第百二十八話 平和の代償
「アバイト王は、もうすでに死んでおります。いや、死んだも同然と言った方が正しい表現になりましょうか」
「な、何だとっ!?ち、父が死んだも同然?どう言う事だっ!シュバイクか?奴が何かしたのかっ!?」
ベリンの言葉に、レンデスが食い気味に反応した。
「ど、どう言う事なのですか?」
サイリスは、レンデスに比べればまだ冷静である。しかしそれは、あくまでも表面上の話であるのだ。内心は動揺しているに、違いはなかった。
「ベリン。お前という奴は...もう少し違う言い方があるだろう。私から説明させて貰うぞ」
相手の心を揺さぶるような直接的な表現を口にした兄に、ゼナンは怒りを通り越して呆れていた。何時また、レンデスの発作のような激情が露になるのか解らないのだ。ベリンの言葉はあまりにも配慮に欠けていた。
そのため、反対側の席へと座る兄を鋭い目つきで睨みつけたのである。それ以上余計な口を開くな、とでも言いたげな表情であった。
「わかったよ。はぁ...任せたぜ」
ベリンは二人の王子の動揺を目にして、やっと自分の口にした言葉が失敗だった事に気がついたのである。
「レンデス様、まずはお席へとお座りください。兄ベリンの言い方は、あまりにもお二方への配慮のない、一方的な言葉でした」
ゼナンはまず、席から立ち上がっていたレンデスを沈めた。
本人は指摘されて始めて、自分が椅子から身を乗り出さんばかりの体勢にある事へ気づいたようである。
「くっ...ほら、座ったぞ。さっさと話せ」
仕方なく、と言った表情で席についたレンデス。それを確認すると、ゼナンは語りだした。
「まず、アバイト王のお話をする前に、ガウル・アヴァン・ハルムートと言う男の秘密をお話しなければなりません。そして初めに知っておいて頂きたいのは、エデンの民の中に、稀に生まれるある力についてで御座います。その力は神へと抗った者達が持っていた強力な魔法......反逆者の力と言われるものです」
「反逆者の力?何だその馬鹿げた名はっ」
レンデスは眉をひそめて言った。反抗や反乱、そして反逆等と言う言葉自体が不快で堪らなかったからである。何のとりえもなく唯生かされているような存在の者達が、時々不満を口にして王家に楯突いてくる。そんな事が今まで何度かあったからだ。
だからこそ、反乱や反逆等と言った言葉には、一層の不快感を露にしたのだ。
「確かに、その名には拒絶反応を示しても仕方ありません。ラミナント王家や我々貴族は、民の不満の捌け口としていつも、その矛先を向けられていましたからね。しかし、大いなる存在として、エデンの上に立っていたゼスラム神も同じ事だったのです。エデンの怒りは力を生み出した。その力があったからこそ、神から...この世界を奪い取ることに成功したのです。そして、その力をガウル・アヴァン・ハルムートも持っていた」
ゼナンの口から語れる真実は、レンデスとサイリスに衝撃を与えた。
「何だと?あのハルムート将軍がか?どう言う事だ?将軍は純粋なエデンの血筋ではないはず」
レンデスは取り乱していた。エデンの名を継ぐ者として、聞き捨てならない事だったからである。
「ゼナンさん、その反逆者の力とは一体どのような力なのですか?」
畳み掛けるように、弟のサイリスが口を開いた。兄弟でも疑問を抱く方向性が違うのは、個々の人格の差異であろう。
「レンデス様の問いから、順番にお答えさせて頂きます。確かにハルムート将軍は、純粋なエデンの血筋ではありません。下級貴族の出であるのは間違いないですが、ハルムート家の出自を辿るとやはり、過去に別の種族との交わりがあるのは確認されております」
「ならば、何故っ...!」
レンデスは業を煮やしたのか、一呼吸置いたゼナンを問い詰めた。
「お待ちください。その前に、次はサイリス様の問いにお答えさせて頂きます。反逆者の力とは、大切な...もっとも愛すべき者の命を削り取って...望まぬ現実を無かった事にする力で御座います。その力を発動させると、世界は白紙へと戻ります。力の使用者の人生の起点へと時間が遡り、そこから再び新たな現実が始まる。そのような力なのです」
