第百二十六話 全てを生み出した大いなる存在
「訳が分からぬ!どういう事なのだ、ベリン!答えろっ!」
室内に居る者達から向けられる、底知れぬ不安感。それを振り払うかのように、レンデスは吼えた。
「落ち着いてくださいませ。レンデス様」
ゼナンがいきり立つレンデスを宥めた。だがそれは、無駄に終わった。
「うるさい、黙れっ!この俺を差し置いて、勝手に話を進めるなっ!俺はラミナント王家の第一王子、レンデス・エデン・ラミナントだぞっ!」
完全に頭に血が昇ってしまったレンデスは、室内全体に響き渡る声量でわめき散らした。勝手な期待感からの、絶望。それを肌で感じ取ったからこそ、我を忘れて怒りを露にしたのである。
それは結局の所、レンデスが育った王宮内の環境に起因していた。この男はアバイトの子息として生まれた第一子であるのだ。当初は周囲の人々にもてはやされ、あまやかされて育てられた。王位を継承する者として、大きな期待と望みを背負って幼児期を過ごしたのである。
だが二子、三子と弟達が生まれるにつれ、レンデスをもてはやしていた周囲の人々は次々に離れていった。勝手な期待をかけられて、それに報いるために必死に努力していた男の全ては、脆くも崩れ去ったのである。父は変わりない愛情を注いでくれたが、母は幼い弟に付きっ切りになってしまったのだ。
上手く言葉に表す事のできない虚しさは、まだ純真無垢だった少年を変えた。横暴で我侭な人間へと変貌させたのである。それが本人さえしらない、助けを求める声にもならない声だったのだ。
「に、兄さん。落ち着いてくださいっ。まずは話を聞きましょう!」
手元にあるワイングラスを壁へとたたき付け、部屋の隅に置いてある棚の上の陶器をけり壊す。手のつけられない様となったレンデスを、弟のサイリスは止めに動いた。
人格そのものが百八十度変わってしまったかのような男を前に、ベリンやゼナンを含めた男達は目を真ん丸くして唯見ているだけだった。
「うるさい、黙れぇぇぇえっ!離せ、糞野郎っ!どいつもこいつも、この俺を誰だと思っているのだっ!」
怒り狂うレンデスの手を握り締め、サイリスは必死に問いかけ始めた。
「兄さん!落ち着いて下さいっ!誰も兄さんを悪いようには、思ってはおりません!ただきっと、予定と違う事が起きている現状に、皆さん自体が困惑しているのです!ね、そうですよねっ?」
サイリスはレンデスの手を握りながら、助けを求めるように椅子に座する男達の方を見た。
「も、勿論で御座います。サイリス様の言うとおりなのです。この場に居る者全て、レンデス様を悪くいった訳ではないのです!唯、我らの考えが甘く、予想を超えうる自体に対処しきれない甘さが顕在化した故の結果なのです!」
ゼナンは席から立ち上がると、床へと膝をつけた。そして頭を下げながら、精一杯の謝意を見せたのである。
「そ、その通り!レンデス王子、私からも謝らせて頂く!申し訳なかった!どうか、落ち着いてくだされ!その後で、全てをお話致す!」
ベリンも席から立ち上がると、床へと膝を付けた。この男らしからぬ態度だが、状況が状況故にゼナンへと続いたのだ。そして残りの十二人の男達もまた、同じように席から立ち上がると床へと膝を付けた。
「ほ、ほら兄さん、見てください!彼らも己の過ちを認めております。決して兄さんを侮辱した訳でも、蚊帳の外に置いていた訳でもないのですっ!」
必死の説得の甲斐あってか、ついにレンデスは落ち着きを取り戻し始めた。それは最早、病的な発作と言ってもいいものであろう。この事実が公にされずに、王宮の中でひた隠しにされていたのを今始めて多くの者が知ったのである。
「はぁっ...はぁっ...はぁっ...はぁっ...はぁっ...今度...わたしを...はぁっ...蔑にしてみろ...貴様ら全員...はぁっ...殺してやるからな......」
