第百十五話 黒竜の正体
時は僅かに遡る。シュバイク達がハドゥン族の集落へと到着した日の事である。
きこりの町アンタルトンを一夜にして灰に変えた黒き竜の数々は、水中都市国家スウィフランドの城へと向かって飛行していた。
スィフランドの城は巨大な面積を誇る湖の中にある。水中都市国家というだけあってか、湖の中に城全体をすっぽりと隠しているのだ。
湖の上空へと舞い戻ってきた邪悪な影は、大気を震わすような唸りを上げると、漆黒の翼膜を畳んだ。高度一千メートルから、垂直降下を繰り出した。
艶やかな鱗に包まれる巨体が、重力に引っ張られて一気に落下する。数十頭もの竜が次々に同じ行動をとっていく。南西で輝く太陽から放たれる光が、竜の姿をくっきりと照らし出す。風切り音の後に、凄まじい衝撃音が響き渡る。巨大な水の柱が天へと向かって伸びていた。
竜の背にはスウィフランドの暗黒騎士達と、クレムナント王国から脱出した王子達が乗っていた。彼らは背骨と鱗が一体化した突起にしがみ付くと、振り落とされないようにがっしりと両腕で体を支えた。暗黒騎士達が唱えた魔法によって、入水の寸前に空気の膜に覆われたのである。
その膜が衝撃を吸収し、同時に水中で人間が生存するために必要な空気を肉体へと供給した。
水中都市国家スウィフランドの城は、その巨大な姿のほぼ全てを水中へと潜めている。元は廃墟であった建物を増改築し、修復したものなのだ。クレムナント王国のような城と城下町が一体化したものが、そのまま水中の中に隠れているといった所である。
八つの階層に分かれている水中都市国家の城は、大まかな目的によって階層分けがされている。
一般民の住居区が一層から三層までを占めており、四層が商業階層、五層が農業階層、六層が工業階層、そして七層と八層が特別階層となっているのだ。
七層と八層は国家運営に携わる者だけが入る事を許されており、主に十三騎士団に所属する暗黒騎士達と国家元首であるガルバゼン・ハイドラが身を置いている。
その七層の一角には、壁が丸く切り取られたような場所がある。そこは空気の壁によって内部と水中が遮断された所で、魔法と特殊な鉱石の持つ効果を併用させて作り出した空圧壁と呼ばれる透明な壁が存在している。
そこを目指して水の中を泳ぐ竜は、尻尾をくねらせるようにして前へと進んでいく。そして空圧壁へと到達すると、そこへ鼻先から入り込んだのである。
次から次へと十数メートルはあろうかと言う巨大な黒き竜が、城の内壁を突破していく。そしてパイプ状になった通路を進むと、広々とした空間へと出るのであった。そこでやっと竜は足を止め、背に乗せている者達を降ろしたのである。
待機していた数十名の兵士達が、竜を誘導してその場へと並べていく。降り立った騎士達は彼らの手を借りて、体に装着している鎧兜を取り外していった。
最後に空圧壁へと進入してきたのは、一際巨大な固体のである。紅き眼に、漆黒の鱗。巨大な翼は広げると、百メートル近くはあるだろう。
そしてその竜を兵士達が誘導すると、ついにその背から二人の王子が降りてきた。
「ナセテム・ハイドラ様、デュオ・ハイドラ様。お待ちしておりました」
ジレの上から黒いマントを羽織っている二人は、水中を抜けてきた竜の背に乗っていたのだ。それにも関わらず、服はまったく濡れてはいない所か水滴の一つさえも付いてはいなかった。
広間へと降り立った二人の前に声をかけて来たのは、若い女だった。ライトブラウンの髪色を、ピンで止めていた。目鼻立ちはすっきりと整っており、女性と言うよりは何処か少年の様な雰囲気を持っていた。
服は黒を貴重とした革の軍服のようなものを着ており、出迎えた兵士達も同じものを全員が着ている。クレムナント王国ではあまりみない服装である。統一された格好で、集団の統制と規律がよく保たれているように感じられた。
「ここが祖父上の国か......素晴らしい.......」
ナセテムは赤茶色の瞳で周囲を見渡した。目の前に居る女の姿は、まるで意識の範囲外にあるようだ。
燃えるような緋色の髪は短く切りそろえられており、その風貌は水中都市国家の元首にそっくりだった。只違うのは二十代半ばであるナセテムは、明らかにガルバゼン・ハイドラよりも若いと言う事だ。
「レインフィース。各団員の戦闘情報をまとめ、後で私に報告しろ。ナセテム様とデュオ様は、私が直接国家元首の所まで案内する」
竜の背から降りてきた男は、若い女へと向かって言った。竜の頭蓋骨を模した兜を取り払い、初めてその顔をナセテムとデュオへ見せたのである。
狐のように鋭く吊りあがった目に、青白い肌。何よりも目立つのは、長めの白髪である。四十代であるにも関わらず、その真っ白な髪のせいで余計な渋みを増していた。十三騎士団を取り纏める者と言うには、あまりにもその容姿はナセテムとデュオの予想に反していたようである。
「はい。了解致しました」
レインフィィースは頭を下げると、二人の前から去っていった。
「ほぉこれは驚いた。お前のような優男が、ヴァルヴァロスを倒したのか」
ごつごつとした鎧に包まれた身体は、鍛え抜かれた筋肉の塊であったはず。そう勝手に思い込んでいたのだ。しかし目の前の男は、線が細く、華奢に見えたのである。
「褒め言葉として受け取っておきましょう。では着いてきて下さいませ」
鎧兜を脱ぎ去ったセルシディオン・オーリュターブは抑揚のない言葉で言った。どんな時も感情を表にだす事はない。そんな男である。
ナセテムとデュオは歩き始めたオーリュターブの後を追うように、七層の奥に続く通路の先へと消えていった。この時広場を後にした二人は見る事がなかった。
黒き竜の数頭が唸り声を上げながら、もがき苦しむ姿を。そしてそれはみるみると形を変えて、成人の人間へと変化していったのだった。




