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第五話 王子の苦しみ

 室内からテラスへと続く大きな扉窓には、絹のカーテンが掛かっている。隙間から朝日が差し込むと、ベッドで眠る少年の顔を優しく包み込んだ。

 ゆっくりとまぶたを開いていく。するとそこには、スカイブルーの美しい天井が広がっているのだ。


 シュバイクは幼い頃から、どこまでも続く青い空が大好きだった。


 それを知った父アバイトが、息子のためにと与えたこの部屋には、蒼空石そうくうせきと言われる希少鉱石が天井全体に敷き詰められていた。


 蒼空石は太陽光を吸収すると、内部から透き通る。そして光を放つ、珍しい特性の鉱石であった。


 シュバイクが十二歳になったある日の事である。

 室内を広げるための改装がなされた。しかしこの大空のような天井だけは、父親に直接頼み込んででも残してもらおうとしていたのだ。


 それを聞いたアバイトは当初、酷く困惑していた。息子であるシュバイクには、まだ精神的な幼稚性が残っているのではないかと。そしてもしかしたら、病気なのではないかと心配をしたのである。


 だがそんな不安を取り除くのに協力してくれたのは、よき理解者でもある母レリアンであった。


「あの子はただ空が好きなだけ。広く永遠を思わせる空がね。だからあなた、何も心配する事はないわ。だって私は今も、空が大好きだものっ」と。


そのお陰で、天井の大空は今もシュバイク一人だけのために広がっている。


 室内に置いてあるのは、飾りげのない家具とベッド。そしてテラスへと続く、大きな扉窓。天井の蒼空石を除けば、比較的簡素な部屋だ。


 王族にしては、このような飾り気のない部屋をもつ者は王宮内でも二人だけである。


 目を覚ますと、昨夜の高熱のせいか喉に渇きを覚えたようである。ベッドの横にある小さなテーブル。その上には、水差しが用意されていた。

 しかし手を伸ばそうにも、左半身の痛みがまだ完全に治まってはいなかったのだ。そのため、上手く身体を起こす事も出来でずにいた。


 シュバイクがベッドの上で一人悪戦苦闘していると、廊下へと繋がる扉を叩く音が聞こえてきた。


「シュバイク様、ウィリシスで御座います。入ってもよろしいでしょうか?」


 何とか自力で身体を起こすと、部屋の外にいるであろうウィリシスへ向けて言った。


「どうぞ!ウィリシス兄さん。悪いのですが水を取っていただけませんか」


 砂漠のように乾き果てた喉を潤すために、室内へと入ってきたウィリシスの反応を待たずに言った。水への欲求が抑えきれなかったようである。


 ガラスコップへと水を注ぎこみ、シュバイクへ手渡した。それを受け取ると、待ち望んだかのようにすぐさま喉の奥へと流し込む。


「もう一杯、お願いします」


 すぐさま返された空のガラスコップに、ウィリシスはまた水を注ぐ。すると次は、小さな紙に包まれた粉末状の薬と共にシュバイクへ手渡した。


「これと一緒に御飲み下さい。多少の痛みがとれるはずです」


 二杯目は少し味わいながら、喉を鳴らして薬と共に飲みこんだ。


「はぁ...ありがとう」


 空のガラスコップを受け取ったウィリシスは、シュバイクが満足したのを確認してからテーブルの上へ置いた。そしてその小さなテーブルごと、シュバイクが身体を休めるベッドへと近づけたのである。


 室内に入ってから、妙に無口なウィリシスを横目でみやり、シュバイクは恐る恐る言葉を投げかけた。


「実は......昨日のハギャンさんとの戦いの記憶があまりないんだ.....」


 ウィリシスは尚も無言のまま、テーブルを動かしている。


「それで...あの時、どういった状況になって...こうなったのかなぁ...と...」


 手の届く位置に動かし終えると、やっとウィリシスは口を開いた。


「シュバイク、君が今生きているのは奇跡のようなものなんだ」と前置きをすると、その顔つきは神妙な面持ちへと変わっていった。


「たしかに私は相手の懐に飛び込めれば、まだ勝機はあると言いました。しかし、あそこまでしろとは言っていません.....」

 

 ウィリシスは、シュバイクの怪我の原因を説明し始めた。


 ハギャンの間合いに飛び込んだ時、相手の木剣を回避する手立てはシュバイクには無かった。そのため自分の左腕を使って、相手の攻撃の軌道を変えたのだと、ウィリシスは言う。

 要は左腕一本を犠牲ぎせいにして、ハギャンの木剣を受け止めたのだ。

 

