歩も引かなかった。それどころか勢いを増して、反論に反論を重ねたのである。
「王宮でぬくぬくと育った王子等に...戦いの何が解ると言うのだあああああああああっっ!」
「いかんっ!誰か兄を止めろっ!」
ゼナンが叫んだ。テーブルを挟んだ反対側にいるサイリスへと、ベリンが飛びかかったのである。
「ぐっ!」
所詮、貴族は貴族である。戦いの中に常に身を置いてきたベリンを、華奢な体つきの者達が止める等できなかった。しかし瞬時に動き、主の危険を回避するために魔鉱剣を抜いた男だけは違った。
「ベリン・エデン・ディキッシュ辺境伯。サイリス様に指一本でも触れてみろ。お前の喉元に突きつけている我が剣で、その命を奪い取るぞ」
まさに寸前の所であった。テーブルの上へと身を乗り出したベリンの喉には、鋭い魔鉱剣の切っ先が突き当てられていたのだ。
微かに流れ落ちる赤い液体は、皮一枚の所でそれが止まっている証拠であった。
「くぅぅぅぅぅ!貴様ぁぁ.......!」
怒りに歪んだ顔。憎悪の込められた声を漏らす。
サイリスまで後ほんの数センチの所まで迫った手を、ベリンは震わせていた。
皆が一様に席から立ち上がり、二人から距離を取った。
暫くの沈黙が続く。
固唾を呑んで見守る者たち。
事の成り行き浮き次第では、惨劇の場と化すのではないか。そう思ってしまうほどに室内には、張り詰めた空気が満ちていた。
「いいかげんにしろ。味方同士で争ってどうする。シュルイム、剣を収めろ。ベリン、席につけ。今から全員で決を取る。この場にいる十四人、一人一票の平等な多数決だ。帝国に援軍を求めるか、それとも我等だけの力で戦うのか。どちらかを選べ。それで決まった方の案に従う。意見はきかん。異論も許さん。決定は絶対だ。さぁ、皆の者、どちらの案にする?」
レンデス唯一人が、席についたまま全ての者を視界に収めていた。そして最後の決断を迫ったのである。
結果的にたった二票という僅差ではあったが、サイリスの案が選ばれる事となった。ベリンは不満を露にしていたが、それでも最終的な決定事項には従ったのである。
だがそれは、各々の胸の奥に様々な複雑な感情を抱えたままの、何とも後味の悪い終わりとなった。
次の日の朝にはすでに、帝国の首都ウルガスへと向けてエデン達の遣わした使者が出立したのである。




