第百二十三話 死者への侮辱
「そんな事はどうだっていい。さっさと我等を町へと連れて行ってくれっ」
レンデスはベリンやシュルイムの気持ちをまるで無視して、自分の望みを何の躊躇もなく口にした。しかしそれが、その場の空気を一変させたのである。
「ぐあっ!な、何をする...!?やめろっ、ベリンッ!」
突然の事であった。レンデスの体が突然、空に浮かび上がったのである。だがそれはよくよく見れば、胸ぐらを掴んだベリンが太い二の腕に力を込めて持ち上げているだけだった。
「今の言葉は聞き捨てなりませんなぁ。「どうだっていい」等、二度と私やシュルイム、そして騎士達や仲間の前で口をしないで頂きたい」
ベリンの表情は、明らかに変わっていた。先ほどまでの気の良い男ではない。眉間にしわを寄せ、恐ろしいまでの気迫が篭った鬼の形相である。
「離せぇぇっ!無礼者がっ!俺はクレムナント王国の第一王子レンデス・エデン・ラミナントだぞ!それにハギャンは俺の守護騎士だったのだ!奴の職務は俺を守ることのみっ!それに殉じたのなら、騎士として本望だろうっ!貴様如きがとやかく言う問題ではないっ!」
悪びれる様子もなく、胸ぐらを掴まれた状態で足をじたばたと暴れさせていた。しかしこの一言がきっかけとなり、ベリンの怒りは爆発した。
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁっ!それが命をかけて、自分を守ってくれた者に対しての言葉かっ!恥を知れっ!これ以上、死者を侮辱するならば許さんぞ!クレムナント王国の王子だろうが何だろうが関係ないっ!ここはディキッシュ家が統治する、我等の領地!文句が在るならば、さっさと出ていけぇっっ!」
凄まじい剣幕であった。ベリンは内から溢れ出る激情を包み隠す事無く、レンデスへとぶつけたのである。尚も野太い二の腕には力が込められており、空へと掴みあげたレンデスの体は地面から離れたままだった。
そんな光景に、サイリスやシュルイム、そして騎士達は驚いていた。あまりの出来事に、目を真ん丸くして声さえも出せずにいたのである。ベリンの迫力に、誰もが圧倒されていたのだ。
だがこれに意外な反応を見せたのは、ベリンの配下の兵士達である。まるで見慣れたものを目にしているかのように、口をつぐんで各々が腕を前に組みながら静かに見守っていた。
「くぅぅっ!くそおぉっ!離せぇっ!シュルイム!それにお前達!俺を助けろっ!主が襲われているのだぞっ!何とかしろおぉっ!」
レンデスは暴れても一向に状況が変わらない事で、ついには周りへと助けを求め始めた。そこで流石に守護騎士であるレイノルフ・シュルイムは、ベリンを止めるために動こうとしたのだ。名目上はサイリスの守護を担当する騎士であるため、そこまでする必要はない。しかし、ハギャンから最後に頼まれた事もあって、黙って見ている訳にはいかなかったのである。
「ベリン殿っ、それ以上はっ...!ん?な、何をするっ!?」
シュルイムが二人の間へと割って入ろうとした時だった。ベリンの配下の兵士が、突然、背後へと回りこんできたのである。そして驚くべき行動に出た。
「ベリン様は何も間違った事は言っておられない。余計な口出しは、しないで頂きたい」
二人の兵士が、シュルイムの両肩を掴んだ。そしてがっちりと腕を絡めてくると、動きを封じたのである。
「何だと......」
シュルイムはこの時、恐ろしい事に気がついた。サイリスや部下の騎士達までも、ベリンの配下の兵士によって取り囲まれていたのだ。
彼らから敵意は感じられないが、ベリンの邪魔をすればどんな行動に出るかは解らない。非常によく訓練されており、何よりも主である男に揺ぎ無い忠誠心を抱いている。シュルイムには、そう感じられたのである。
「さぁ、レンデス様。どうしますかな?自分で決めるのですぞ。このまま我を通し、この土地を出て行くのか。それとも!己が口にした死者への侮辱を今すぐに撤回し、非礼を詫びるのか!選びなされっ!」
ベリンの良く通る声は、霧の中へと響き渡っていった。レンデスは奥歯をかみ締めるようにして、暫くの間沈黙を貫いていたのだ。しかし、観念したかのように、静かに口を開いた。
「くぅっ......解った......俺が悪かった......謝る。この通りだ、許してくれ......」
精一杯の謝罪の言葉だった。俯いた顔は、伺い知ることは出来なかった。しかし、確かな言葉を聞いた事で、ベリンはゆっくりと目の前にレンデスを降ろした。
「判れば良いのです。判れば......。さて、我が町、フィフニワールへと向かうとしますかっ!」
ベリンの切り替えの早さは異常だった。すでにその顔つきは、活気に満ちた笑みの混じるものである。主である男の態度を確認すると、配下の兵士達もシュルイムから静かに離れた。サイリスや騎士達を取り囲んでいたはずの兵士も、いつの間にか小船へと乗り込む準備をしていたのである。
「に、兄さん......大丈夫ですか?」
地面へと力なく座り込むレンデスの前に、サイリスがやって来た。相手の様子を伺うかのように、腰を落として声をかけたのである。
「ぐぅぅ.....なぜだ...なぜこの俺が...こんな目に遭わねばならんのだ......これも全部...アイツのせいだ...シュバイクさえ...いなければ...俺は...俺は......」
微かに聞こえてきたのは、噛み締めた奥歯の隙間から漏れるような言葉だった。
天よりも高い自尊心を粉々に打ち砕かれたのだ。兄の性格をよく知るサイリスは、痛いほどに相手の気持ちが分かった。
「さぁ、いきますぞっ!」
小船へと乗り込んだベリンは、レンデスとサイリスへ向けて大きな声を放った。
「準備が出来たようです。兄さん、立てますか?行きましょう」
サイリスは何処までも兄想いだった。優しい心根なのは、昔から変わらない男である。しかし、それが一層より現れるのは、何よりもレンデスの前だったのだ。
「俺にかまうなっ!」
差し出された手を、レンデスは勢いよく払い退けた。そしてそのまま立ち上がると、用意された小船へと向かって一人で歩いていってしまったのである。
「兄さん......」
霧の中へと消えていく兄の背中を見ながら、サイリスは物悲しい声で呟いた。すると、近づいてきたシュルイムが、その気持ちを察するかのように言った。
「レンデス様の前には、今、大きな壁が立ちはだかっています。しかしそれをサイリス様が心配する必要はありません。何故ならば、あのお方が自らの力で超えていかなければならない壁だからです。お優しいサイリス様には難しい事かも知れませんが、きっとそれが互いの成長へと繋がってゆくと...私はそう思っています」
シュルイムの言葉に、サイリスが抱えていた痛みは幾分か和らいだようである。二人は小船へと向かって歩き始めると、ゆっくりと乗り込んだ。そして霧の中へと静かに消えていったのである。




