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第百十六話 兄と弟

「ぐぅぅぅ...ガァァァァッ!」


 竜から人間へと変異した男の一人が、もだえていた。右半身が黒き鱗に覆われており、大きく開いた口に生える歯が鋭さを増していく。


「おい、どうした?」


 寄ってきた兵士の一人が、男へと問いかけた。しかし次の瞬間である。


「ウガァァァァァッ!」


 男は瞳を真っ赤に染めながら、鱗に覆われた腕を振り回した。その勢いで駆け寄ってきた兵士は後方へと大きく吹き飛ばされたのである。そして床へと倒れこんだ。


「ぐふっ......」


 兵士の口からは大量の血が流れ出していた。恐らく今の衝撃で内臓が損傷したのであろう。身体をひくつかせながら、白めをむいていた。


「大丈夫かっ!」


 床へと倒れこんだ兵士の元へ、他の者達が集まってきた。


「意識がないぞ!おい誰か、高等治癒魔法を扱える者はいないかっ!?」


 兵士の一人が声を張り上げた。それに反応を示したのは、この場を去っていったオーリュターブに戦闘情報の収集を負かされていたレインフィースである。


「治癒魔法なら私の専門ですが。何かあったんですか?」


 レインフィースが駆け寄ると、そこには血を流して倒れている兵士がいた。


「解らん!気づいたら血を吐いて、そこに倒れていたんだ!」


 兵士の一人が、戸惑いながら言った。その原因が何だったのかを、すぐに全員が知ることとなる。


「グアアアアァァァァッァァッ!」


 男の姿は恐ろしいものであった。半身が人間であり、もう半身がドラゴンであるのだ。何が起こっているかは判らないが、身体に異常をきたして自我を失いかけているようだった。

 うなり声を上げると、周囲に居た兵士達を見境なく襲い始めたのだ。


「うがああっ!」


「ぎゃあぁぁっ!」


 次から次へと兵士達に襲いかかり、爪で体をいとも簡単に引き裂いていく。噴出した血が辺りに飛散し、生臭い匂いが鼻腔を包んだ。


「奴を止めろ!殺しても構わん!」


 兵隊長らしき大柄の男が、周りの部下へと指示を出した。しかし彼らは所詮魔法を扱う事のできない一般兵である。それが目にも留まらぬ速さで動き回り、人間の肉体を紙切れのように引き裂く男を止められるはずもなかった。


 十数人の兵士が男を取り囲むが、ものの数秒で身体から血を噴出しながら床へと倒れこんだ。


「下級兵士は下がっていろ!我等が仕留める!」


 騒ぎを聞きつけ、離れた場所にいた暗黒騎士達が集まってきた。彼らは漆黒の鎧をすでに脱ぎ去ってはいたが、黒剣は手に持っていた。


 グガァァァァァァッッ......!


 すでに人ではなくなっている男を取り込み、暗黒騎士達は剣を構えた。

 その頃、国家元首が待つ執務室へと向かっていたオーリュターブと、二人のクレムナント王国の王子は薄暗い廊下を静かに歩いていた。


「オーリュターブ騎士団長!」


 今し方歩いてきた通路の奥から、男の声が聞こえてきた。足を止め、振り返る三人。すると目の前まで駆け足でやって来たのは、オーリュターブの部下の一人であった。


「何事だ。客人の前だぞ。貴様、解っているのか?」


 オーリュターブは冷ややかな視線を持って男へと問いかけた。黒革の軍服に身を包んだ男は、血相を変えていた。顔には血がついていたが、本人はそれに気づいてはいないようである。


 客人であるナセテムとデュオの前である以上、そんな男の顔を見せる訳にはいかなかったのだ。すぐさま彼らの前へと回り込み、背を向けて小声で話すように促したのである。


「た、大変なのです。アグナマイタの一人が、転化てんかに失敗しましたっ。騎士達が相手をしておりますが、仕留め切れません。このままではっ......」


 男は音量を落として、辛うじてオーリュターブが聞き取れるであろう小声で話し始めた。


「何だと?やはりまだ転化魔法の運用は早かったか......私が直接向かうしかないな。お前はこのままお二人を元首の元までお連れしろ。良いな?」


 オーリュターブの鋭い眼光が、部下の男へと突き刺さった。


「は、はっ。畏まりました」


 男は短い返事の一つで答えた。


「待て。顔に血が付いている。拭取れ。ナセテム様とデュオ様に何か聞かれても答えるな。分かったな?」


 男はオーリュターブの言葉を聞くなり、すぐさま軍服の袖で顔を拭った。そして無言で一回、頷いたのである。


「何かあったのか?」


 ナセテムは二人のやり取りに、聞き耳を立てている訳ではなかった。

 狭い通路は静けさに包まれているため、会話の内容が途切れ途切れに漏れ聞こえてきたのである。そして駆け寄ってきた男の表情がちらっと見えた時に、確かに血のようなものがついているのが解ったのだ。