レンデスはかき乱されたダークグリーンの前髪の隙間から、紫の瞳を覗かせた。そしてその目で室内に居る全ての者を睨み付けると、殺意の篭った言葉で言ったのである。
実の所、数日前に王宮の広場でシュバイクと剣を交わした日の後。自室へと戻ったレンデスの荒れようは酷いものであった。物にあたり、侍従にもあたりつけ、まるで手の付けようがない嵐のようであったのだ。それを宥めるのに、どれだけの時間と労力を要したのかは言うまでもない事である。
だが考えてみれば、それは育った環境下で発病した、何らかの遺伝的な病気ものだったのかも知れない。何故ならまさにこのレンデスの暴れようは、祖父であるダゼス・エデン・グレフォードにそっくりだったからである。
気がつけば、室内は荒れ果てていた。散乱したグラスの破片や、こぼれたワイン。割られた陶器に、倒された家具。ベリンはすぐに隣室で待機している侍従達を呼びつけると、目に付く取り敢えずの物だけを掃除させた。
完璧な掃除をするには、あまりにも時間がかかりすぎる。その間、レンデスを待たせる事にある種の危惧を抱いたからであった。
「もういい!さっさと話せ!私の知らない事、全てだ!」
レンデスは業を煮やし、声を荒げた。それに答えたのは、ゼナン・エデン・ディキッシュである。
「はっ。では......我らが知っているエデンの秘密から、お話させて頂きます」
遥か遥か昔の事である。昔と言う言葉さえも到達できぬほどの過去。世界を創造した神がいた。
神は自分の創り出した世界に、生き物を放った。そこに知的な活動を行う人間をも生み出した。それがエデンである。エデンと名づけられた人間もどきは、いくつかの試作を超えて、ついに完全な人となった。
人は神にとって、ただの家畜も同然の生き物だった。生み出した人間を己の意のままにもてあそび、食らい、殺した。そこで一人のエデンが立ち上がった。
神を己の世界へと招きいれ、人間の生き方を体験しないかと提案したのだ。その提案に、神はのった。だが、それはエデンの巧妙な罠だった。
人の姿になりかわった神を、エデン達が襲ったのだ。人の持つ悪意と生き残るための本能を甘くみていた神は、大きな傷を負って捕らえられたのだ。そして地中深くにある牢獄へと閉じ込められた。
自分達の命を弄ばれる事に嫌気が差した、エデンの反乱だったのだ。
神が居なくなった世界で、大いに彼らは繁殖し、命を紡いでいった。エデンの中から、自らが神であると言い出すものさえも現れた。エデンから様々な種族が生まれ、世界には命が満ちた。森の民シェルフ、岩窟の民ドルモドット、水の民マーフィラスは、エデンから派生した者達であるとされている。
精霊、魔獣に至る全ての生物は、地中深くで血を流す神から漏れ出した力が、大地へと溶け込んで生まれたものだと言われているのだ。
エデンは何処までも欲深く、そして狡猾な生き物へとなっていった。自らが神の生み出した子である事さえも忘れて、互いに殺し合いまで始めたのだ。
数千年の時は、簡単に過ぎ去った。彼らの命は短く、そして儚いものであったからだ。様々な種族が生きるこの世界で、エデンの名を継ぐ者達はある密かな望みを抱いていた。それは地中深くへと追いやった神を解放し、真のエデンの民を生み出させる事である。
今の世界は人間だけのものではなくなってしまったからなのだ。
世界をもう一度、エデンの手で治めるために。やるべき事はたった一つしかないと、そう思ったのだ。そしてその囚われた神の名を人々は、畏怖と畏敬の念を込めて、ゼスラム、全てを生み出した大いなる存在と言ったのである。
全てを語った上で、ゼナンは言った。
「レンデス様。サイリス様。我らは人間と言う種族こそが、至高の存在であると考えております。それ以外の全ての生物や種族は、我らが利用し、我らが支配するべきもの。だからこそ、もう一度、我らを生み出した神ゼスラムの力を借りなければならぬのです。穢れたもの全てを粛清し、エデンの園をこの世界に創るために」