話をしているゼナンを含め、その場にいる全ての者達の顔つきは真剣だった。しかし、レンデスとサイリスにとっては寝耳に水のあまりにも現実離れした内容であったのだ。
だからこそ、互いが顔を見合わせて、困惑した表情を浮かべていた。
「そ、そんな強力な力がこの世に存在するとは...信じられん。それこそ正に、神に匹敵する力ではないか」
レンデスが漏らしたのは、隠しようも無い本音であった。
「確かに...反逆者の力が発動してしまえば我等に出来る事は何もありません。だからこそ、仲間達で必死に考え情報を集めたのです。そして出した結論は......」
「殺す...のですね。使用者本人を殺してしまえば、力は意味を成さなくなる。未来を都合のいいように選択される前に手を打つには、それしかない......」
驚いた事に、口を開いたのはサイリスだった。ゼナンの言葉を遮ってまで、自分の口で言って退けたのだ。
「はい。正に、その通りです。そしてそう考えたのは、我等だけではありません。同じ力を持つ者達もまた、同じ事を考えたと言う事です。自分が望む未来を突き通すには、同じ力を持つ者を消し去らねばならない。現実を白紙へと変える力は、別の力によっていとも間単に書き換えられてしまう。だからこそ、そこに気づいた者はありとあらゆる手を使って、同じ力を持つ者を探し出し...そして密かに消していった。ハルムート将軍は、己の近くに居る、同じ力を持つ何者かの存在に気づかなかった。だからこそ、無駄に力を消費し、アバイト王の魂を消耗させてしまったのです」
「じゃあ父上は、ハルムート将軍の力の犠牲になったと...?」
サイリスは落ち着いていた。あまりにも現実離れした話を聞いて、思考を停止してしまった兄とは違ったようである。
いつ表れるかも解らない発作のような怒りを見せるレンデスに慣れていたためか、受け入れ難い現実の中でも自分を見失わずにいられたのだ。そしてしっかりと自分の頭で考え、答えを導きだしていた。
「はい。ハルムート将軍は、アバイト王に高い忠誠心を持っていました。王のためだけに生きていたと言っても過言ではないでしょう。しかしそれが、裏目になってしまったのです。反逆者の力へと目覚めたガウル・アヴァン・ハルムートは、幾度かの力の発動でアバイト王の魂をすり減らしてしまった。クレムナント王国には敵が多い。東の帝国や、密かに領地を狙う水中都市国家。そして山間部に潜む部族たち。これらを退けるのに、相当苦労したはずです。そして十年ほど前ついに王は...自我を崩壊し、廃人となったのです」
告げられた真実は、あまりにも悲惨なものだった。なんて事のないクレムナント王国での日常の全てが、父の犠牲の上に成り立っていた等とは到底思いもしなかったからである。
だがそこで、サイリスは気になっていた事を口にした。
「待って下さい。ゼナンさんはさっき言いましたよね。ハルムート将軍は、己の近くにいた別の力を持つ者の存在に気づかなかった、と。それが力の浪費の根本的な原因になったとしたなら、その者が父を犠牲にした一番の張本人なのではないですか?」
サイリスの問いに、ゼナンは口を閉ざした。それこそが、二人を苦しめるであろう一番の原因になると、分かっていたからである。
そこで口を開いたのは、兄であるベリンだった。
「それは、俺の口から言おう。ハルムート将軍の力を妨害し、アバイト王の命を磨耗させていたのは......我等エデンの民が望む未来を創り上げるべく、裏で奔走していたダゼス・エデン・グレフォード公爵なのだ。そしてこれは我等しか知りえない事実。反逆者の力を持つ者が死を迎えると、血の繋がりのある人間へと能力そのものが移行する」
「そ、それってもしや!?」
「レンデス様、サイリス様。ダゼス公爵が死んだ時点で、お二人のどちらかに反逆者の力は宿っております。これらが我等の知る全てです」
ベリンの言葉に、室内は沈黙に包まれた。レンデスは呆気にとられ、サイリスは唯困惑していた。怒りと憎しみの矛先を失った二人は、どうする事も出来ずに黙っている事しか出来なかったのである。