 それにより腕の骨は無残にも砕かれた。しかしさらにそこからもう一歩、シュバイクは相手の懐へともぐり込むことで、勝機を見出だしたのである。


 すでに振りぬかれていたシュバイクの木剣は、ハギャンの顔面へと渾身の一撃となって叩き込まれた。

 いかに筋骨隆々の巨体でも、脳を鍛える事は出来ない。受けた衝撃から平衡感覚を失い、ハギャンは緑の芝生へ倒れこんだのだ。

 しかしシュバイクもまた、あまりの激痛に耐え切れずに失神しながら倒れたのだと、ウィリシスは言った。

 

 その時の左腕は、見るに耐えないほど痛々しく折れ曲がっていたというから、今の激痛の原因には納得がいったはずである。

 そしてその後、重度の粉砕骨折により発熱を催し、半日ほどベッドの上でうなされていたのだ。


「そうだったんだ...」


 シュバイクは記憶の断片を探りながら、徐々に昨日の出来事を思い出し始めていた。


「シュバイク様、先に非礼はお詫びしておきます...」


 ウィリシスの顔つきが変わった。その眼差しは真剣で、シュバイクの瞳を突き刺すようである。


「いいか、シュバイク。君は時々凄く自分勝手な事をする時がある。もしあの時、怪我が左腕一本で済まなかったらどうしていたんだ。命を落とす危険だってあった。これが今以上の最悪な結果になったいたなら、私はハギャン殿ではなく、君自身を深く憎くむだろう。それはなぜか分かるか?」


 ウィリシスの問いかけに、シュバイクは口を開くことが出来なかったのだ。


「君が命を落とせば、誰が悲しむと思う?母君であるレリアン様は、シュバイクの事を深く愛しておられるのだぞ…それが分かっているのかい?」


 ウィリシスは悲しげな顔を見せた。


「私にとって...この城での生活はとても幸せなものです。でもそれは暖かい寝床や腹を満たす食事があるからではないのです。シュバイクやレリアン様が、この私という存在を認め、受け入れてくれるからこそなんです。自分を理解し、信じてくれる人達を裏切ってはいけない。自分の命を粗末にするという事は、自分の愛する大切な人達を…粗末にするのと同じ事だと分かって欲しい」

 

 そう言い終えると、ウィリシスは途方も嫌悪感に包まれていた。それは誰でもな、自分自身にである。

 身分も遥か上の王子に対して、何を偉そうに説教などしてしまっているのかと思ったのだ。


 ウィリシスは自分がどこで生まれたのか、そして親の顔さえも知らない。路上で生きてきた、孤児であったからだ。

 心の闇がうっすらと顔を出したが、その微妙な感情の変化を表に出すことはしなかった。


「ウィリシス兄さんの言う通りです。あの時兄さんの忠告を聞いていたのなら、この様な結果にはならなかったはずです」

 

 僅かながら下に落ちていたシュバイクの視線がゆっくりと上がり、横に立つウィリシスの銀褐色の瞳と交わった。


「僕は時々解らなくなる。自分が何のために生きているのか。何のために生まれてきたのか。何のために存在する自分が存在しているのかと...そんな事を考えているうちに、いつしか生きている筈なのに生を実感できなくなった...それがハギャンさんと剣を交えた時に、たしかに感じる事が出来たんだ...生きていると。自分は生きているんだと......!」


 シュバイクの右手の拳には、自然と力が入っていた。


 シュバイクの中に抑え込まれている自我が、暴れまわって苦しんでいる。ウィリシスはそう感じ取っていた。

 きっと自分という人間を正しく認識できずに、闇の中で彷徨っているのだ。


 美しい外見に気を取られ、シュバイクの内面の繊細さを無視する大人達。


 他人から見れば完璧な王子に見えただろう。美しく長いスカイブルーの髪に、均衡の取れた整った顔。剣の腕も一流で、頭も良い。多くの者が羨望の眼差しを向けていたのは言うまでもない事である。

 だが結局中身は、普通の十七歳の少年だった。周囲からの期待に応えるべく、人知れず努力を積み重ねてきただけなのだ。

 

 それを、ウィリシスだけは知っていた。


 鎖に繋がれている気高き心が、自由を求めてあばれているかのような...そんな感覚であったのかも知れない。


 理想的な人間でありたいと願う半面、本当の自分でいたいという、誰しもが持つ矛盾した気持ち。それがシュバイクの場合には、きっと強すぎたのだ。

 しかし、その綻びをみせはじめた今は、強く燃えるような瞳の奥の炎が、揺らめいて儚く消えいりそうであった。

 

 そしてその火はいつしか小さな雫となって、頬を伝い静かに流れ落ちていったのである。

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