「ナセテム様、デュオ様。申し訳ありません、少しばかり所用が出来てしまいました。私の代わりに、この男がガルバゼン・ハイドラ様の元までお連れします。では、失礼します」


 オーリュターブはそう言うと、相手の返答を聞く事もなく来た道を戻っていってしまった。その場に残されたナセテムは、何かが起きていると言う事を感じ取ったのだろう。


 鈍い弟のデュオが首をかしげる横で、ナセテムは凄まじい威圧感を放っていた。そして男へと向かって歩きだし、詰め寄ったのである。


「おい、何があったんだ?只事ならぬ気配をお前達には感じたぞ。正直に言え」


 赤茶色アガトの瞳で、オーリュターブの部下を睨み付けた。異様なまでの迫力は、他を圧倒するものがある。まだ二十代半ばであるはずの王子が、年上であろう男に凄みを利かせたのだ。


「も、申し訳ありません。私の口からは...い、言えないのです。詳しい話は後から、オーリュターブ騎士団長から直接あるはずです。なので今はどうかお許しください」


 男は震えた声で言った。


「だったら一つだけ教えろ。アグナマイタとは何の事だ?お前がさっきオーリュターブという男に言っていただろう。何の事か教えるんだ。それで許してやる」


 ナセテムは相手の瞳から一切視線を外さずに言った。


「そ、それも...私の口からは...言えません。お許し下さい......ぐっ!?」


 男は突如として、苦しみ始めた。両の手で自分の首を掴むと、もがき始めたのである。


「この私を愚弄するか。雑魚が。貴様は聞かれた事に答えればいいのだ。言え。アグナマイタとは何の事だ?」


 ナセテムは目の前の男に一切触れてはいない。唯、静かに語りかけているだけである。異様なまでの威圧感は確かにあるが、男が苦しむ理由にはならないのだ。


「ぐぅぅがっ!い、息がっ!で、できなっ!ひっ、ぐぅ!」


 男の顔は見る見ると赤くなっていく。恐らく空気が灰へと到達しないために、脳への酸素の供給がされないのだ。それによって顔は変色している。


「あ、兄上!お止め下さいっ!」


 殺意に満ちたナセテムを止めたのは、デュオであった。苦しむ男の身に、何が起きているかを理解しているようだった。


「黙れ。お前は口を閉じていろ」


 ナセテムは、厳しい言葉つきで弟のデュオへと言った。まるで見下しているかのような態度である。普段なら、そんな兄の言葉には逆らうことも無いのである。だがこの時は違った。


「黙りません。お願いです。止めてください兄上。もう人が死ぬのは散々なのです!」


 デュオは初めて、兄であるナセテムに逆らったのである。自分がどの兄弟よりも劣ると自覚しているが故に、意思を貫き通す事は皆無だった。だが、そんなデュオを変えつつあった。


「お前のような馬鹿が、兄である私に意見すると言うのか?いつからそんなに生意気になったのだ」


 ナセテムは目の前の男へと注いでいた殺意を、そのままデュオへと向けた。しかしデュオは一歩の引き下がらなかった。まん丸とした目と顔。愚鈍と言われながら、王宮で生まれ育った王子である。


 その見た目はどの兄弟よりも、父であるアバイトにそっくりだった。


「コーエルを兄上に殺されてからです!ぼ、僕は...僕はコーエルを誰よりも慕っていたのです!それでも兄上が正しいと思い、何とか自分の気持ちを抑えてきました!でももう、人が死ぬのは嫌なのです!止めて下さい!」


 デュオの気迫のこもった言葉が、ナセテムの殺意を上回った。その瞬間、苦しそうにのど元を押さえ込んでいた男は、大きく息を吸い込んだ。


「ぐはっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ!」


 そして床へと座りこんだ。何度も何度も、息を吸い込んでは吐いていた。


「ふっ。言うようになったではないか、デュオよ。それでこそ我が弟だ」


 歯向かってきたデュオに対して、ナセテムは笑みを見せた。怒りに身を任せて、襲い来るかも知れない。

 そう覚悟までしていたデュオは、予想外の相手の反応に驚きを隠せなかったのである。

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