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第百十話 深まる溝

「シュバイ...クッ...シュバイ...クッ...!」


 朦朧とする意識の中に、聞き覚えのある声が響いてきた。


「うぅっ......」


 ゆっくりと目を開ける。するとそこには銀褐色の瞳の青年が、シュバイクの顔を覗き込んでいた。


「ウィリ...シス......?」


 ぼやけていた視界。だが徐々に、その焦点が合い始めていた。そして自分の瞳に映ったのは、ライトイエローの短髪に精悍な顔つきの青年だったのである。その背後からは山の頂に沈みかけた夕日が、僅かな輝きを放っていた。


「ああ、そうだ。大丈夫か?」


 ウィリシスは、心配そうな顔つきであった。ここ二日ほどの間に、何度も衝突を繰り返してきた相手である。しかしそれでも、シュバイクはこの青年を誰よりも信頼していた。


「うぅ...だ、だいじょうぶ...です...ありがとう......」


 シュバイクはウィリシスの肩を借りると、立ち上がった。そして、ゆっくりと辺りを見渡した。すると隣には、白い布のローブを身にまとう少女が横たわっていた。それはシュバイクと共に、魔法の書庫へと飛ばされたリューネである。


「か、彼女は大丈夫なのですか......?」


 リューネの側には、ハドゥン族の族長の娘モルナがついていた。少女の体を優しく腕で抱いている。


「呼吸も脈も安定しています。すぐに目を覚ますと思います」


 ウィリシスはシュバイクに言った。


「僕たちはどうなっていたんですか?ここではない、何処かにいたはずなんだ。でも気がついたら、また戻ってきていた」


 シュバイクの記憶は、曖昧な状態に陥っていた。魔法の書庫にとばされたのは、解っていたのだ。しかしそれが夢なのか、それとも現実なのか。はたまたそれが現実だとしたら、肉体が飛んだのか、それとも精神だけがとんだのか。解らない事ばかりだった。


「リューネ様と血の契約を交わすした時、二人は共鳴連鎖を起こしたようです。それが何故、起きたのかまでは解りません。強力な魔力ハールを放ちながらシュバイク様たちは、意識を失いました。セリッタさんそこで、何らかの魔法を唱え、二人を救い出そうとしたようです。その魔法がどのようなものだったのかまでは解りません......本当に何も記憶がないのですか?」


 ウィリシスの問いかけに、シュバイクは喉の奥で言葉を詰まらせた。なんと答えるべきなのか、それが解らなかったからである。

 魔法の書庫で起きた事を素直に話すには、戸惑いがあったのだ。それはシュバイクとウィリシスの出生の話に、少なからず関わる事だったからなのである。だがそれを秘密にしていたために、どうやって説明をすればいいのかで頭を悩ませていた。そこからさに、シュバイクは深い謎の領域へと足を入れ始めていた。

 書庫で出会った女。あの人物が本当にハル・エルドワールの記憶の一部だとすれば、何故、過去の時間軸にいたウィリシスを呼び寄せたのか。そして何故、真実を告げたのか。自分の記憶を欲していた彼女は、何を企んでいたのか。そして僅かに生まれた疑念が、最後にシュバイクをさらに悩ませた。

 それは、過去の時間軸で聞いた自分とウィリシスの出生に関わる秘密は、果たして本当の真実だったのか。突如として豹変したあのエルドワールの姿を思い返すと、それすらも怪しく思えてきたのである。

 そしてシュバイクがその場を乗り切るために出した結論は、簡単なものだった。


「ええ...何が起こったのか......よく覚えていないんです......じゃ、じゃあセリッタさんは?彼女は大丈夫なのですか?」


 白を切ったのだ。嘘をついた。偽りで、真実を隠した。一度ついた嘘を覆い隠すために、さらなる嘘を重ねた。それしか方法が思いつかなかったのである。 シュバイクは、自分が踏み込んでしまった領域に、ウィリシスを巻き込みたくはなかったのであろう。しかしその度に、二人の溝は深まるばかりだった。


「何も覚えてはいないのですか...そうですか...。セリッタさんなら、ラミルさんの側に...ん?」


 ウィリシスはシュバイクの言葉を聞いた時に、明らかに何かを感じ取っていたようだった。しかしそれを表にはださず、抑え込んだようである。

 二人がセリッタの方へと視線を向けると、地面へとうずくまっている少女の横に倒れている者がいた。その倒れている者こそ、セリッタだったのである。


「セ、セリッタさんっ!」


 シュバイクは思わず声を上げた。そして駆け寄ろうと体を前に動かした時、転んでしまったのである。


「無理をしてはいけませんっ。やはりまだ、何らかの魔法の重い反動が、体に残っているのですっ」


 ウィリシスはシュバイクへと駆け寄った。そして肩を再び貸すと、少年を立ち上がらせたのである。


「ぼ、僕は大丈夫だっ。それよりもセリッタさんと、ラミルさんをっ」


 そう言いながら、シュバイクは歩を進めた。そしてセリッタとラミルの元へと着くと、腰を落とした。

 薄茶色のローブに身を包む女は、黒い長髪を頭の上でまとめてくしで止めていた。肌は日に焼けた小麦色で、普段なら健康的に見える。しかし今は、ひたいから冷や汗が流れ出ており、どこか血色が悪い。


「ウィリシス、どうすればいい!?」


 シュバイクはライトイエローの短髪の青年へと、問いかけた。


「精神的な損傷を受けている......?何時だ...さっきまでは、普通に見えたのですがっ!」


 ウィリシスは、戸惑っていた。恐らくセリッタも、全てを説明してはいなかったのだ。

 何故、仲間であるはずのウィリシスにまで、真実を話さずにシュバイクとリューネの助けに入ったのか。それがシュバイクには不思議だった。しかし、そんな事よりも、今は目の前で倒れているセリッタに適切な治療を施すのが最優先だった。

 そしてその隣に居るラミルもまた、精神的に深い傷を負っていた。ウィリシスはそれが、自分の行いのせいだと自覚していた。

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