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第百二十一話 本当に望むもの

 ナセテムとデュオが、ハイドラの執務室を出て行った後の事である。アグナマイタの後処理を済ませたオーリュターブは、報告をするために深夜にやって来た。


「失礼致します。セルシディオン・オーリュターブで御座います」


 軽く頭を下げると、オーリュターブは部屋へと足を踏み入れた。肌は青白いく、目は狐のように釣りあがっている。鋭い目つきであった。黒革の軍服に身を包む身体は細く、すらっと伸びた背は百八十センチ以上ある。数時間前に戦闘をしたとは思えないほどに、整えられた身なりで入ってきた。


「遅かったな。また殉教者アグナマイタが暴走したのか?」


 ハイドラは相変わらず、ソファのようなふかふかの椅子に腰をかけていた。回転式であるためか、普段はその椅子に座ったまま背面にあるガラス窓を眺めている。


「はい。今回はタイミングが悪く、相当の死傷者を出してしまいました。他の殉教者アグナマイタドラゴンの力に拒絶反応を起こし、全ての者が意識不明の重体で御座います」


 オーリュターブは淡々と報告を述べた。


「また失敗か。やはり常命じょうみょうの者の肉体では、竜の力に耐えられないのか......」


 ハイドラは机の上へと出した左手を見た。するとその手はみるみると皮膚が変異し、黒い鱗に覆われていったのである。爪は鋭く尖り、硬化していくようだった。


「第一世代と比べれば、格段に転化の際の暴走率は減少しております。このまま何度か実験を繰り返していけば、必ずや成功へとたどり着くための鍵が見つかるはずで御座います。幸いまだ志願者も大勢いますので、定めの日までは良い結果が出せるかと」


 オーリュターブがそう言うと、ハイドラは顔を上げ。そして前を向いて言ったのである。


「いくら志願者が大勢居ようとも、その者達全てが実験体として活用できる訳ではない。オーリュターブよ、解っているだろ?血は有限なのだ。これ以上、無駄にはできん。このままでは竜人計画が成功する前に、私から力が消えうせてしまう。それだけは避けねばならんのだ」


 ハイドラは変化した左手を握っては開いてを繰り返している。そして皮膚はまた次第に変色していき、元の肌色へと戻っていった。


「解っておりますが、竜人計画は他の計画の基盤となるもの。これだけは何としても成功させなくてはなりません。他に打つ手が無い以上、実験を続けるしか道はないのです」


 オーリュターブに、ハイドラは僅かに表情を変えた。鋭い赤茶色アガトの目を見開いたのである。


「道ならまだある...!」


 短い言葉だった。語気のこもった、強いものでもあったのだ。


「と、言いますと?」


 相手の反応に、冷静な態度で返した。オーリュターブは一切の表情を変える事無く、ハイドラへと問いかけたのである。


「ナセテムとデュオが、クレムナント王国へと戻る事になった。お前は騎士団の中から精鋭を選び出し、二人の護衛として共にラミナント城へ向かうのだ。そして魔道議会が何処かに隠している、ゼスラムを探し出して確保しろ」


 ハイドラの言葉に、オーリュターブは顔色を変えた。一切表情を変える事の無かった男が、明らかに驚いた様子を見せたのである。


「クレムナント王国に、私が......?」


 灰色の瞳が、椅子に座る主を注視していた。


「そうだ。お前の望むべき日がついに来たのだ。ゼスラムさえ確保したのならば、後は好きにして良い」

 

 浅黒い肌に、がっしりとした骨格。人の心を覗き込むかのような、異様なまなこ。人間離れしているかのような雰囲気は、目の前に立っているオーリュターブを覆いこもうとしていた。


「し、しかし私が今ここで城を離れては、各計画の情報を統合して指揮を執る人間が居なくなってしまうのでは......」


 オーリュターブは突然に言い渡された任務に、動揺を押し隠せずにいた。数十年と待ちに待った日が訪れるのは、まだ先の事だと思っていたからである。


「このガルバゼン・ハイドラ自らが、全ての計画の陣頭指揮じんとうしきる。お前は与えられた任務に専念すれば良いのだ。愛すべき者を取り戻すために、今日まで生きてきたのだろう?燃えたぎるような憎しみと怒りを、好きなだけぶつけて来ればよい。もうハルムートは居ないが、奴の残した遺産いさんがある。全てを奪い、壊してこい。そしてお前自身が本当に望むものを手に入れるのだ」


 しゃがれた低い声。耳障りの悪い声質であるはずなのに、不思議と脳内へと入り込んでくる。ハイドラは対面する男へと言いながら、相手の反応を静かに待った。


「......解りました。十三騎士団団長セルシディオン・オーリュターブとしての最後の任務......そう思い、受けさせて頂きます。ゼスラムを確保した時点で、私はリディオ・ウェイカーとして新たな人生を歩ませて貰います。ハイドラ様、それでも宜しいですか?」

 

 憎悪のこもった鋭い眼つきが、主であるはずの男に向けられた。抑え切れない激情が、漏れ出しているかのようだ。


「ああ。いいだろう」


 ハイドラが頷きながら答えた。それをオーリュターブが確認すると、一礼して部屋を出て行った。この三日後、ナセテムとデュオと共に、水中都市国家スウィフランドを出立する事となるのである。火種を抱える大きな爆弾は、クレムナント王国へと向かってこうして静かに進んでいったのだった。


 ハドゥン族の集落へと身を寄せていたシュバイク達も丁度同じ頃。ラミナント城へと向けて、出発していた。新たな仲間を引き連れ、希望を胸に抱いていたのである。


 ディキッシュ家の領地へと到着したレンデスとサイリスは、味方となる貴族達を召集していた。大貴族連合を打ちたてようとしていたのだ。そしてさらに、その後ろ盾を作るために、敵国であるオルシアン帝国へと使者をつかわしたのである。


 様々な思惑が交差し重なり合う中で、誰も視たことの無い新たなる未来が幕を開けようとしていた。

第百二十一話を持ちまして、第五章が終わりとなります。

次回から第六章へと入ります。

五人の王子達が王位を巡って戦いを繰り広げる次章を、

ぜひお楽しみに!

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